(こんな所で居眠りとはな…)


休日を利用して院生寮から久し振りに帰った修兵に、右目の定期検査に呼ばれていた事を思い出したので待っていてくれと告げられてから小一時間程。
慌ただしく技局へ向かった修兵の背を見送りながら、拳西は小さく溜息を吐いた。
どうにも胡散臭さを拭えないあの男の顔が脳裏に過ぎって眉根を寄せる。
妙な落ち着きの無さで胸の中をざわつかせながら、待てども待てどもなかなか戻らない修兵にどうしたのかと様子を見に来てみればこれだ。
入口で修兵の名を告げて通された一室。
ちょうど間の良い事に、幸いこの部屋の主である鬼は今席を外している様だった。
名を呼んでも返らない返事に部屋をぐるりと見渡せば、修兵が中央にある長椅子の上に身を横たえて気持ち良さそうな寝息を立てている。
これではなかなか戻って来ない筈だ。

「おい、修」

検査が終わっているのかまだなのかは主が不在な所為で測り兼ねるものの、とりあえずは起こしておいた方が良いだろう。
そう踏んで、拳西は修兵の顔を真上から覗き込みながら声を掛けた。
だけれど、これだけ至近距離に居るにも関わらず当の修兵は目を覚ます所か身じろぎ一つすらする気配を見せない。

(寝汚い奴め…)

拳西は呆れた様な苦笑を漏らしてその寝顔を眺めた。
思えば、こうしてじっくりと修兵の寝顔を見るのは久し振りかもしれない。
幼い頃は良く己の腹の上や膝の上で寝ていたものだけれど、いつの間にかぐんぐん大人びて行く面立ちには時折はっとさせられるものがあった。
規則的に上下する胸から送られる呼気を逃がす唇は薄く開いていて、僅かに横に傾けられている顔に掛かった黒髪が口元を掠めて首筋に降りて行く様は、何とも言い難い色香を醸し出している。
成長するにつれて少しずつ己の手を離れて行ってしまうのは何処となく寂しさも感じるけれど。
それ以上に、日増しに艶やかさを帯びて行く修兵の色気をどうやり過ごせば良いか、そんな感情を持て余し始めたのはいつ頃の事だったか。
修兵が己を慕う気持ちと自分の立ち位置に甘んじて、どうにも一線を越える機会を逃し続けて久しい。
そんな事をぼんやりと思いながら眺めていた寝顔に堪らなくなって、拳西は不意に胸に過ぎった衝動のまま、上体を屈めて穏やかな寝息を立てる修兵の唇を掠め取った。
音も立てない様な、そっと触れて体温を感じ取るだけの柔らかな口付けを落とす。
こんな事をされても一向に起きる気配を見せない修兵にふっと小さく笑った。
目元に掛かる前髪をさらりと掻き分けてやりながら晒された額へ再び唇を落とそうとした時、すっと部屋に流れ込んだ冷たい霊圧に拳西の動きが止まる。

「護廷の隊長ともあろうお方が、人の寝込みを襲うのは感心出来ませんね」

「阿近か…」

拳西はそう低く呟くと、視線だけを持ち上げて入口に凭れ掛かる様にして立っている阿近を見据えた。
射る様な拳西の視線にも怯まず、咥え煙草のままのその口元には食えない笑みが浮かべられている。

「貴方ならもっと堂々と修兵に手を出すものだと思っていましたよ、六車隊長」

「…何が言いてぇ?」

「俺ならそうすると…そう言う意味です」

口元に浮かべた笑みを崩さず、阿近はスッと目を細めて拳西を見据えた。
まるで臆さない阿近の挑戦的な物言いに、拳西の蟀谷の辺りが震え眉根が寄る。
警戒していた通りだ。
修兵達院生を襲った件の事件があって以来、視力を失った修兵の右目に再び光を与えたこの男に対して拳西はずっと過剰な程の警戒心を持って接していた。
見てくれに反して面倒見が良いのだと、初めは怯えていた修兵が阿近に懐く様になるまでそれ程時間は掛からなかった。
拳西と共にいる時も、時折会話の端々で修兵の口から阿近の名前が出る事も稀ではなくなっていて。
その名を出される度に胸の内をざわつかせながら、それでも自分の手から修兵が離れて行く事など有り得ないと、修兵が己を慕う気持ちに確信を持っていた。
焦る事は無い、せめて院を卒業するまでは親代わりのまま傍に居られれば良いと、そう思っていたのだけれど、そろそろそれも潮時なのではないか。
修兵を見る阿近の目が日に日に変化していく様は、拳西から見ても明らかだった。
拳西から修兵へと視線を移した阿近の目つきは、まるで慈しむ様な、それでいて捕食者の苛烈さも同時に孕んでいる様な執着を滲ませた目だ。

「修兵はお前のものにはならねぇ」

阿近は拳西の言葉にわざとらしく肩を竦めて見せた。

「なら…もし俺が今、コイツに一服盛ったと言ったらどうします?」

「…一服?」

一層温度を下げた目の前の男の霊圧に、未だ寝息を立てている修兵の体にまで不穏な冷気が纏わり付いている様だった。
拳西は阿近の腹の底を測るように睨み据える。

「例えば…特定の人物の霊圧に異常な執着を起こして、目が覚めた途端にそいつ無しじゃ正気で居られない廃人にでもなっちまう様な」

「なんだと…?」

自信に満ち溢れた阿近の目に、拳西の背中へすっと冷たい汗が一筋流れ落ちる。
途端、表情を硬くした拳西を嘲笑うかの様に阿近が短く息を吐き出した。

「はっ、冗談ですよ。随分余裕無いんじゃないですか」

「抜かせ」

「出来ねぇ事もないっすけど…そんな代物使わなくても、いずれ修兵は俺を選びますよ」

先から確信にも近い自信を滲ませる阿近に、拳西の腹の中へと黒い澱の様なものがどろりと重く溜まって行く。
何を根拠にここまでの物言いが出来るのか。
修兵の阿近へ対する感情は、拳西からしてみれば謂わば犬猫が新しい玩具を見つけてじゃれつている様なものだ。
遅かれ早かれ、いつかは興味を無くしてあっさりと手放すだろう。
今更この男が己と修兵の間へ入り込める隙など、一寸足りとも有りはしないのだから。

「貴方はコイツに近過ぎる」

阿近の言葉に、拳西は無表情のまま奥歯を噛み締めた。
何十年、親代わりと思って慕って来た修兵の気持ちを裏切って己の劣情を押し付ける様な真似が正しいのかどうか、拳西とて数え切れない程に幾度も自問して来たのだ。
拳西はその表情に僅かでも揺らぎを露呈させまいと細心の注意を払いながら、阿近へと見せ付ける様にして修兵の右の瞼へ柔らかな口付けを落とした。

「今更、お前に割り入る隙なんざねぇんだよ」

途端、冷覚なだけだった阿近の霊圧に敵意が混ざり鋭く拳西を突き刺した。

「そいつの右目もそいつ自身も、俺の物だ」

(…気に食わねぇ)

修兵が再び拳西をその双眸へ映す事が出来る様になったのは、この男が与えたからだ。
矛盾を覚えながらも、拳西の中へ仄暗い嫉妬心がじくじくと膿の様に滲み出して行く。
いっそこの薄い瞼の中にある造り物の暗紫を抉り出して、己の右目を与えてしまおうか。
そこまで思い至って、拳西は自分の中に押し込めていた物が思っていたよりも切迫している事を自覚して唇の端を歪めた。
それでも、

「お前が何をしようが、修兵は俺から離れねぇさ」

「…何をしてでも、その余裕をへし折ってやりますよ」

「…精々好きにすりゃいい」

「そうさせて貰います」























触れればいとも簡単に切れてしまいそうな程に張り詰めた空気が、修兵の全身を包む。
震えそうになる瞼を静かに閉じたまま、己を取り巻いて低く這う両の声音を甘受した。

(どっちも欲しい、なんて言ったら…どんな顔するんだろうなぁ…)

恍惚とした甘苦い感情で体中を満たしながら、修兵は胸の内で艶やかにうっそりと微笑んだ。







― 終 ―



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