あれだけ会いたいと思っていた相手を目の前にして唐突に逃げ去ってしまった自分の不審過ぎる行動に、修兵はぐったりと自室の壁へ手を付きながら項垂れた。

(俺は馬鹿か…)

大の男がなんたる様だ。
たかだか身長差一つ、とは言えど、今までほんの少しだけ見下ろしていたあの琥珀色の目に真っ直ぐ射抜かれた衝撃はなかなかのもので。
一護がああして着実に男らしく成長を遂げて行くのは喜ばしい事なのだろうが、修兵にとっては少し複雑な気持ちがしてしまう。
それにしても、急に逃げて来てしまった上に手にしていた仕事用の書類を資料室へ全て落として来てしまった。

「…どう言って戻りゃいいんだ」

「恋次が片付けんだろ」

「のわあっ!?」

突然背後からした声に奇声を上げながら飛び上がる。
がばりと振り返れば、自分を追って来たのだろう、一護が腕を組みながら呆れた様な顔でこちらを見ていた。

「何してんだよ檜佐木さん、急にいなくなっちまうからびっくりすんじゃねぇか」

「そ、そっちこそ脅かすんじゃねぇよ…!」

「どうしたんだよ檜佐木さ」

「待て!来るな来るなっ、そこから動くな!」

こちらへ近付いて来ようとする一護の言葉を遮って、修兵は背をべったりと壁へ付けながらぶんぶんと片手を振って牽制した。
そんな扱いを受けて一護はぽかんと口を開けながら眉を寄せている。

「はあ?何言ってんだ…っつーか…」

ニヤリと、吊り上る口端。

「もしかして檜佐木さん、照れてんのか?」

「なっ!違…っ!」

絶句をする修兵に構わず一護はじりじりと距離を詰めて、トンと、修兵の背後へ手を付き壁と己との間にその体を閉じ込めた。
至近距離で正面から覗き込まれて、修兵の目が忙しなく泳ぐ。

「やっとアンタに追い付いたんだ、逃げんなよ」

取り繕う暇も与えられず狼狽える修兵に対して、一護は至極嬉し気だ。

「なぁ、檜佐木さん…」

さっきよりも耳元で感じる、聞き慣れている様でも何処か新鮮な響きを伴う声に身を竦ませる。

「っ!無駄に成長しやがって…!」

この距離で上気した顔を悟られまいとする事は不可能だろうが、それでも修兵はせめてもの強がりで一護をぐっと睨み付けた。
それを受けて益々一護が不敵な笑みを色濃く見せる。

「多分まだまだ伸びるぜ?急に伸びっから膝とか肩とか凄ぇ痛ぇんだ」

「そんなもんなのか…?」

首をコキコキと回して見せる一護に、修兵はへぇと不思議そうな顔をする。
ゆっくりと長い時間を掛けて変化していく死神にとって、刹那を生きる人間の、その上成長期である一護のそれは理解し難い感覚だった。
ふと、僅かばかり修兵の表情が陰る。

「檜佐木さん?」

「いや…俺はそうそう変わらねぇのに、お前はそうやってどんどん成長して行くんだなと思って…」

そこにあるのは絶対的に交わらない互いの時の流れや身を置く環境の差で、それを時折まざまざと見せ付けられた時に派生するのは、この年若い青年を自分の元へ繋ぎ止めている事へのチクリとした罪悪感と戸惑いだ。
一護はどう思っているのだろうか。
いつも自分ばかりがこんな感情を悟られてしまって、その度にそれを払拭してくれるのもやはり一護だ。
いつもの癖でぐるぐるとまた思考を巡らせ始めた修兵の額に、ゴチンッと、大きな衝撃が走る。

「痛ぇっ!何すんだ馬鹿野郎!」

渋い顔をした一護からの頭突き一発と、降って来る大きな溜息。

「馬鹿はこっちの台詞だ、また余計な事考えやがって。檜佐木さんがビビる位男前になってやるから待ってろっていつも言ってんだろ、だから覚悟して俺の成長過程ちゃんと見とけ」

そう言う一護の顔は、修兵の心臓を再び跳ねさせるのにはもう十分な程男の顔をしていて。
ああ、それはそれで余計心臓に悪いなとも思いながら、やはり簡単に言ってのけられてしまった事に苦く笑った。

「だからさ、素直に喜んでくれよ」

宥める様にそう言って、一護は未だ眉を下げている修兵の額へ、自分のそれをコツリと合わせた。
同じ高さでぴったりと合わさる視線。

「なんか新鮮だな」

言いながらニヤリと一護の唇の端が上げられる。

「身長差あるまんまじゃこんなん出来ねぇだろ?」

―これやりたかったんだよなぁ―

ぱっと修兵の頬に血が昇り、下げられていた眉が途端に寄せられた。
やはり、少し面白く無いかも知れない。
まだこちらの身長の方が一護よりも勝っていた時、一つ目線の低い相手の肩口に顎を乗せて甘えられる様なその差を修兵は気に入っていた。
そんな恥ずかしい事を告げた事はないし今も言うつもりは勿論無いのだけれど、所謂精一杯の年上としての矜持と言うやつだ。
思わず両手で顔を覆い隠してしまいたい衝動に駆られるも、こう身を寄せられてしまっていては叶わない。
それにしても、

「お前が案外恥ずかしい奴だってのが段々分かってきたわ…。勘弁してくれ…」

「満更でも無ぇって顔して言う台詞かよ」

「…うるせぇ」

そんな言葉とは裏腹に、修兵は合わされている額へ更に自分のそれを摺り寄せて一護の背に緩く腕を回して見せた。
ゆったりと力を抜きながら身を預けていた修兵の背を、一護の体温の高い掌がすっと這う。
そのまま背骨を一つ一つ辿る様にして腰元まで降りて来た手に、背筋がぞわりと粟立った。

「ちょ…っと待て、俺まだ仕事中!」

「分かってるって」

何度か修兵の背を撫でてから合わせていた額を離してそれを修兵の肩口に埋め、ぎゅうぎゅうと閉じ込める様にして抱き着いた。

「今日ずっとこっちに居るから、檜佐木さんの部屋で待ってていいか?」

パタパタと尻尾を振り切らんばかりのその姿は、まるで自らにお預けを課している忠実な犬っころの様で、修兵は思わずふっと吹き出した。

「あぁ、いいぜ」

そう言って、修兵は思いきり甘やかす様な口付けを一護の蟀谷の辺りへ軽く落とした。
途端、先程まで見せていた余裕綽々の態度は何処へやら、一護は狼狽えながらその耳元を赤く染めて誤魔化す様に益々強く抱き着いた。

「っ!お、おう…良し!」

そんな一護に修兵は軽く声を立てて笑いながら、なかなか離れようとしない橙色の後頭部をくしゃくしゃと撫でた。

(やっぱりまだまだガキだ)

あっと言う間に追い抜かれてしまいそうな身長はやはり悔しいけれど、きっとこの先もこんな関係は変わらないのだろうと思えばそれはそれで良いかも知れない。

「お前、旅行だの講習だので疲れてるんじゃないのかよ」

「疲れてるから檜佐木さんに会いに来たんだろ」

「…しょうがねぇ奴」

(今日早や上がりに出来っかな…)

そんな事を思いながら、今頃無駄な仕事を増やされた恋次が渋々片付けているであろう書類の山の事などすっかり忘れて、修兵はどう調整をしようか頭いっぱいに今日の予定を巡らせた。






― END ―


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