薄く引かれたオリーブオイルがじんわりと音を立てて、絶妙な火加減で投入された卵がふわふわと掻き混ぜられていく。
鼻腔をくすぐる大好きなハーブの匂いに、修兵は上機嫌でキッチンのカウンターに肘を付きながら無駄のない動きをする拳西の手元を眺めていた。

「うまそ…」

そう呟いた言葉と同時にぐうっと盛大に腹の音が鳴り、良過ぎるタイミングと正直過ぎる己の食欲に赤面する修兵を見て、拳西は器用に卵を返しながらくつくつと笑った。

「もう出来んぞ。…あいつの分どうすっか、起きてんのか…?」

「いや、昨日も遅くまでなんかやってたみたいで、多分まだ寝てると思います」

昨晩、喉の渇きを覚えて目を覚ました修兵が、飲み物を取りに自室を出た時には確か夜中の三時を過ぎていた。
その時間にはまだ阿近の部屋には明りが点いていて、ごそごそと何かしらの物音がしていたから、恐らく彼が床に就いたのは明け方近かったのだろう。
それを思い出しながらチラリと壁の時計を見上げた修兵に倣って、拳西も正午をとっくに過ぎた時計の針を目で追いながら軽く溜息をついた。

「ったくしょうがねぇな、食いっぱぐれても知らねぇぞ…」

家事能力皆無のくせに文句だけは一丁前の偉そうな同居人の顔を思い出して呆れる。

「俺…起こしましょうか?」

「あ?あぁ、じゃあ頼めるか?」

はいと短く返事をしてカウンターの椅子から降りた修兵の背中を横目に見送りながら、拳西は三人分の昼食を並べるべく食器を取り出し始めた。







* * * * * 







丸く盛り付けたチキンライスをふんわりと卵で包む。
修兵のお気に入りだと言う特製のデミグラスソースとチーズを掛ければ、そんじょそこらの洋食屋も顔負けのオムライスが出来上がる。
今日も例外なく完璧な仕上がりに満足しながら、ふと拳西は首を傾げた。
修兵が阿近を起こしに行って数分、人一人を起こすだけにしては遅過ぎる。
そう言えば、ついさっき何かが倒れた様な物音と蛙の潰れた様な悲鳴が小さく届かなかったか。
手元の作業へ集中していたせいで聞き流していた。

(…しまった)

サッと過った嫌な予感に、拳西は腰に巻いていたエプロンを乱暴に放ると、大股で阿近の部屋へと足を向けた。






「オイ!」

バタンッと、ノックもせずに開けた扉の奥の光景を目にした拳西の蟀谷に、ピクリと、青筋が一つ浮かび上がった。

「け、拳西さん…!!」

縋る様に助けを求めて己を呼ぶものの、身動きの取れない修兵は辛うじて自由の利く左手をジタバタと伸ばすだけで精一杯と言ったところだ。
恐らくは寝惚けた阿近に引き摺り込まれたのだろう。
完全にのし掛かられてオマケに服の裾から手を差し入れられながら、迫り来る阿近の顔をぐぎぎと音でもしそうな勢いで必死に押し返している。
未だ覚めきっていないのか、半目のまま迫る阿近の顔はいっそ凶悪だ。

「ちょっ、拳西さん!見てないで助けて下さい!!」

涙目になりそうな勢いで訴える修兵を見れば、その頬にはバッチリと歯形が付けられている。

(やっぱりか…)

拳西はズカズカと歩み寄り、



ゴ チ ン ッ 。



阿近に渾身に拳骨を一発。
修兵の腕を引くのと同時に、べりりと阿近の体を引き剥がした。

「はぁっ、助かった…ありがとうございます…」

「悪ぃ、こいつの寝起きの悪さ忘れてたわ…」






* * * * * 






「おい…なんだそいつぁ」

「あ?…なにがだ?」

「とぼけんな、それぁなんだって聞いてんだ…」

「見ての通り牽制だろうが」

「・・・・・・」

あの後、なんやかんやで阿近をベッドから引き摺り下ろし、漸く三人揃って昼食を囲んでいる。
リビングのローテーブルを挟んでラグに腰を下ろしながら、阿近の向かいに座る拳西のその脚の間、どうしてか修兵が背後から抱き込まれる様にして座らされていた。
二人の間に流れるぴりぴりとした空気に心なしか頬を引き攣らせながらオムライスをつついている。

(た、食べづらい…)

「ったく、寝起きのお前に修兵近付けるとロクな事がねぇ」

「うるせぇ、ちょっとしたスキンシップだろうが、器が狭ぇぞ」

「あんだと…?こんなもんまで付けやがって」

ぐりんっと、顎を掴まれながらついさっき噛み付かれた頬を首ごと阿近に向けられる。

「むぐ…っ!?」

その勢いに危うく口の中の物を吹き出しかけた修兵は、なんとか飲み込んでそれを耐えた。

「フン。おい修兵、こっち来い」

言いながら、拳西と睨み合ったまま阿近がバンバンと自分の脚の間を叩く。

「え…えぇーと…」

もごもごと誤魔化しながら、食器を片付けるべく逃げる様に立ち上がろうとした修兵の腰を、拳西が片腕でぐいと押さえて阻んでしまった。

「いい加減その寝起き治さねぇとお前の飯の中にも大量にたまねぎ入れんぞ」

「おい、ガキくさい嫌がらせすんのヤメロ」

「だったらさっさと治せ」

「治るかよ、修兵だって嫌がってねぇんだからいいだろうが」

「・・・・・」



(もうちょっと、仲良くなってくんないかな…)






* 終 *








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