(うわ…珍し…)

そろそろ昼食時に入るだろうと言う時分、修兵は技局の研究室の奥に休憩室として宛がわれている部屋で滅多に見ない光景に目を見開いた。


”忘れた、届けに来い”


珍しく伝令神器にメールが入ったと思ったら、随分と横柄な一行に頭に来るどころかあの男らし過ぎて逆に笑ってしまった。
今朝方自分よりも少し早く家を出た阿近が弁当を持って出なかった事は、玄関先の棚の上へぽつんと置き忘れられた包みを見て修兵も気付いていた。
時間が出来たら届けてやろうと一緒に持って来ておいて正解だった。
放っておけば昼の一食くらいは平気で摂らずにいるあの男が、素直に手製の弁当を食べてくれる様になってからもうどれ程経つかは忘れてしまったけれど。
今ではこうして催促をしたり中身に注文を付けたりするのだから、それは修兵の中でなかなかに嬉しい変化だった。
そんな事を思いながら軽い足取りで技局のおぞましい門を潜り抜けた先で見た光景が、これである。

長い手足を投げ出して、休憩室の長椅子を占拠しながら静かな寝息を立てている。
いつもならば、ここで仮眠を取っている時にはほんの少しの物音でもすぐに目を覚ましてしまうのだ。
その阿近が、修兵が入って来たのにも気付かず寝入ってしまっているなど今までに無く珍しい事だった。
修兵はまるで珍獣でも見つけたかの様な気持ちでそろそろと近づいてその寝顔を真上から見下ろす。

(皺寄ってら…)

こんな時くらいもっと力を抜けば良いものを、微かに眉間に皺を寄せた難しい顔のまま眠る阿近に苦笑が漏れた。
これだけ近付いても起きないのだから少し位…、阿近の様子に修兵の中の悪戯心が掻き立てられる。
眉間に寄せられている皺に指先をとんと押し当て、そのままそこを解してやる様にぐいぐいとつついた。
ここまですれば起きるだろうと思っていたのだが一向にその気配は無く、嫌がる様に顔を背けるとそのまま再び寝息を立ててしまった。
さすがに修兵もこれには瞠目して、膝を付いて阿近の顔を覗き込んだ。
さっきよりはほんの少し眉間の皺が和らいではいるものの、薄らと隈を浮かべたまま依然難しい顔をしている。
ここの所修兵以上に激務で家には寝に帰って来るか悪い時は泊まり込みで研究に打ち込んでいたから、阿近の寝顔をこうして眺めるのは酷く久し振りだった。
死んだ様に静かに眠る所は相変わらずだけれど、こうして見ると存外に幼い阿近の寝顔を修兵は密かに気に入っている。

「好きだなぁー…」

思わず込み上げて来てしまった台詞が唇から零れ出る。
使いぱしりに寄越されたものの、なんだか得をした様な気分だ。
修兵はすっかり緩んだ表情で、規則的に上下する阿近の胸元へ両腕を預ける様にして凭れた。
それでもまだ目覚めないのを良い事に、阿近の青白くて滑らかな頬をつついてちょっかいを掛ける。
僅かに震える睫毛の動きに誘われる様に、この鬼の特徴である角へ軽い口付けを落としてそろそろ離れようとした所で、

「ぅおわっ!!?」

ぐるんと反転した視界、目を回してブレた視線の先で体勢を逆転させた阿近があっという間に自分を組み敷いて見下ろしていた。

「なんだ、もう終いか?」

すっかり修兵を長椅子へと押し付けて圧し掛かりながら、ニヤァっと唇の端を吊り上げながら意地の悪い笑みを浮かべている。

「な…起きてたんじゃないですかっ!!」

「ったりめぇだ、俺がお前の気配に起きねぇわけねぇだろうが」

「意っ地悪ぃ!!」

修兵は先程思わず呟いた一言も聞かれていただろう事に、顔を真っ赤に上気させて真上にある阿近の顔を睨んだ。

「寝たふりもしてみるもんだよなぁ、修兵?」

「う゛ぅ…腹立つ…ってなにしてんですか!!」

己の首元でもぞもぞと不穏な動きをする阿近の頭をぺしりと叩いてぐいぐいと押し返しす。
それにも構わず、阿近は修兵の首元へ摺り寄せる様に顔を埋めながら死覇装の袷から手を差し入れて滑らかな素肌の感触を楽しみ始めた。

「ちょっ、場所考え…って、あっ、コラ!!」

「良いじゃねぇか、ついでに食われろ」

「意味分かんねぇ!!」

暴れようとする修兵の足を自分の体重でぐっと抑え込んで、阿近は宥める様に首筋へ柔らかなキスを落としながら時折鼻先を押し付けて修兵の頬をぺろりと舐めた。
いつになく甘えた仕草を見せる阿近の様子に、修兵は少しずつ絆されてしまいそうになる自分とまだ辛うじて貼り付いている理性との間でぐらぐらと揺れながらされるがままになってしまう。
その様子に満足をして先へ進めてしまおうとした阿近の動きが、ぴたりと止まる。
何事かと修兵が顔を上げる間もなく、阿近は白衣の胸元から取り出した何かを扉に向かってピッと投げつけた。


途端、


「ひいっ!!」
「うおイッテェ!」
「ちょ、お、重いですって!!」
「おい危ね…ってやべっ」


「「「「うぎゃぁぁあっ!!」」」」


がたがたと扉の外で揉めていた何かが、勢いに耐え兼ねて休憩室の扉をぶち破って雪崩れ込んで来る。
その面子を見て、阿近は額に青筋を、修兵は顔を真っ赤にしながら硬直した。
ぐえっと、まさにヒキガエルの様にして下敷きにされている鵯州を筆頭に、リンやらその他技局の面子が揃いも揃って覗きと聞き耳を立てていた。
開いたドアの戸板には、阿近が先程投げ付けたメスが見事に貫通している。

「お前らァ…」

ぶわりと霊圧を上げて鬼の形相をした阿近とばっちり目が合ってしまったリンが、半ベソで鵯州の大きな頭をぐいぐいと前へ押し出す。

「ご、ごごごごごめんなさぃぃいっ!!だって鵯州さん達が…!!」

「ぐぇっ!おい!人のせいにすんな!!」

「おまっ、裏切りか!!」

同時に雪崩れ込んでおきながら罪の擦り付け合いをする面々に、阿近の青筋がまたぴきりと一本追加された。
すっと己の白衣の胸元へ手を忍ばせて片眉を吊り上げながら、地を這う様な声で凄んだ。

「いいか、餌食にされたくなけりゃあ一人残らずさっさと出て行け」


「「「「!!!!」」」」


全員が全員顔からサーッと血の気を引かせて、無言のままばたばたと転げる様にして逃げ出した。
勢いよく閉められた扉に突き刺さったままのメスがびぃんと音を立てる。

(どうりでさっき固ぇと思った…!!)

自分が頬杖を突いた阿近の胸元の感触を思い出して、その中身の正体に修兵はゾッと鳥肌を立てる。
チラリと覗き見たそこには、メスの他に空の試験管と何やらその中で蠢いているものも見てしまった様な気がしたがなかった事にした。

「とんだ邪魔が入りやがった」

すっかり興を削がれているものかと思いきや、上体を起こそうとしている修兵の体を阿近は再び長椅子へと押し戻しに掛かる。

「え…待て待て!ほんとに…っ!」

「俺は中途半端は嫌ぇだ」

「え、そこ!?ちょ…っ、やめろぉぉぉお!!」




ぐぅ〜……。




「「・・・・・・・」」


「ぶはっ!!!」


絶妙なタイミングで盛大に鳴った阿近の腹の虫に、修兵が思い切り吹き出した。
生理現象とは言え己の犯した失態に、阿近は苦虫を噛み潰した様な顔をして不機嫌丸出しだ。

「…チッ、先に飯だ」

「って、先にってなんだ」

なんだかんだと文句を浴びせて来る修兵の声は、阿近の右耳から左耳へとスルーされる。
怠そうに身体を起こして長椅子へどっかりと腰を据えた阿近は修兵ごと弁当箱を抱え込んで、その背中越しから中身を覗き込んだ。
後ろから抱き込まれて膝の上に弁当箱を乗せられた修兵は妙な状況に渋い顔で首を傾げる。

「あの…阿近さん…この体勢なに…」

「気にすんな、とりあえずその魚寄越せ」

さっきから散々に振り回されて、いつもの事ながらこうなるともう文句を言うのも疲れて結局は絆されてしまう。
しょうもないと毎回同じ反省をしつつ、これが阿近なりの甘え方なのだから、これはこれで可愛い様な気がしてしまうから良いかと思ってしまう辺り大分毒されているのだろうけれど。

(行儀悪いよなぁ…)

そんな事を思いながらも、修兵は握らされた箸を持ち直して言われるがまま阿近ご所望のおかずを親鳥の様にせっせと口へ運んで行った。
























一方。



「鵯州さんがしょうもない事言い出すから悪いんですよ!」

「結局怒られたじゃねぇか」

「おい、お前ら卑怯だぞ!阿近の弱味の一つ位握りてぇだろうがっ」

「鵯州さんいつも報告書の期限守らないから…」

「面白そうだっつって乗ったの誰だ!」

「「「「えぇ〜…」」」

「でも…阿近さんって、甘えるんですね…」

「……あの鬼が…」

「鬼がな…」




「「「「………」」」」












― 終 ―





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