視界を遮りそうな高さまで腕の中で積み上げられたファイルが、がさがさと音を立てる。

(ったく、人使い荒いっつーんだよ…)

昼食を終えた昼休み。
偶然居合わせたもののついでにと自分へ頼み事をした教師を恨めしく思いながら、一護は痺れそうになる腕に耐えながら教室の表示を一つ一つ目で追っていた。

『生徒会室』

目的の場所を捜し当て、扉の前で一つ大きな溜息を吐く。

(…こんなとこ入った事ねぇ)

なんとなく、自校の教室とは言え殆ど縁のない場所へは入りにくいもので。
中に誰も人が居ない事を願いながら、塞がっている両手の代わりに足を引っかけてそろりと扉を引いた。

幸い、人の気配は無い。

部屋に入ってすぐ、中央にある大きな会議用のテーブルが目に入る。
さっさと棚へ返して戻ってしまいたい。
一護は抱えていたファイルをどさりとテーブルの上へ下ろし、指定された棚を探して部屋を見渡した。

(!?)

ぐるりと回した視界を掠める様にして映ったものに、一護の肩がびくりと竦む。
部屋の奥の棚へ寄りかかる様にして、誰かが椅子に腰掛けていた。
全く気配が無かった事に驚いたものの、人が居るのなら話が早いと、一護は再びファイルを持ち上げながらその人物へ声を掛ける。

「あの…コレ頼まれて…って…?」

返らぬ反応に首を傾げる。
良く良く見れば、微かな動きで規則的に上下する肩。

(…寝てんのか)

拍子抜けして、一護は緊張していた肩の力を抜いた。
しかし、この高校へ入学してもう二学年になったにも関わらず、見た事の無い生徒だ。
スラリとした長い脚を投げ出して堅そうな椅子へ器用に身を預けながら、随分と気持ち良さそうに眠っている。
少しの興味を煽られて、そろりと目の前まで歩を進めた。
目を覚ます気配は無い。
開けられた窓から吹き込む風が、少し長い前髪をふわふわと揺らしている。
思わず詰まる息。
艶やかな黒髪の隙間から垣間見える両の瞼は薄く切れ長で、時折触れる髪の先がくすぐったいのだろうか、頬を掠める度に唇の端や目元を震わせている様は妙に幼く見えた。
瞼を開いたら、きっと美人なのだろう。
そんな事を考えている自分に思い至って、一護ははっとする。

(なんだよ、男相手に美人て…)

そうは思いつつも目を逸らす事が出来ない。
不意に伸びた指先、触れる直前、ゆっくりと開いた瞼。

(っ!!)

伸ばしていた手を反射的に引っ込めて仰け反る。
途端、腕に抱えていた大量のファイルがバサバサと大きな音を立てて床に落下した。

「うわぁっ!!っと…!!」

驚いて見開かれた目が二、三度瞬きをして、ぼんやりとした視線が床と一護とを交互に見遣った。

「あ…それ俺が取りに行く筈だったやつ…」

少し掠れた、存外に低い声が耳に届く。

「わざわざ悪いな」

「あ、あぁいやこっちこそ、起こして悪ぃ…」

「いや、いい、気にすんな」

そう言って、小さく欠伸を噛み殺す。
床に散らばったファイルを拾うのに倣って、慌てて一護も手を伸ばした。
チラリと見上げた横顔に、どくりと心臓が鳴る。

(な、んだこれ…)

顔中に集まり出す熱。
瞬間的に沸き上がった感情を誤魔化す様にして手を動かした。
一言礼を告げて立ち去ろうとする後ろ姿を思わず呼び止める。
咄嗟に掴んでしまった手首は、思うよりも華奢で。

「なぁ…アンタ何年…?」

「“アンタ”じゃねぇ、檜佐木修兵だ」

そのままするりと、手を解いて教室を出て行ってしまった。

(ひさぎ、しゅうへい…)

一護は解かれた手をぎゅっと握り締めながら、転げる様にして一人残された教室を走り出た。






* * * * *






「れ、恋次!!!」

跳ね返らんばかりの勢いで開かれた教室の扉に、大声で名前を呼ばれた恋次が迷惑そうに顔をしかめる。
ついさっき弁当を平らげていたにも関わらず、大きな菓子パンにかじり付いていた。

「うっせーな、騒がしいんだよオメーは」

「ヒサギシュウヘイって、知ってるか!?」

ぜぇぜぇと息を吐きながら、机へ両手を付いて身を乗り出す。
一護の口から出た名前に、恋次は軽く肩を竦めて見せた。

「知ってるも何も…なにお前今更、生徒会の会長様だろうが、三年の、有名人じゃねぇか」

「は・・・?」

言われて一護は首を傾げる。

「なんだかんだ壇上でしょっちゅう挨拶してんだろ、見てねぇのかよ。成績優秀、品行方正、おまけにあんだけ美人と来た、良く噂されてんだろうが」

噂と聞いて一護はぼんやりと自分の記憶を手繰り寄せた。
そう言われてみれば、何回かそんな話を耳にした事があったかも知れない。
元より他人の評判やそういった類の噂話には疎いのだ。
ましてや男子校で誰がモテるだのなんだのと、そちらの話には興味を持った事など一度も無い。
未だ続く恋次の話を半ば聞き流しながら、一護は己の疎さをこの瞬間初めて悔いていた。
とてつもなく勿体の無い事をしていた様な、そんな後悔の念に襲われる。

「あんなん、反則だ…」

ほんの数秒触れた手首の感触。
それを思い出して、一護は赤くなる顔を隠す様に片手で覆いながら呟いた。
その呟きに何かを感じ取った恋次が、ピクリとこめかみを震わせる。

「…おい一護、お前なんかあったろ」

「なんもねぇよ…」

「嘘つけ、なんだその締まりのねぇ面は」

「う、うるせぇな、ってちょ、おい!無ぇって言ってんだろ止めろバカ恋次っ!」

背後に回った恋次に羽交い締めにされながら、一護は未だ熱の治まらぬ顔を更に赤くしてじたばたと藻掻く。

(あぁーもうクソ、なんだっつーんだよ…!)

ほんの数分言葉を交わしただけの、あの掠れた低音が、一護の耳の奥をくすぐる様にしていつまでもふわふわと響いていた。




これが一度目。
高校二年の、夏の初め。







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