「浮竹隊長、檜佐木です」
「ああ、入ってくれ」
雨乾堂の障子戸越しに声を掛けた修兵の耳へ、室内からこほんと言う軽い咳払いと共に浮竹の声が届く。
「失礼します」
静かに障子を引いて中へ膝を進めれば、敷布の上で上体を起こしている浮竹に付き添う様にしているルキアの姿があった。
「檜佐木殿!」
「おう、お疲れさん」
互いに軽く挨拶を交わす。
まだ真新しい副官章を付けて髪を短く切り揃えた彼女の佇まいは、以前よりも大人びた印象を修兵へと与えていた。
良質な生地の質感から察するに朽木家のものなのだろうか、純白の斬魄刀を持つルキアにスラリとした腕を覆う白い手甲が良く似合っている。
「お加減いかがですか?」
「もう大分良いよ、ありがとう。どうにも季節の変わり目には弱くてねー…」
苦笑いを浮かべる浮竹自身の言う通り、青白かった頬には元の血色が戻っていて、起き上がれている分なかなかに調子は良くなったのだろう。
"浮竹隊長が倒れた"と聞いて見舞いへ飛んで来た時には、本人以上に顔を青くしたルキアや仙太郎や清音以下隊士達が何事かと思う程てんやわんやで看病に奔走していたものだ。
季節の変わり目だ、とは言うものの、肉体的な疲労にこの優しい男を内から苛んでいた心労も加わっていつも以上にぐったりと床に臥せていたので、やっと血色の戻った浮竹の顔を見てほっと安堵を覚えた。
「これ、お見舞いです」
「ああ、いつも済まない」
そう言って差し出された手土産を受け取った浮竹の目元が綻ぶ。
いつも浮竹が利用しているお気に入りの茶菓子屋の水羊羹だ。
「今お茶でも淹れるよ、せっかくだから三人で一緒に食べよう」
「いえ、お茶なら俺が」
起き上ろうとする浮竹を制した修兵を、今度はルキアがすっと立ち上がって留めた。
「私が淹れて参りますので、檜佐木殿はどうぞごゆっくり」
「ああ…悪いな」
静かに部屋を辞したルキアの背中を見送って、修兵は感心した様な溜息を漏らした。
「朽木、副隊長になってからなんだか落ち着きが…と言うか、貫禄が増しましたね」
「うん、頼もしいだろう。すっかり甘えさせて貰ってるよ」
そう言う浮竹の表情はとても嬉しげで、自然修兵の頬も緩む。
ふと見た枕元には、水を張った木桶の中で氷と一緒にアヒルとピンク色の兎のオモチャがぷかぷかと浮かべられていた。
貫禄云々の話をしたもののそこはやはりルキアらしいと言うかなんと言うか、相変わらずな部分に思わず笑ってしまいそうになる。
「檜佐木君の方は最近どうだい?」
そう訊ねた浮竹の声音と表情で、それが拳西との事を差しているのだとすぐに察しが付いた。
それを受けて、少しばかり気恥ずかしげに苦笑を漏らした修兵の目が伏せられる。
「本当なら俺がもっとサポートしなきゃいけないと思うんですけど、俺も…と言うか、俺の方こそ凄く甘えさせて貰ってる感じです」
「そうか…、それは良かった!」
当人はまだまだ至らないのだと謙遜をしてばかりいるけれど、実際には十分過ぎる程の完璧な仕事ぶりで隊長職を補佐しているのだと、浮竹は拳西本人の口から聞き及んでいた。
以前まではオーバーワーク気味の修兵に上手く歯止めを掛けてやる事が難しく随分ともどかしい思いもしていたけれど、今ならばすぐ傍にあの男が付いていてくれる。
漸く修兵が全てを預けて甘えられる場所を取り戻す事が出来た事を、浮竹は心から喜んでいた。
「向こうで、会いに行っていたんだろう?」
そう言われて、修兵の心臓がドクリと小さく跳ねた。
まだ事の一連の最中だった現世で再会を果たし、それからは居てもたってもいられず忍ぶ様にして彼らの元を訪れていたのだ。
事情が事情であるだけに口外無用にしていたけれど、浮竹ならばそんな自分の行動など見抜いているだろう事は修兵にも薄々感づいていた事で。
それでも、これまで何も言わずにいてくれた浮竹には心の中で密かに感謝をして甘えてしまっていた。
「はい…すみません、勝手な事をして…」
「良いんだ、謝る事じゃないさ」
幾ら再び会う事が出来たとは言えど、尸魂界と現世と言う隔たりの中でただただ先の見えない逢瀬を重ねているのは苦しさもあった筈だ。
だけれど、もうそんな不安定さを抱える事もない。
これから彼らは同じ世界で、永い永い時を寄り添って共に歩んでいく事が出来る。
「そうだ!!」
突然何かを思いついた浮竹がぽんと掌の上で拳を打って声を上げた。
「せっかくだから祝言でも挙げるか!」
「は……?えぇえぇぇぇっ!?」
余りに唐突な浮竹の提案に、一瞬理解が遅れた修兵の絶叫が雨乾堂に響き渡った。
「せ、せっかくってなんですかそれ!!」
「ほら、ここの所明るい話題が少なかった事だし」
「だからってそんなっ!!!」
「失礼します」
タイミングが良いのか悪いのか、三人分の茶を乗せた盆を手に戻ったルキアが真っ赤に上気した修兵の顔を見てきょとんと首を傾げた。
「檜佐木殿、どうかされたのですか?」
「い、いや、なんでも…!」
「いやぁ、実は檜佐木君に祝言でも挙げないかと提案していたんだ」
「う、浮竹隊長!!」
途端、より一層慌てふためいて顔を茹だらせた修兵に構わず、ルキアの顔がぱっと輝いた。
「祝言ですか、それはおめでたいですね!ならば、兄様にもご協力をお願いしてはいかがでしょう!」
白哉の名を出したルキアに修兵は飛び出さんばかりにぎょっと目を見開いた。
そんな事になればあらぬ所で話が進んでしまうばかりかコトが二重にも三重にも大きくなってしまうのは目に見えている。
「ちょっ、待て朽木!そんな事したら話が大き」
「それは良い!いやぁ楽しみだなぁ」
「いや待っ…!」
「檜佐木殿ならば大振袖も白無垢もきっとお似合いになるかと!」
ルキアが興奮に頬を染めながら目をキラキラとさせて己の上司に提案をする。
「え…俺そっち!?」
「そうだなぁ…、なんなら六車にも選ばせるか」
「いえいえ、それではせっかくの当日の楽しみが半減してしまうと言うものでは…!」
「ちょ…っほんと勘弁してください…!」
(駄目だ…ここの隊トップが二人とも天然だったんだ…)
ほぼ本人が不在のまま話をサクサクと進めている浮竹とルキアに、入り込む隙間を完全に失った修兵は真っ赤になったままの顔を手で覆いながら溜息を吐き出した。
「浮竹、邪魔するぞ」
障子戸の外から届いた声に、ぴたりと三人の動きが停止した。
すっと開かれた障子をがばっと振り返った修兵が盛大にどもる。
「け、けけ拳…っ隊長!」
「なんだ、どうした…?」
「六車隊長!」
「ちょうど良かった!実は今」
「うわー!いや、何か御用事でも…!?」
いつになく慌てながら大きな声を上げて浮竹とルキアの話を遮った修兵を不思議に思ったものの、拳西は当初の目的を思い出して部屋の中へ足を進めた。
「ああ、話の途中で悪ぃな。ちっと探しもんがあってよ」
「あ!もしかして御連絡頂いてました!?」
拳西の言葉に、修兵ははっとして胸元に携えている伝令神機に死覇装越しから触れた。
「いや、してねえ、気にすんな、浮竹の顔も見に来たんだ。ずっと臥せってるって聞いてな、でも顔色が良さそうだ」
「ああ、もうすっかりだよ、わざわざ済まない」
浮竹は先程修兵から見舞いの言葉を受けた時と同じ柔和な笑顔を拳西へ向けた。
「すみません、今すぐ戻ります。それでは…」
そう言って浮竹とルキアの方へ頭を下げる修兵の髪を、拳西は何の気も無しに武骨な手付きでくしゃくしゃと撫でた。
そんな拳西の仕草を見た浮竹が、二人の背中を見送りながら嬉しそうに微笑む。
「変わってないなぁ、あの癖も」
「悪ぃな修兵、お前がいないと何が何処にあるのか分からん」
「あはは、喜んで良いのか駄目なのか分かんないです」
「俺が探したら引っ掻き回しちまいそうだしな」
「拳西さんらしいですね」
「そう言やぁアノ書類なんだが…」
「ああアレはもう昨日の内に…」
閉められた障子戸の向こうで、阿吽の呼吸でアレだソレだと会話をする二人の声が少しずつ遠ざかって行く。
その会話の端々へ興味深そうに耳を澄ませながら、ルキアがうんうんと頷いた。
「祝言、と言うよりは…寧ろもう熟年夫婦のようですね…」
そうしみじみと呟く。
それを聞いた浮竹が、余りに的を得たルキアの感心の仕方に盛大にお茶を吹き出してしまった。
(今度あの二人にそう言ったらどんな顔するんだろうなー…)
想像出来る二人の色んな反応を思い浮かべて、浮竹はまた一つ増えた楽しみに目を細めながら微笑んだ。
― 終 ―