これまでのお話より時間軸を少し遡ります。
拳西が戻ってからすぐの二人のお話。



























一度目は、全隊の隊長及び副隊長召集の元で執り行われた着任式。


「九番隊隊長、六車拳西」


山本総隊長に名を呼ばれて前へ出た白い羽織の後ろ姿を仰ぎ見て、広い背中に刻まれた数字を目にした時だった。
万感の思いに溢れ出してしまいそうになった熱い物を、ただただ必死で胸の奥へと抑え込んだ。




二度目は、隊主室にて迎え入れた時。

情けなく歪んでしまいそうになる顔を隠したくて、ぐっと頭を下げて出迎えをした己の髪を大きな掌がくしゃくしゃと撫でた時だった。

温かな声音で呼ばれた名と、" おかえりなさい "と" ただいま "に、込み上げて来る物をぐっと堪えていつまでも顔を上げる事が出来なかった。














「最近片してなくて、散らかってるかもしれませんけど…」

苦笑を漏らしながら申し訳無さそうにそう言って、修兵は拳西を己の私邸へと迎え入れた。

午前中に執り行われた着任式を終え、引き継ぎ業務だの挨拶回りだの各種手続きだのを終えて漸く帰宅の途につけたのはもう日も暮れる頃だった。
復隊した各隊長達を迎え入れるに関して大まかな必要手続きや事務処理は終えたものの、住まいやら何やらの物理的な面での準備がすぐに整う筈もなく。
住居諸々の手配が済むまでは、皆其々自隊の隊主室を間借りしたり己の副官の元へ一時的に身を寄せると言う事になっていた。
それだから、拳西は当然言われるまでも無く修兵と共に居る事を望んで今に至る。

「気にしねぇさ、邪魔するぞ」

案内されるまま上り込んでぐるりと部屋を見渡した拳西の目が僅かに見開かれた。
ここへ来る道すがら近頃は忙しくて寝に帰るだけだったと言う話も聞いていたし、" 散らかっている "のだと言うものだからそれなりの状況を想像していたのだが、その予想以上に整然としている。
整然…と言うよりは寧ろ、閑散としていると言う表現の方が当てはまるかもしれない。

物が無いのだ。

勿論必要最低限の生活用品はちらほらと見受ける事が出来るものの、無駄なものが一切無い。
片付けられているどころか物寂しささえ感じさせる修兵の私邸は、人の出入りが極端に少なかったせいでその寂寞とした空気を助長させていた。
主が居ない家は少しずつ朽ちて行くと言う。
拳西は己の背中へすっと冷たい物が流れ落ちるのを感じて、この有様の訳を迷いなく修兵へと訊ねた。
逃げ場を与えない拳西の声音に、修兵は困った様に苦く笑いながらまるでなんでもない事の様に話し始めた。

「色々ありましたから…いつ俺自身に何があっても良い様に、一度簡単な身辺整理をしたんです」

いつも命の危険と隣り合わせの環境で、己や修兵の様な立場に居る死神達は皆各々それなりの準備をしておく事を心得にはしているけれど、こと修兵に関してはそれが少し過剰なのではないか。
言葉を出せないままでいる拳西の脳裏へ、今日修兵から預かった数冊に及ぶ引き継ぎ用の分厚い資料が過ぎる。
それを見た拳西が目を瞠る程、たった一日二日で纏めた量だとは思えない書類の束だった。
" いつ俺自身に何があっても "と言う言葉の通り、完璧過ぎる程に整えられていた準備に拳西の胸中を鈍い痛みが苛む。

「あの…俺夕食の準備して来ます」

流れる沈黙に気まずさを覚えて台所へ足を向けようとした修兵を、拳西が腕を掴んで制した。

「俺がやってやる。良いだろう?宿代だ」

そう言って難しい顔を解いた拳西はニッと片方の口角を吊り上げて、修兵を居間に押し込んでさっさと準備に取り掛かってしまった。











それから、久しぶりに拳西手製の料理を二人で囲んで和やかな夕餉を終えると、ちょっと付き合えと言う拳西の一言で場所を縁側に移動した。
簡単な肴を用意して、寄り添いながら冷酒の盃を傾ける。
こうして再びこちらの世界で庭を眺めながらゆったりとした時間を拳西と過ごせている事に、修兵は感慨深い様な、それでもまだ夢見心地の様などこかふわふわとした気持ちを持て余していた。

「懐かしいな…」

自分の肩に凭れる修兵の髪を撫でながら静かに盃を傾けていた拳西が、不意にぽつりと呟いた。
己を取り巻く空気も、頬を撫でる風も、煌々と月の照る夜の空も、やはり現世のそれとは全く違う匂いを呈していて、胸の奥へすっと降り積もって行く様な郷愁を覚える。

「百年…ですから…。俺、またこうして拳西さんとここに居られて今凄く幸せなんです…」

夢みたいでと言う修兵の言葉を否定する様に、拳西は修兵の柔らかな頬を軽く抓ってやる。

「夢じゃねぇよ。それに、俺もだ…」

痛い痛いと笑いながら拳西の手を放させようとする修兵の顔は言葉通りこの上なく幸せそうで、だけれどその中には積み重なった色濃い疲労の影も滲んでいた。

拳西が嘗ての九番隊へ復帰してまず始めに驚いたのは、修兵がこれまでこなして来た仕事量の並外れた多さだった。
現世での逢瀬を重ねている際、" 隊士達には頼りっぱなしだ "といつも口癖の様に言ってはいたけれど、修兵の性質上一番の負担が己へ掛かる様に立ち回っているであろう事は簡単に想像がついていた。
どれだけ疲れた顔を隠し切れぬまま会いに来ても、ここへ来ると気持ちが安らぐのだと言う修兵の言葉に、ならばひと時だけでも安寧の場所をただただ与えてやりたいと過ぎた詮索はしなかった。
喪失も絶望も無力さも己では処理し切れぬ程味わいながら、それでも歯を食い縛って九番隊を纏め上げて来たその労力に要した精神力は一体どれだけのものだったのだろうか。
だけれど今、かつて自分を温かく見守ってくれていた彼らが帰還をした事、幼い頃から焦がれ続けていた場所に立てていると言う事、そして何よりこの先もずっと拳西の傍に居られるのだと言う事実が、ずっと修兵の胸の内へ蓄積していた重たく黒い澱を少しずつ溶かして解いて行く。

現世で彼らの元を訪れる修兵は、微塵も辛さや疲弊を拳西達に見せる事はしなかった。
その分存分に甘やかしてやりながらも、拳西はそんな修兵へ随分ともどかしい思いもしていたのだ。
だから、今こうして修兵がそんな素振りを隠す事もなく己に身を預けてくれている事が嬉しかった。
ふとすれば泣き出してしまいそうな程に情けなく下げられた修兵の目尻を、拳西は慈しむ様な気持ちで見下ろした。

「修兵…ありがとうな」

九番隊の誇りを護ってくれて、自分を待っていてくれて。
拳西はその一言に全ての想いを精一杯に込めて伝えた。
ぐっと何かを堪える様に修兵の唇が噛み締められる。
それを見た拳西が徐に体を放すと、腕を広げながら己の胡坐の上をぽんと叩いた。

「来いよ、懐かしいだろ?」

その言葉に、修兵の中へ幼少期の記憶がぶわりと蘇る。
まだまだ夜風に鳴る物音に怯えていた様な幼い頃、やんちゃをして拳西に叱られてはわんわんと泣いて、そうして泣きべそをかく度に拳西の膝の上で広い胸にしがみ付きながらあやされていた。
修兵はそんな思い出に恥ずかしげに頬の辺りを掻いて困った様な笑みを零す。

「俺、泣いてなんていませんよ…」

それにもう子供じゃないのだと、そう言いながらも、修兵は促されるまま拳西の膝を跨いでその背中へ両腕を回してぎゅうとしがみ付いた。
何処か必死さを滲ませて縋り付いてくる仕草に、拳西の胸へ熱い物が込み上げる。

「なぁ、修兵…」

静かに名を呼ぶ拳西の声を耳の奥で受け止めて、小さく頷いた。

「良く頑張ったな」

途端、修兵の肩が強張り拳西の肩口に触れている喉元が息を詰める。
ぽん、と、震える背中を掌で一つ叩いてやれば、それを合図にして修兵の中で長い間ずっと堰き止められていたものがどっと溢れ出した。

「…っ、………!」

自分の肩口が温かく濡れていく感触に、拳西は細い体をより一層強く抱き締めた。
声を殺して静かに涙を流す修兵の背を、労わる様にして擦ってやる。
迷い、罪悪感、孤独感、得体の知れぬ焦燥感、空虚。
" 副隊長 "である己を鼓舞する為に押し固めてどこかへ追いやってしまっていた物が、拳西のたった一言で見る間に綻んでいく。

「…さ…ぃ」

「ああ…」

「…えり、なさい…っ」

「…随分待たせちまった」

「おかえりなさい…っ!」

「ただいま」

今日二度目のその言葉を何度も何度も口にしながら、修兵は互いの隙間を埋める様にして拳西の背へ回した両腕へぎゅっと力を込める。
長い間零す事が出来なかった涙と共に鬱積した全てを流してしまえる様に、そうしてまた二人で何もかもを共有出来る様に、拳西は修兵の慟哭が止むまでひたすらに震える背中を撫で続けた。












「落ち着いたか?」

「はい、すみません…」

しゃくり上げる様にしていた呼吸も漸く落ち着いた頃、修兵は痛々しい程真っ赤になってしまった目で申し訳無さそうに拳西へ謝罪を述べた。
そんな修兵の額を、拳西の指先がビシリと弾く。

「イタッ!」

「お前な…こういう時は謝んなって言ってんだろう、何て言うんだ」

「あの…ありがとうございます…」

「そうだろうが」

泣き過ぎて酸素の足りなくなったぼんやりとした頭で、修兵は額を押さえながらふわりと微笑んだ。
蟠りが洗い流されたせいだろうか、その表情はすっきりと晴れやかで、久々に見る屈託の無い笑顔に惹き付けられる様にして拳西は修兵の唇へと己のそれを重ねた。

「ん…っ」

いつもよりも甘えた仕草で口付けを請う修兵に応える様に、拳西も啄むものから少しずつ深いものに変えていく。
元より酸欠気味になっていた修兵の意識がくらりと揺れそうになる頃、拳西は名残惜しげに唇を放してコツリと額を合わせながら頼りなく泳いでいる視線を捉えた。

「修兵、お前はこれからもっと俺にも隊士達にも頼って甘えろ。お前は今でも十分と思ってるのかも知れねぇが、それじゃあ駄目だ。それに、俺がそうされてぇんだ、分かったな?」

「…はい」

そう言って、再び拳西の胸元へ摺り寄せる様にして顔を埋める。
長い時間泣いていたせいで掠れてしまった声と、未だに涙の膜を張って潤み切った双眸を向けて来る修兵の殊勝な仕草に、拳西は情欲へと熱が集まり掛けている己を自覚した。
だけれど、今日一日随分と慌ただしかった上に、今の状態では修兵の体力もかなり消耗している筈だ。
衝動のままに暴走をしてしまいそうになる己を胸の中で叱咤して、拳西はゆっくりと修兵の体を放す。

「疲れただろう、今日はもう寝るぞ」

そう言って床に就く準備に取り掛かろうと立ち上がりかけた拳西の袖を、修兵が引き留める様にしてきゅっと掴んだ。

「…おい」

「拳西さん…」

どうしたものかと躊躇っているその耳の奥へ、修兵のとろりとした声音が流れ込む。
拳西の中に燻る情欲の欠片を敏感に感じ取った修兵は、それを散らすまいとして再び拳西の腕へ己の両腕を巻き付けた。
縋り付く様にして見上げて来る修兵の熱っぽい視線に、拳西は顔を覆って溜息を吐いてしまいたくなる。

「修兵…今日は休んだ方がいい」

「俺なら…」

「…、…優しくしてやれる自信がねぇんだ」

「良いんです…っそれでも…拳西さんに触れて貰いたいんです…」

拳西は今度こそ片手で顔を覆うと、真っ直ぐに射抜いてくる修兵の視線から逃れる様にして項垂れた。
修兵の為だと、己の中で必死に抑止していたものががらがらと音を立てて崩れ去って行く。

「それに…今は拳西さんも俺も義骸じゃないんです…だから…っ」

その修兵の言葉に、拳西は息を飲んだ。
修兵の言う通りだ。
再会を果たして現世での逢瀬を重ねていた間も、当然ながら体も幾度か重ねていた。
いくら満たされた時間を過ごす事が出来たとして、それは偽りのイレモノ同士での情交に過ぎない。
だけれど、今ならば本当の意味で修兵と触れ合い体温を与え合う事が出来るのではないか。
永い永い時を経て、ずっとずっと焦がれ続けて来た温かさに触れる事が出来る。
そう思い至ればもう堪らなかった。
拳西は修兵へ向き直ると、自分を引き留めていた腕をぐいと掴んで、髪に、頬に、額に、鼻先に、一つ一つへ愛しさを込めながら口付けの雨を無数に降らせていく。
その柔らかくて温かな感触に、修兵は不安そうに強張らせていた表情を緩めて幸福そうに微笑んだ。

「なぁ、修兵…百年分触れてやるから、覚悟しろよ?」

「…っ!俺もです…」

真っ赤に上気した顔で強がりを言う修兵に、ふっと息を吐いて笑う。
拳西は己が本当に帰って来る事が出来たのだと言う深い感慨が全身へと沁み渡るのを覚えて、もう二度と手離すまいと誓いながら大切なものを扱う様に愛しい温もりをそっと抱き上げた。






















「来週には越すから、お前も準備しとけよ?」

「…?はい、勿論お手伝いは…」

「そうじゃねぇ、俺は" お前ごと "引っ越すって言ってんだ」

「……え?」

「一緒に住むって事だ、分かるだろう?」

「あ…はい!よろしくお願いします…っ」

「おう。…ってこら、まだ泣くのかお前は」

「だって…っ」

「はっ、しょうがねぇなぁ…」








― 終 ―





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