一線のそっち側

 一段飛ばしで階段を上りきった勢いのまま屋上の扉を押し開くと、吸い出された風が私を追い抜いて行った。

「いた! はーるか!」
「名前ちゃんやん、どうしたん息切らして」

 真っ黒の髪は晴天の下だと暑そうなのに悠は涼しげに笑っている。私は深呼吸をしながらフェンス際に立つ悠の隣まで歩いた。

「さっきそっちのクラスに行ったら、委員長が悠のこと探してたよ」
「何の用事やろ? 模擬店の当番は十一時なんやけど」
「教室戻ったら声かけてあげて」
「そうするわ」
「悠は何してたの?」

 文化祭の出し物に使われない屋上は人もまばらで、一般公開が始まって文字通りお祭り状態の賑やかな音があちこちから響いてくる。あれ見て、と悠が指さしたフェンスの外を見るとビビッドカラーの列が目に飛び込んできた。

「ダンス部だ」
「せやね」

 正面玄関前の広場でダンス部が発表の真っ最中だった。目を引く派手な色の衣装のおかげで、ステージをめいっぱい使いながら踊っているのがよく見える。

「今年もかっこいいの着てるね」
「この距離でも映えるんやから近くで見たら躍動感半端ないやろうな。あれ三年の先輩がデザインしたんやで」
「美術コースの?」
「うん」

 悠は美術のことになると本当に耳が早い。美術館の企画展のために都外へ足を運ぶのは珍しくないし、美術系の大学や専門学校の展示にも行く。そういった活発さからか、先輩後輩、学校外部にも知り合いが多かった。

「悠が紹介したの?」
「そんな大袈裟な話やない。服飾やってる人おらへんか聞かれたから知ってる人の名前あげただけや」
「結果は大正解みたいだね」

 多方面に知り合いが多く一種の有名人状態な悠のところには、ときどき相談事が舞い込んでくる。衣装のようなデザインだったり部員募集のポスターに使う絵だったり、要するに美術コースで知恵を貸してくれる人はいないかという話だ。悠はそれを丁寧に聞き取って、要望の方面に明るい人を紹介している。

 そんな話を悠から聞くようになってからひとつだけ気になっていることがある。絵でもデザインでも、悠が自分で引き受けたという話は一度も聞いたことがない。きっと初めから自分を選択肢に入れていないのだと思う。

「うちの部のポスターで相談したの覚えてる?」
「文化祭のやろ? パンフレットで白黒になっても画面がくっきりして綺麗な絵やったね」
「そう、すごく綺麗にできた」

 悠の顔を見上げると視線はダンス部に向いたまま、どことなく楽しそうにしていた。絵を見ているときの悠はいつも楽しそうだ。

「今更なんだけど、本当は悠に協力してもらおうと思ってたの。別の人紹介してもらって部長が乗り気だったからそっちに流れちゃったけど」

 視線がぶつかった。私を見下ろす悠は一瞬目を丸くしてからいつものようにへらりと笑う。

「適任がおるのに名前ちゃんは物好きやな」
「嫌だった?」
「僕が受けたら人の作品を見る楽しみが一個減ってしまうなあとは思う」
「描く楽しみと交換でしょ」
「見るのと描くのは天秤にかけるもんと違うよ」

 悠にとっては見る楽しみの方が大きいのかもしれないと思った。そうだとしたら、悠はどうして絵を描いているのだろう。

「来年こそは悠にお願いするから考えておいてね。受験勉強もあると思うから無理にとは言わないけど」
「考えるだけやで」
「考えてくれるだけでも嬉しいよ」

 他に適任がいたとしても、描く楽しみが少しでもあるならいい返事が貰えたら嬉しい。私は絵を見ている悠も描いている悠も好きだから。

2021/8/28
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