ゆるりと訪れる春を吸い上げて、ふっくらと丸みを帯びた薄紅の蕾が膨らみ始める。

一分咲きから二分咲き、八分咲きから満開へ。

少しずつ綻んでいく花に比例して、その時を待ち望んでいる死神達の心の内も浮き立ち始める季節だ。

瀞霊廷内で最も荘厳に咲き誇る大きな桜の木々が佇む丘で催される、護廷きっての春宴。

今か今かと待ち侘びる各隊有志の桜守が出す満開の報せと同時に開催される宴を、元より存外お祭り騒ぎの好きな護廷隊は今年もまた例年以上にその瞬間を心待ちにしていた。















樹齢幾千年かはたまたそれ以上に命を繋げ続けているのではないかと思われる桜の大木は、護廷十三隊の隊士達が漏れなく召集されても、彼らを夜空からすっかり覆い隠してしまう程の壮大さを誇っている。
土深く長い根を張り巡らせ、大人が幾人も両腕をいっぱいに伸ばして繋がなければ回らない程の逞しくうねる幹。
拳西と修兵率いる九番隊の隊士御一行は、その幹に寄り添うようにして宴の席を広げていた。

「綺麗ですねー…」

「そうだな」

自隊の隊長の傍らへ座して甲斐甲斐しく酌をする副隊長の図はまるで夫婦の様で、最早その光景は隊士一同曰く”九番隊名物”的なものと化していて。
酒気の回った他隊の喧騒に巻き込まれながらも、九番隊の隊士達はまた別の意味でどこかそわそわと落ち着きをなくしている。
その原因はと言えば…、

「あ…お酒に花弁…」

「あぁ…花見らしいじゃねぇか」

「はい、風情がありますね…」

この熟年夫婦二人…と言うよりは寧ろ、人目も憚らずふんわりとした笑みを浮かべている修兵にある。
日頃凛とした姿勢を崩す事なく常に一分の隙も見せずに振る舞う自隊の上官のこんな無防備な姿を拝めるのは、年始の宴かこの花見の席ぐらいのものなのだ。
漏れなく”副隊長馬鹿”を自負している隊士達にとって、年に数回しか訪れる事のないこのような宴席は、一晩存分にそれを堪能出来る逃し難い貴重な機会だと言える。
”無礼講である”と言ういつもよりも少し軽やかな声音で告げられた総隊長の号令の元、少し足を崩して幹に凭れながら盃を傾ける修兵の様は何とも艶っぽく、酔いに染めた頬は桜の華やかさに負けず劣らずと言った所だ。
それだけでも、この宴に列席するべく死にもの狂いで職務を片付けた血と汗に塗れた涙ぐましい努力が報われると言うものである。
皆各々の想いに耽りながら(中には邪な感情を抱く輩を含みながら)目の保養に勤しんでいる最中で、当の修兵がすっと立ち上がった。

「ちょっと、酒取って来るな」

「あ、お酒ならただ今持って参りますので…!」

修兵の言葉に己も己もと挙手をしながら立ち上がろうとする隊士達をやんわりと制する。

「いや、いい。厠のついでだ、すぐ戻る、ありがとうな」

穏やかにそう言って名残惜しそうな複数の視線を背中に受けながら、修兵はふらりとその場を後にしてしまった。
それを追う様にして、それまで静かに盃を傾けていた拳西が立ち上がる。

「悪いな、俺も厠だ」

それだけ告げて、修兵と同様どんちゃん騒ぎの中を擦り抜けながら宴席を外してしまった。














ぐるりと、形だけ宴席を一回りしてから拳西が向かった先は、先程まで己が腰を下ろしていた九番隊が集まる宴席のちょうど真裏の辺りだ。
太い幹の反対側へ回った所で、くいと袴の裾を引かれる。
足元に視線を落とせば、幹の畝の間に体を潜める様にしてしゃがみ込んでいる修兵がこちらを見上げていた。

「抜けて来ちゃいました」

ぺろりと舌でも出しそうな声音を出す修兵の様子はいつにない無邪気さで、これはそれなりに…、

(酔ってやがんな…)

拳西は呆れた様な笑みを唇の端に浮かべながら、裾を引かれるまま自分も同じ様に霊圧を落として隣にしゃがみ込んでやる。

「悪い副隊長だな」

くすくすと楽しげに笑う様は幼さを呈している様でいて何とも言えぬ妖艶さも孕んでいる。
隊士達の合間を擦り抜けて行く直前、拳西にだけほんの一瞬向けられた小さな合図はこの上ない程の色香を含んだもので。
あの流し目を受けた日には一体幾人の隊士達が鼻から赤い物を噴き上げて卒倒する事かと思わされる程だ。

「拳西さんも共犯ですよ」

小さく笑いながらそう言って、修兵は拳西の腕を引きながら大きく裂けた幹の根本へ人目から隠れる様にして二人分の体を押し込めてしまう。

「すぐに戻るんじゃなかったのか?」

口ではそう言っていてもそれはほんの戯れで、拳西とてこの状況で修兵を隊士達の元へ連れ戻してやるつもりなど毛頭無い。
大きな樹を隔てたすぐ裏側では酒宴は盛んになるばかりで、だけれど拳西と二人身を潜めている幹の間だけは随分と静かで穏やかな空気が流れている様に思う。
桜と同化してしまえそうなこの場所で二人きり、小さな秘密を共有している様なこの状況が酷く楽しかった。















一方その頃。



(((((……………遅い…)))))



”すぐに戻る”と、そう告げられてから大人しく待つ事四半刻。
隊の上官二人に置き去りにされつつも周囲の酒宴とそれなりに盛り上がりながら、九番隊隊士達はまたしても新たな意味でそわそわと膝の落ち着かない思いをしていた。
誰も彼もが”もしや”と言う共通の予想を脳裏に過ぎらせながら、それでもあの二人の仲を知り尽くしている分普段ならば羨ましくも思う反面そっと知らぬふりをしているのが常で。
だけれど、いつもよりも酒気の回った輩に自制の文字は無いに等しく、”野暮”だと留まる者の方が遥かに少ない始末だった。


結果、


「「「「「探すぞぉぉぉおおぉぉっ!!!」」」」」


酔いに任せて息巻いたまでは良いものの、後々その勢いごとぽっきりと心を折られる事になる。














さらさらとした葉擦れの様な音を立てて風に舞い散る花弁は、散っても散っても限りがないのではないかと思う程無数に降り注いでいる。
大きな幹に守られる様にして身を埋めているその間から薄紅に視界を塞ぐその光景を眺めていると、まるで桜の胎内に取り込まれてしまったかの様だ。
つい先程まで耳を騒がせていた喧騒が嘘の様に遠い。
修兵はその静けさに耳を傾けながら拳西の肩に凭れて頭上に広がる桜をぼんやりと眺めた。

「ああやって皆で飲むのも楽しいんですけど…拳西さんと二人でもお花見したくて…」

いつも以上に甘えた様子を見せる修兵に拳西は僅かばかり目を見開く。
日頃隊士達がすぐ傍にいる時にはそんな様を見せる事など微塵も無いのだ。
酷く珍しい状況に、拳西は胸中で非日常的な満開の桜と酒の力に感謝をしたい心持ちだった。
恐らく今頃落ち着きなく自分達を探しにかかっているであろう自隊の隊士達が脳裏を過ぎったけれど、そこは灯台下暗し、まさかこんなに近くに潜んでいるとは思うまい。

しかし、今現在拳西にとって花見…と言うよりは寧ろ、己に身を預けながら桜に目を奪われている修兵を眺めるのに忙しい。

ふと、風に乗せられて来た一枚の花弁が修兵の目元に舞い落ちた。
長い睫毛に乗った薄紅に、擽ったそうに瞼を臥せる。
ふっと息を吹き掛けて払ってやれば、それにもまた擽ったそうに小さく笑った。
それへふと、拳西の胸の内に蘇る懐かしい記憶。

「修兵、覚えてるか…?」

自分に引き取られたばかりでまだまだ幼かった修兵が、はらはらと遥か頭上から舞う桜の花弁に誘われる様にしてこの大きな桜の樹をよじ登った時の話を訥々と語り始める。
夕刻になってもなかなか戻らぬ修兵を探しに来た拳西に見つかって、”大怪我でもしたらどうするんだ”と案の定こってりとお叱りを受けたのだ。
随分と高い所まで登ったは良いものの、ふと我に返って下を見下ろした瞬間その高さに足が竦んで降りられなくなってしまった。
樹の枝の上で眼下から拳西に叱られてわんわん泣き喚きながらも、”信じろ”と、そう言って大きく広げられた両腕に向かって思い切り飛び降りたのを今でも鮮明に覚えている。
しっかりと己を受け止めてくれた広くて逞しい拳西の胸の温かさは、今でもあの頃と変わらない。

「う゛…覚えてますよ、だって…拳西さんめちゃくちゃ怖かったですもん…!」

「はは、そりゃそうだ、そうでなきゃ意味ねぇだろうが」

「そうなんですけど」

どこか気恥ずかしげな表情を浮かべる修兵の視界で、拳西の胸へ一枚の花弁が落ちる。

「あ…」

修兵はそれへ誘われるまま、拳西の肌蹴られた死覇装と胸元の間へ滑り込んだ花弁を唇で掠め取った。
薄い唇に挟んだ花弁を拳西に見せて悪戯っぽい表情を浮かべる。
それを抓もうとした指先を拳西に制されて、花弁ごと柔らかく唇が重なった。
ぱくりと、修兵の唇から花弁を奪って暫し。
べっと舌を出して見せてから、

「食っちまった」

そう言ってニッと口端を吊り上げた。
修兵はそんな拳西の予想外の行動にぱちくりと目を見開いてから、吹き出す様にしてふっと笑った。
拳西は時折こんな風にして突飛で子供っぽい所を見せて来る。

「俺、拳西さんのそういうとこ好きです」

「そうかよ…それだけか?」

つい先程までどこか少年の様だった表情を潜めて、自信に満ち溢れた男の顔をした拳西が修兵の目を覗き込んだ。

「全部好きです…」

それへ狼狽えながらも蚊の鳴く様な声を絞り出して、修兵は酔いやら気恥ずかしさやらで火照り切った頬を拳西の胸へと擦り寄せた。
擦り寄られるままに髪を撫でてやって暫く、胸元に感じていた吐息が規則的でか細いものに変わる。

「…寝ちまったか」

子供の様な寝落ちの仕方をした修兵に苦笑いを零して、拳西は修兵の首筋にはらりと一枚舞い落ちた花弁を払ってやりながら悪戯をする様に滑らかなそこへ唇を落とした。















「おう、すまねぇな、遅くなった」

未だ宴の真っ只中、あれから探せど探せど見つからずじまいだった自隊の隊長がひょっこりと顔を出した。
その声にはっとして振り返った隊士達の目が、一斉にぎょっと見開かれる。
何処から出て来たのかすぐ背後の桜の幹から姿を現した拳西と、その腕にくったりと横抱きにされて恐らくは眠ってしまっているであろう修兵の姿が目に飛び込んで来た。

「「「「「ふ…副隊長ぉぉおーーーっ!!!」」」」」

カチンと固まったまま上擦った声を上げる隊士達の絶叫が轟く中、拳西は飄々として修兵を抱えながらその中をずんずんと歩く。

「先に戻る、お前らはまだ飲んでていいからな」

こちらは気にするな、そう言われてもこの状況下でそれは最早無理な話で。
すっかり酔いの吹き飛んでしまった隊士達は、二人と擦れ違いざまに修兵の様子を間近に見せ付けられて鼻を押さえながら蹲る始末だ。

日頃そうそう目にする事の叶わない無防備な寝顔と、拳西の胸に頭を預ける様に傾げられて晒されたその白い首筋に、

(悪いな修兵、虫除けだ)

ひらひらと舞う薄紅の桜に劣らぬ程の鮮やかな花弁が、一つひっそりと刻まれていた。

目の保養どころではない大打撃を受けてぴしりと硬直する隊士達に背を向けて、拳西は悪戯が成功したかの様な達成感を覚えて上機嫌に私邸への道を急いだ。










― 終 ―





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