村井八雲の帰省

 ノック音が聞こえた気がして瞼を持ち上げた。寝返りを打ってドアを見つめていると同じ音がもう二回。

「八雲いるー?」

 声の主は名前だとすぐにわかった。連絡はしょっちゅう取っているけれど会うのは正月ぶりだ。俺がドアを開ける直前にダメ押しと言わんばかりのノック音がまた鳴った。

「そんな馬鹿力で叩いたら壊れるだろうが」
「返事しない方が悪いんでしょ」

 俺たちの間では挨拶代わりのようなものだった。名前より俺の母親のノック音の方がよっぽど馬鹿力だし。ドアが全開になると名前はぎょっとして声を上げた。

「またそんな格好してるの!?」
「下履いてるからいいだろ」
「おばさーん!八雲がまた裸で寝てるんだけどー!」
「馬鹿やめろって、なんでもねーから!名前の勘違いー!」

 茶の間に向かって叫ぶ名前を慌てて部屋に押し込んでドアを閉めた。それでも服を着ろと小言がうるさいので手近にあったシャツを羽織る。

「お前いつ帰ってきたの」
「さっき着いたところ。八雲に迎えに来てもらおうと思ったのに電話出ないんだもん」
「スマホバッテリー切れだったわ」
「信じらんない。あ、これお土産」

 受け取った箱の包みを見ると名前の進学先の街であった有名な菓子だった。

「今日の夕飯はうちの庭でバーベキューするってさ。四時から炭起こすから八雲も手伝えっておじさんが言ってたよ」
「そっちはサボりかよ」
「花火買いに行ってくる」
「ねずみ花火買ってきて」
「やだよ。八雲絶対私に向けるじゃん」
「今年はやんないから」
「それ去年も聞いた」

 去年も似たような会話をしたのにねずみ花火を買ってきたのは名前の方だ。それに先に仕掛けるのは俺でも名前は百パーセントやり返してくるからお互い様だと思っている。

「とにかく、ちゃんと言ったからね。忘れないでよ」
「はいはい」

 名前が出て行ってからスマホを充電器に繋いでみると四時までまだ三十分以上余裕があった。もう一眠りしてから名前の家に行くことを決めて、俺はもう一度ベッドに寝転んだ。
 


 
 ……八雲……八雲
 また名前か?勝手に部屋に入るなよ。

「起きなよ八雲」
「うるっせえぞ名前……」
「だめだ寝ぼけてる。講義遅れても知らないよ」
「……は?」

 実家とは縁遠い単語に睡魔が吹っ飛んだ。気が付くと寝ていたのは硬い床の上で、横には眠そうな顔で笑うはっちゃんが座っていた。東京の俺の住まいに名前がいるわけがない。

「はっちゃんかよ……」
「なんで俺がっかりされてんの?十時に起こせって言ったの八雲でしょ」
「ああ悪い、もうそんな時間か」
「スケッチブックも落ちてるし」

 手渡されたスケッチブックは先日の帰省に持っていったものだった。帰省中に島をあちこちまわって描いたつもりだが、見返してみると名前の姿が多くなってしまっている。

「それにデッサンしたのが名前ちゃん?」
「俺はっちゃんに名前の話したことあったっけ?」
「いや知らないけど。さっき女の子の名前呼んでたし、そのスケッチブック同じ子ばっかりデッサンしてたから」
「見たのかよ」
「開いてあったんだよ」

 見られたくなかったわけではない。でもはっちゃんの口からあいつの名前が出るのは変な気分だった。

「実家の近所に住んでた同級生な」
「幼馴染ってやつだ」
「かもな」
「それ見る限りだと可愛い子だよね、名前ちゃん。今度紹介してよ」
「やだ」
「彼氏いるの?」
「知らねえけどやだ」

 まただ。変な気分は次第に胸の奥の方がつっかえるような違和感に変わっていった。

「冗談だから怖い顔しないでしよ」

2021/8/25
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