重たい音を立てて開かれた厚い扉の奥。
庫内から逃げるひんやりとした冷たい空気が寝起きの火照った頬を撫でて、修兵はその心地良さにほっと一つ息を吐いた。
サイドポケットに常備されている清涼飲料に手を掛けて、ふと視界の隅で捕えた何かに首を傾げる。
日頃中身の整理整頓を怠らない庫内で、それは修兵の目に一際違和感を与えていた。

真ん中の段のそのど真ん中。

綺麗に並べられていた食材を押し退ける様にして、キラリと銀色に主張する真ん丸い空っぽのトレーのようなものが鎮座している。

「…、……」

背筋に走る悪寒を冷気のせいにして、

(俺は何も見ていない…)

修兵は念じる様に一つ唱えながらぱたりと静かに扉を閉めた。










「何よそれ、ペット用のエサトレー…?」

「え…先輩、犬か猫なんて飼ってましたっけ…?」

乱菊が呟いた台詞に、果たして狛村の他にこの護廷で何か動物を飼っている者など居ただろうかと、イヅルはきょとんとした顔で疑問を口にした。

「そんなもん飼ってね…って、あ…、あ゛ー…」

覚えのないそれへすぐさま否定をするものの、修兵の脳裏にどこぞの犬よりもガタイの良い赤毛の大型犬が過ぎって思わず唸りながら突っ伏した。

「「………」」

渦中の人物が不在のお茶処、乱菊と吉良の二人で修兵を取り囲む様にして各々食後の茶菓子をつつきながら微妙な表情で膝を突き合わせている。
朝から修兵の身に降って湧いた事の一部始終を当人から聞かされた乱菊とイヅルは、その内容のあまりの下らなさに嘆息していた。
暇潰しに聞かせろとせっついていた乱菊ですら途中から食傷を起こして飽きてしまっている。
ともすれば一笑で済んでしまう様な話の内容に反して絶望的な顔でげんなりとしている修兵本人には、流石にそれを口に出しては気の毒だろうと、イヅルはただ呆れた様にぽかんと口を開けたまま二の句を継ぎ損ねていた。

「アッホらし」

「ら、乱菊さん…!」

そんなイヅルのささやかな遠慮を一刀両断するかの如く乱菊が吐き捨てた。

「俺これでも真剣なんですってば…!」

哀れアホ臭いと一蹴されてしまった修兵の訴えの元は、ほんの二週間前に遡る。



全力で鳴き喚く蝉をも射て落とす勢いの猛暑が連日続く。
年柄年中夏男の様な袖無しの死覇装を纏ってはいるものの、見てくれに反して暑さには頗る弱い修兵は今年も漏れなく例年に無い暑さに完全に中てられていた。
額から滴る汗と共にじわじわと生気までをも絞り出されて、見るからに紫外線に免疫の無い白い肌が日に晒される度、じりじりと残り僅かな生気すら蒸発させられてあわや溶けるどころか乾涸びてしまうのではないかと半ば本気で危機を感じている。
そんな状況下で修兵にとって地獄の季節を乗り切り職務を滞りなく遂行させ健康体で無事に過ごし易い季節を迎える準備をする為の打開策は限られている。

無駄な体力は使わない。
無駄な水分を出さない。
無駄に神経を昂らせない。

それを実行する為の第一必須条件。

無駄に恋次の相手をしない。

以上。

このくそ暑さにも構わず纏わりついてくる無駄に体温の高い大型犬を相手にすると、無駄に全てが出るのである。

それこそ二週間前。

せめてもの心地良さを求めて、蒸し風呂と化してしまっている家中の窓やら扉やらを全て開け放ち少しでも風の通る場所を探していた時だった。
ほんの微かに流れる風に煽られた草木の影がゆらゆらと揺れる真昼の縁側、廊下の板間に貼り付いて日陰に寝転がりながらうだうだとする修兵を見た恋次が欲情をしない筈も無く。
首筋に貼り付いた黒髪から大きく開かれた胸元へ流れ落ちて行く汗、無防備に転がっていたせいで乱れてしまった着流しの裾から大胆に除く脚は日陰とのコントラストからか余計にその白さを際立たせていて、その光景は恋次にとって据え膳以外の何物でも無い訳で。
貴重な体力を振り絞っての威嚇と抵抗をさらりと流されて散々恋次に構われた果てに、解放された頃には当然の様に熱中症一歩手前。
事を終えてスッキリと満足している体力馬鹿の駄犬を待っていたのは、ぜぁはぁと荒く息を切らせながら繰り出された修兵渾身の報復だった。
死神でありながらあわや三途の川を渡らされる寸前の制裁を受けた恋次は、プラスアルファで「夏が終わるまで俺に触るな」宣言を突き出され、この世の終わりでも見たかの様に項垂れた。
声が漏れると言って結局自らすぐ傍の窓を閉め切らせた修兵も修兵で流されてはいるものの、恋次の学習能力の無さは最早尊敬に値するレベルだ。


そうして今に至る。


「良く耐えてるわね恋次」

「あの…先輩、阿散井君になにしたんですか…?」

"怖い物見たさ"の心境でイヅルがおずおずと尋ねる。

「え…あぁー…っと…」

恋次に科した容赦ないバイオレンスな制裁内容を淡々と語る修兵に、イヅルは聞いてしまった事を後悔しながら自らの大事な部分を両手で押さえて-うわぁ…-と情けない声を上げて鳥肌を立てた。

「だからここん所様子がオカシかったのねぇ〜、じめじめして鬱陶しいったら無かったわ」

修兵を見る恋次の目がケダモノのそれから日に日に情けのないものになっている。
冷やし飴を掻き混ぜていた匙を指先でくるくると弄びながら、恋次のあからさまな様子を語る乱菊にイヅルも頷いた。

「いや…乱菊さんあいつがオカシイのは元からで…」

「でも、どうしてまた阿散井君はそんな物そんな所に入れてたんですかね」

修兵のぼやきを遮ってイヅルがそもそもの疑問を投げ掛けた。
修兵が発見した、今朝方の不可解な光景。

「そりゃアンタ、恋次が修兵に飢えて凍えてるのを訴えてるつもりなんじゃないの?」

空腹を訴える空っぽの犬用エサトレー。

冷気の充満した締め切られた冷蔵庫。

「………わかりづれぇ!!」

暫し口を開けたまま脳味噌を働かせていた修兵が湯飲みをどんっと叩き付けて叫んだ。
よっぽど修兵から受けた制裁と罵声が堪えたらしい恋次のなんとも遠回しな主張と言うのか抗議と言うのか。
さらっと出された乱菊の解釈に青筋を立てた修兵は、叫ぶだけでは収まらず横に居たイヅルの肩を裏手でべしっと引っぱたいた。

「痛ァッ!僕に八つ当たりしないでくださいよ!!」

「まったく、図体の割にちっさい男ねぇ」

恋次に対して呟かれたであろう乱菊からぴしゃりと放たれた冷たい一言に、何故だからこちらまで耳が痛い様な気がしてしまってぴたりと固まりながらも二人同時に頷いた。

「でも先輩、ほんとに良いんですか?」

「良いって…何が?」

「いやぁ、いくら阿散井君とは言えあんまり放っといても…」

「!……大丈夫…」

「イヅルの言う通りよ、その内ほんとに冷え切っちゃったりして」

「いや…あいつに限ってそんな事…」

「そうとは言い切れないわよ。アイツも男だもの、よそからオイシイ匂いがしたら案外フラフラしちゃうんじゃないのー?」

「乱菊さんの言う通りですよ」

「………」

ニヤリと妖しい笑みを浮かべる二人に気圧されて押し黙る。
先に懸念されるまさかの浮気疑惑になんとか抗議の台詞を返そうと頭の中でぐるぐる言葉を探し始めた時、背後の戸が開いて一仕事を終えた渦中の男が茶店の暖簾を押し上げて現れた。
と同時に恋次へと向けられる、呆れて小馬鹿にする視線、哀れみを買う同情の視線、驚愕と威嚇の視線。

「…え……なに!?なんスか!?」

何とも言えないネガティブな注目を一斉に浴びた恋次は、反射的に自分の全身を見渡して何か付いてでもいるのかとひたすら疑問符を浮かべている。

「面白いわね」

「面白いですね」

三人が話していた内容など知る由も無く、店の入り口で疑問符を浮かべ続けている恋次を余所に二人は飽きが生じて物見遊山に回り始めた。

「他人事だと思って…っ!」






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