剣八の髪は綺麗だ。

と、常々修兵は思っている。

最初にあの男と間近で対峙した時、元よりある身長をより増長させる様に逆立てられた長い黒髪は、修兵へ随分と硬質な印象を与えていた。
おまけに鈴なんぞがきっちりと固定されていて、何とも言えない威圧感を受けたのを覚えている。
それが、いつの間にか思ってもみなかった様な関係になって、誰よりも近くで触れられる場所を得てから今まで持っていた印象が一変したのだ。
初めて湯上りの剣八の髪に触れた時の感動は、それまで持っていた印象が印象だっただけに修兵へ大きな衝撃を与えたものだ。
確りとした重量感はあるものの、思っていたよりも余程柔らかく触り心地が良い。
サラリと指通りの良いその長い髪に驚いてまじまじと眺めれば、傷みは殆ど見受けられなかった。
”固形の石鹸で適当に洗う”のだと言っているにも関わらず、まるでちゃんと手入れの行き届いている様なしなやかな黒髪だ。
一辺でその手触りを気に入ってしまった修兵は散々に弄り倒した挙句、耐え兼ねた剣八に鬱陶しいと手を振り払われてしまう事もしばしばだった。

だけれど、それ以来すっかり癖となってしまって、今でもこうして隙を見つけては下ろされている剣八の髪を指先で梳いて遊んでいた。

床に就いて抱き込まれている腕の中から、剣八の肩や首筋に掛かっている髪に触れるべく手を伸ばしている。
与えられた玩具に夢中になる子供の様に、指先で掬ってはさらさらと逃げて行く感触を繰り返し楽しんでいた。
修兵の長い指の間を張り艶のある毛束がくすぐる様にしてすり抜けて行く。

「…おい、そんなに好きか」

気怠げに詰まらなそうな声を上げる割には、止めさせるでもなく修兵の好きにさせてくれている。
剣八のがっしりとした肩や鎖骨の辺りを気紛れに滑り落ちて行く黒髪は、何とも言えない男の色気を体現している様だった。
それにうっとりと目を奪われながら、なおも触れては梳く動作を繰り返す。

「だって気持ち良いんですもん…」

それに、鈴を外した剣八の髪に触れられるのは自分かやちる位なのだから、その特権は存分に使わなければ。
そんな事を素直に伝えれば、剣八は呆れた様にはっと短く嘆息した。

「なんだ、気に入りなのは髪だけじゃねぇだろうが」

修兵の腰へ回していた手がするりと腿の方を辿る様に落ちて行く。
ニヤリと口端を吊り上げた剣八の顔を少し睨む様に見上げながら、空いている方の手でパシリとその手の甲を叩いた。

「ちょ…っ、もうしませんよ」

まだこうしていろと目で制して来る修兵に、剣八は面白く無さそうに片眉を上げた。
それでも強引に事を進めようとしないのは、長年に渡って根気良く施された修兵の教育の賜物と言った所か。

「もうちょっと…」

大人しく手を元の位置に引っ込めた剣八に満足をして、修兵は再びその髪に触れる。

(今度…三つ編みしたい、とか言ったら…凄い嫌がるんだろうなー…)

心地良さに微睡んでそんな事を思いながら、剣八におさげを施している所を想像してその有り得ない様相に修兵は思わずふっと吹き出した。
そんな修兵を訝しげに見下ろしている剣八の視線を余所に、長い髪へ指を絡ませながら少ずつ落ちて行く意識に抗えず、修兵はそのまますーっと寝息を立て始めてしまった。

「…なんだ、寝ちまいやがったのか」

いい歳をして子供の様だとそれこそ本当に呆れながら、剣八は修兵の猫っ毛をくしゃくしゃと乱暴に掻き回す。
己の髪に絡んだままの指は外さずに、剣八も手枕を解いてそれへ倣う様に意識をゆったりと手離して行った。










* * * * * * * *









縁側で日の高い内から酒を煽って大きな背中を向けている後ろ姿に、修兵は常とは異なる違和感を覚えて首を傾げた。
逆立て気味の長い黒髪は相変わらずだが、その毛束の先へいつも取り付けられている筈の小さな鈴が見当たらない。
いつもよりも無造作に後ろへ流されている髪が、後ろ姿からでも剣八の野性的な雰囲気を一層匂い立たせていて心臓が跳ねた。

(なんだろ、気分転換か何かか…)

長年崩す事の無かった髪型を変えた理由をなんやかんやと考えながら、修兵はその背後から足を忍ばせて近付いた。
日頃下ろされている時以外に、髪、もとい鈴に触れられるのは嫌がられるだろうからと、誰に言われるでもなく自然手を触れるのは避けていたのだけれど、今ならば良いだろうか。
時折風に揺られている長い髪に誘われる様にして、修兵は後ろからそろりと手を伸ばした。


途端、


「うぉあっ!?」


反転。


「何こそこそしてやがる」


背後から伸びた手首をむんずと掴んで、剣八は驚いて声を上げる修兵を己の膝の上へ引き倒して横抱きに捕まえてしまった。
急に反転した視界に心臓をバクバクと跳ねさせながら、驚いたのとこの体勢への恥ずかしさとで修兵の顔にさっと熱が集まる。

「なっ、何するんですか!」

「そいつぁ俺の台詞だ、何してやがんだお前は」

ニヤニヤと口角を吊り上げる凶悪な顔に真上から覗き込まれて、剣八の胸元を押し返しながら思わずぐぐぐっと腕の中で後ずさった。

「いや、あの…鈴…」

「ああ?鈴だぁ?」

何を言っているのかさっぱり見当がつかないと言う風に、今度は剣八が首を傾げる。
そんな剣八の反応に、修兵はその髪を指差しながら"これ"だと訴えた。

「なんだ、そんな事か」

「なんか、鈴無いの新鮮で…ちょっと触ってみたくなったと言うか…」

「だったら堂々と触りゃいいじゃねぇか、別に跳ね退けやしねぇよ」

「ははっ…そうですよね…」

どことなくバツが悪そうに笑いながら、ならば存分に触らせて貰おうと、修兵は己を捕まえている剣八の腕を擦り抜けてその背後へ回り込んだ。
剣八の後ろで膝立ちになり、愛用している細い柘植の櫛を懐から取り出す。

「髪、梳いても良いですか?」

「好きにしろ」

剣八はちらりと後ろに視線をやってそれだけ言うと、中断されていた手酌を再開した。
大人しく背後を預けてくれている事に満足をして、修兵はその後ろ髪にさらりと櫛を通す。
少し乱れている逆毛のバランスを取ってやりながら、サラサラと櫛の間を擦り抜ける黒髪の手触りを楽しんだ。

「鈴はもう付けないんですか?」

「あぁ、気が向いたらな…」

修兵の問い掛けに対して興味の無さげな返答をする。
鈴が無い事自体、当人にとっては然して大きな変化では無いらしい。
修兵が受けた印象と剣八の意識とのギャップに、そんなものなのだろうかと、胸の内でふぅんと頷いた。

「…たまに、こうして梳いても良いですか?」

「はっ、好きにしろ」

先と同じ様にぶっきら棒な口調で返しつつも、その声音は何処となく楽しげだ。
了承を得た事に頬を緩ませながら、修兵は飽きる事なく剣八のしなやかな黒髪を梳いた。










「あ!しゅうしゅうだ!」

暫くの間ゆったりと午後の休憩時間を過ごしていた二人の目の前へ、庭の生垣から鮮やかな桃色ががさがさっと飛び出して来た。
相変わらず思いもしない所から登場するやちるに、修兵は声を立てて笑った。

「おかえり、やちるはいっつも色んな所から出て来るなー」

「うん、ただいま!なにしてるの?」

修兵の手元を覗き込んだやちるの目が、その光景を見てきらきらと輝いた。

「あたしもやってー!」

ぴょんっと勢い良く剣八の膝に飛び乗ると、袖から丸くて可愛らしいお気に入りの櫛を取り出して"はい"と大きな手に握らせる。
そうして剣八の真似をする様に庭の方へ向き直ると、しゃんと背を伸ばしてすっかり待ちの体勢を取った。

「おい、酒が零れるだろうが」

そう言って眉を顰めながらも、剣八は渋々猪口を脇へ置いて己の手には小さ過ぎる櫛を摘み上げた。
生垣の中に頭を突っ込んだせいで、桃色のそこかしこに葉っぱやら小枝がくっ付いてしまっている。
それを一つ一つ払ってやりながら、剣八はその無骨な手からは想像し難い程の器用な手付きでやちるの絡まった髪を梳いていった。
可愛らしく椿の絵付けが施されたころんとした櫛が余りに不似合いなのと普段では絶対に見られない様な剣八の動作に、得をした様な可笑しい様な複雑な気持ちになって修兵はふっと吹き出してしまう。

(可愛い…って、思っていいのか…?)

「何笑ってやがる」

「い、いや、なんでも…!」

「剣ちゃんやめちゃだめーっ!」

今にも櫛を放り出してしまいそうな剣八をぐるりと振り返って、頬を膨らませたやちるの催促が飛ぶ。
それへ渋々答えながら、再びその大きな掌がやちるの細い髪を梳いて行く。
思えば、今まであんな小さな鈴を毎朝自分で取り付けていたのだから、実はやらせれば元より器用なのかもしれない。

「やちる、今度剣八さんが髪結ってくれるって」

「ほんと!?わーい!剣ちゃん絶対ね!」

「…おい、んな事ぁ言ってねぇぞ」

「あはは」

憮然としながらも手を動かしている剣八が余計に可笑しくて、修兵は更に肩を揺らせてくつくつと笑った。



















「あ、待って待って一角!」

「ああ?うるせぇな、ここに隊長の判貰わねぇと俺の仕事が終わらねぇだろうが」

「いや、そうなんだけどちょっとさ…」

庭から続く十一番隊舎の裏手口で、弓親が一角の袖を引きながら先を指差す。
それに倣って縁側の方へ視線を寄越せば、一角は見慣れない光景にぎょっと目を見開いた。
剣八の膝の上でやちるが髪を梳いて貰っていると言うだけでも、槍でも岩でも降って来そうな程に稀少な光景だが、それに加えてあの剣八が修兵に同じように大人しく髪を触らせている。
その三人の様子はまるで仲睦まじい親子そのものだ。
あの二人がそういう仲だと言う事はとっくのとうに認識済みだけれど、いざそんな場面に遭遇してしまうとやはり驚くのは当然の事で。
自隊の隊長である剣八の日頃の印象とは随分と違う雰囲気を辺りへ振り撒いている光景は、見てはいけない様な、でももう少し覗き見たい様な複雑な心境にさせるものがある。

「あの隊長がねぇ」

口をあんぐりと開けている一角の台詞を代弁する様に、至極冷静に弓親が呟いた。

「ほら一角、判子貰って来ちゃってよ」

「…おい、今声掛けたら殺されんだろうが…っ!」

「大丈夫だって、混ざってくればいいじゃない」

他人事と思ってぽろりと適当な冗談を言った弓親が、一角の頭を見て思わずぶふっと吹き出す。
それもその筈、髪が無いのだから当然混ざりようもないわけで。
日光にきらりと反射した見事な頭皮に、ビキリと一筋青筋が浮き立った。

「おい、指差すな!!馬鹿にしてんのかお前ぇはっ!!!」










― 終 ―





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