−Si position; une pivoine−





蝦夷地へ向かう為乗船した艦に、異国の軍人が同乗していると言う話は聞いていた。
フランス陸軍士官隊員数名だ。
総裁の榎本引き合わせの元で土方が最初に顔を合わせたのは、士官隊隊長のジュール・ブリュネと名乗る男だった。
自国では目にした事のない亜麻色の髪に口髭を蓄え、こちらを見据える瞳は灰がかった青藍をしている。
異国の人間とこれ程近くで対面をしたのは土方自身これが生まれて初めての事だった。
五尺七、八寸か・・・、少なくとも六尺近くはあるだろうか。
土方も決して身の丈が低い方ではない、それに京では良く力士を目にしていた上、島田という巨漢が常に傍に付いているのだから大男など見慣れている筈だと思っていた。

−随分と、違うもんだな・・・−

毛髪や瞳の色、目鼻立ちが異なるだけでこうも受ける印象が変わるものなのかと、土方は何か異国の言葉を掛けられている事にも上の空で、ブリュネを見上げたままその顔の造りをまじまじと観察していた。
土方が意識を引き戻したのは、何かをぺらぺらと一通り言い終えたらしいブリュネに大きく無骨な両手でがっしりと己の手を握られた時だった。











広い艦内で人一人を探し出すというのも一苦労だと、鉄之助は直属の上司の持ち物である外套を手にうろうろと彷徨っていた。
落ち着きがあるようでいて存外ひとところに身を留めておいてくれない土方を探し歩くのももう慣れたものだ。

−またあそこかな・・・−

手近な所から心当たりを一通り探索し終えても見つからない時には、近頃決まって甲板に出ている事が多いのだ。
軽快な靴音を立てながら階段を駆け上がった先に見えた土方の姿に、外套を持って来て良かったと鉄之助はその背中に歩み寄る。

「土方先生、肩を冷やします」

「鉄か」

土方の先に見えた上官の姿に軽く礼をして、自分よりも幾分か背の高い軍服姿の男の肩に持っていた外套を丁寧に掛けた。
愛用の長煙管を片手に細い煙を燻らせながら、土方はこちらに視線を寄越さないまま一心に何かを眺めている。

「上手いもんだな」

「はあ」

煙管で視線の先を示しながら促す土方に従って、鉄之助はそこを恐る恐る覗き込んだ。

折り畳み式の小さな椅子に腰掛けて簡単な絵描き道具一式を広げていたブリュネが、愛用のスケッチブックに絵筆を走らせている。

そこには今目の前に広がる大洋と水平線、遙か彼方の島陰に、陽光を反射しながら点在する異国の艦が鮮やかに写し取られていた。

土方の様に日頃発句をすることも無ければましてや絵を嗜む機会などない鉄之助から見ても十分に見事と受け取れる出来栄えで、気づけば思わず感嘆の声を漏らし見入っていた。
鉄之助の反応に少し得意げな微笑を見せて振り返ったブリュネが、手に持っていたスケッチブックをぱらぱらと捲り始める。
そこには恐らく彼の故郷であろう異国の土地の風景や人々、日本の城郭、寺社、港や市街の景色、艦内の旧幕府軍の姿まで様々な光景が描かれていた。
凄い凄いと無邪気に感心をする鉄之助の横で静かに眺めていた土方が、ある一点の絵に目を止めてぼそりと一言呟いた。

「武州に似ている」

艶やかな緑や黄や土色で描かれた広大な田畑の風景に、清流を讃える川が光を反射している。

それらは瞬時にして忘れ難い遠い故郷の景色を土方の瞼の裏に蘇らせた。

頭上で呟かれた声音は随分と穏やかで、鉄之助はちらりと盗み見た土方の表情に目を瞠る。

土方は目を細めながら、郷愁を滲ませた淡く優しい微笑みを口元に讃えていた。
この戦続きの中で、こんなにも穏やかな空気を纏う土方を目にしたのは近頃では随分と希有な事の様に思える。
久しく見ることの叶わなかった表情を引き出してくれたこの異国の上官に感謝をしながら、鉄之助は知らぬ土地で温かな風と豊かな土の香りに囲まれた土方を思い浮かべていた。












五稜郭に入城してからもそれはしばしば見受けられる光景だった。

榎本や大鳥らを筆頭に、会議や調練の合間を縫って幹部連中は膝を突き合わせながら軍事や己の学を論じ合うのに忙しい。
机上での必要外の論議は不要、戦とは成して然るべきものと思っている生来が喧嘩師気質の土方はその席が全く持って肌に合わず、軍議が終わると一人早々自室へと踵を返してしまうか隊を率いての偵察や調練に勤しんでいた。

そんな中、土方と同様その席に立ち会わず自由気儘な振る舞いをする上官が居る、ブリュネだ。

ブリュネは相変わらず艦に乗船していた時と同様スケッチに精を出していた。
そんなブリュネを見かける毎に、土方は何を語る訳でも無く煙管を片手に佇みながらその手元を眺めている。
前線では鬼の様な才気と抜群の采配力を発揮して勇猛に突き進んでいくこの男の肌を切る程に鋭利な眼光が、己の走らせる絵筆の先を追っている時には随分と緩められているのを、ブリュネもなかなかに心地好く感じていた。
優越感とは当たらずとも遠からず、懐かれている様なこの状況は決して悪いものでは無かった。

ブリュネは以前鉄之助に、
−彼も絵を描くのか−と尋ねた事がある。
彼は少々躊躇いつつ、通訳の田島を介して、
−先生は、句ならば詠まれます−
と教えてくれた。
過去、横浜で伝習隊の訓練を請け負っていた等の経験もあるブリュネは、多少なりとも俳句の知識を持ち合わせていた。
寡黙なあの男が何を見て何を思いながら筆を手に取るのか興味深く、好奇心に任せて
−句を詠むそうですな−と
そう一度土方に声を掛けた。
思わぬ話を振られて瞠目をした土方は、次の瞬間に頬を紅潮させ、

−アンタの描く絵の様に秀逸なもんじゃねぇ−

と、困った様な微笑をブリュネへ向けたのだ。
向けられたこちらの頬が上気してしまいそうな程の土方のその時の表情が、胸の内に帯びた熱共々ブリュネの瞼にしっかりと焼き付いてしまった。












「おい、士官室の前だぞ、何の騒ぎだ」

朝の調練を終えて戻った土方が、廊下に屯する大勢の隊士達の姿に眉を顰める。
上官の部屋の前で私語を絶やさぬ隊士達を見咎めて解散を命じようとした土方を、集団の中から飄々とした声を発した男が遮った。

「やぁ、土方さん、あんたも見るといい」

「太郎さんまで、何をやってるんだ」

見れば平隊士だけでなく、松平や伊庭、荒井などもその中へ混ざっていた。
呆れた土方は怒鳴りつけようとしていた勢いも削がれ、何かしらを指差す松平の元へずかずかと歩み寄りそこへ目を止めた。

「なんだ・・・?」

士官室の戸の反対側に面する壁に、一枚の絵が掛けられている。
簡素ではあるがわざわざ木枠の額にまで丁寧に入れられているそれは、飾り気の無いそこでは妙に浮いていた。
色使いや筆の癖などを見れば、それが見慣れたブリュネの描いたものだと土方にはすぐに検討がついた。
ただ彼の絵が何故こんな所に飾られているのか、そちらの検討が皆目つかない。
それに、風景の一部を切り取る事の多い彼にしては珍しい、一人の女性を描いた人物画だ。


背に流れる黒く豊かな長い髪を、赤い組み紐で高く結い上げている。
濃紺の渋い単衣を緩く着付けているその白い項に艶やかな髪が幾筋か垂れ、顔をはっきりとは伺えないまでも酷く悩まし気な色気を醸し出していた。
縁から外を眺めているのだろうか、細い指に煙管を携えながら障子戸にしなだれ掛かる様に腰を下ろしている。
女性を描いたにしては片膝を立てて裾を乱しているその所作が妙に伝法で少しの違和感を与える以外、それは非の打ち所の無い程の見事な美人画だ。


「こりゃあ一献、酌でもして貰いてぇなぁ」


どこからか隊士の誰かが感嘆の声を漏らした、それに数名が頷き合っている。

しかし妙に覚える違和感が引っ掛かり、周りの男達とは別の目線で絵を凝視していた土方の顔から、さっと血の気が引いた。

見覚えが有り過ぎるのだ、赤い髪紐も、濃紺の着流しも、煙管の銀製の吸い口に施された梅の花の彫刻も。

勘違いか自惚れでなければ、これは紛れもなく土方自身を描いたものだ。

どうして総髪時代の自分をブリュネが知っているのかは分からないが、間違いなくそうなのだ。

ただ、ここで妙な反応をしてしまえばこれが土方なのだと言う事が周りの男達に知れてしまう。
自尊心と立場上、これ程までに女性的な描かれ方をしているなどとは誤っても本人が口に出来る筈などがなく、土方は心の中でブリュネへ喚き散らしに行きたい様々な暴言を押し殺しながら、何事もなくその場から立ち去ろうと踵を返した。


その肩を、恐れ知らずの男がぽんと叩く。


「いやぁトシさん懐かしいねぇ、随分と美人に描いて貰ったじゃないかぇ」


−実物の方がもっと美人だったけどねぇ−


土方の肩に手を添えまじまじと絵を眺めながら発した伊庭の言葉に、土方を含めた周りの男達の空気がぴたりと止まる。


「ああ、土方さんだったんですか、通りで雰囲気が似ていると思いましたよ」

松平の声にはっとした土方が鬼の剣幕で伊庭へぐるりと向き直り怒鳴りつける。

「伊庭てめぇ!!何余計な事言ってやがる!!!」

「なんだぇ、そんなに怒るこたぁないじゃないかぇ」

「大有りだ!!」

「この項の色気なんかそこらの女より、」

「おい、伊庭ァ、それ以上言ってみろ叩っ斬るぞ」

閻魔の様な剣幕に、ついさっき一献酌をと口を滑らせた隊士がひっと息を飲んで顔を引き攣らせた。

まるで八つ当たりの様に土方は周りの隊士達を睨みつけると、壁に掛けられていたその絵をひっぺがしてすぐ真後ろにあるブリュネがいるであろう士官室の戸を開け放った。

当のブリュネは書籍に視線を落としながら悠々とくつろいでいる。

「ブリュネ、なんだこの絵!」

目の前までずかずかと進み、手にしていた絵をブリュネの鼻先へずいと突き付けた。

「Est-ce que tu ne l'aimes pas?」

「・・・田島君は居るか」

同行している通訳を地を這う様な声で呼びつけた土方に田島はびくりと肩を竦ませながら、何事かと見物している集団を掻き分け慌てて部屋に雪崩込んで来た。

「お、お気に召しませんか、と、言っています」

「なんだ、と聞いている」

慌てて通訳をした田島にブリュネは顔色一つ変えぬまま、にこやかに何かを告げた。

「C'est un tableau de beauts」

「・・・美人画、だそうです」

途端増して青筋を立てた土方と出来る限り目を合わせぬまま、田島は必死の思いで通訳を続けた。


ブリュネの言い分としては、この男所帯で少しも女性の気配が無い所では目の保養も華も無く寂しかろうと言う気遣いであの絵を掛けたのだそうだ。
確かに、この絵を見て溜息を漏らす隊士達が多数居る辺りその効果は絶大だったのだろうが。

総髪時代の土方は、島田が話してくれたのだと言う。
土方と話をしようにも、彼がブリュネに寄りつくのは大抵絵に集中をしている時だ。
それ以外と言えば自室に籠もってしまうか偵察、調練に忙しく、顔を合わせたと思えば通訳を介しての会話をもどかしく思うのか口下手故なのかあまり多く言葉を交わす事が出来ない。
そこで、ここでは土方と一番付き合いの古い島田魁を捕まえて、決して口軽くはない男をなんとか解き伏せながら色々な話を聞いたのだそうだ。
そこで島田が語った土方の髪がまだ背に届く程に長かった頃の話を、ブリュネは実に興味深く聞いていた。

大勢の男達に紛れながらその巨体を隠す事の出来ない島田は、居心地の悪過ぎるその身を出来るだけ土方の視線から遠避けようと半歩後ずさり目を逸らしている。

場の空気にようやく慣れ始めた田島が通訳を続けた。

「私も見てみたかったと思ったんです、きっと綺麗だ」

「おい、男に言う事じゃねぇだろうが!それにこんな絵飾られたんじゃあ示しがつかねぇ!」

赤い顔をしながら声を荒げる土方を横目に、ブリュネは田島に何やら耳打ちで尋ねると、紳士的な笑みを浮かべながら、


「ヒジカタ、ビジン」


おもむろに土方の片手をすっと掬い上げて、片言の日本語を言い放った。


「キレイ」


固まる土方に、もう一言追い打ちをかける。

ずるりと力の抜けた土方の手から絵がずり落ちる直前、伊庭がさっとそれを奪い取った。

「あ、おい!返せ伊庭!」

「いいじゃないかぇ、春画じゃあるまいし」

「な・・・っ、なんて事言いやがる!!」

「そんなに恥ずかしいならおいらが貰っといてやるさね」

ブリュネを振り払った土方の手が伊庭の腕を捕まえる前に、呆気に取られている取り巻きの中をすり抜けてたったかと走り去って行ってしまった。



「・・・、伊ぃぃぃい庭ぁぁぁあああーーーーっ!!!」



浮き放題だった青筋の切れる音を立てながら、逃げた美人画泥棒の後を追い部屋を飛び出して韋駄天の如く疾走する土方を、見慣れぬものを見る様に一同ぎょっとした顔をしながら、伊庭に合掌をしつつ見送った。


常に冷静沈着で寡黙な見目好い上官の、日頃目にする事のない癇癪や全力疾走その他諸々を目撃した隊士達の中にこの日最も忘れ難いものとして鮮烈な印象を残したのは、
ブリュネに手を掬われ

−ビジン−

だと称された瞬間に頬を赤らめた土方のなんとも言えぬ無防備な表情だった。











逃げ足の早い伊庭を土方が探し回っている最中、ちゃっかり検討を付けて先回りをした松平が手附長屋の物陰でぜえぜえと息を切らせている伊庭の背後から、件の絵を覗き込んだ。

「後でこっぴどく怒られるぞ」

「はぁーっ疲れた、心臓が破れっちまう。そう言う太郎さんこそ、気になるんじゃないのかぇ?」

「ふむ」

顎に手を当てながらしげしげと眺める。
眺めれば眺める程、土方の持つ中性的な色香を忠実に表現した壮絶なまでの美人画だ。
なんとも手放し難い絵の中の肌蹴た裾から僅かに覗く白い脚に視線を釘付けにされながら、二人はこの絵を土方の手からどう守ろうか、適した隠し場所を思案しながらひたすらに知恵を絞っていた。



「ん?」

「何だぇ」

くるりと、絵を裏返した松平が額の裏に走り書きの様に書かれている異国の文字に目を止めた。

「これは・・・どういう意味だ?」

「さあ・・・後で田島君にでも聞いてみるかい」








Si position; une pivoine

Si s'assied; une pivoine

Un chiffre de la marche est le lis






立てば芍薬

座れば牡丹

歩く姿は百合の花





− 了 −





←back


「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -