疑惑

「昨日、橋田が女の人と一緒にいるところ見ちゃったんだよね」
 
 一週間の始まりの朝、頭が真っ白になった。

 午前の授業はぜんぜん頭に入らなかったし、昼休みになるといつもお腹が鳴るほど空腹なのに今は何も感じない。朝から溜め込んだ不安で胸がいっぱいでお弁当どころではないのだ。

 中庭に着いてベンチに座る橋田君の後ろ姿を見つけたとたん、弁当袋を握った手が汗ばむのがわかった。

「遅れてごめん」
「ええよ、僕も今来たとこやし」

 なんとなく、いつもより距離を空けて隣に座った。三日ぶりに会う橋田君はいつもの橋田君で、かえって不安が膨らんでいく気がした。

 私以外の人とも同じように待ち合わせをして、同じような会話をしたのだろうか。本当は年上の方が好きなのかな。それならどうして私と付き合っているのだろう。
 

「もしかして浮気とか……?」
 

 友達の言葉が頭に浮かぶ。付き合い始めたばかりだから、どちらかというと私の方が浮気相手の可能性が高いことに気が付いてまた胸が詰まった。今朝までそんな不純なこと考えもしなかったのに。昨日の夜に電話したときだって、宿題の話をしたり橋田君が日中に行った美術館の話を聞いたり、普段と変わらない時間を過ごしたのに。

「食べへんの?」
「食べるけど……今日はあんまりお腹減ってないんだよね」
「どっか具合悪い?」
「ううん、何ともない」
「そうは見えへんけどなあ」

 友達が見たというだけで浮気を疑ったら怒るかな。最悪嫌われるかもしれない。

 嫌われるのはいやだけどわだかまりを抱えたまま橋田君の隣にいたら、昼休みも夜の電話も、デートだって楽しくなくなってしまう。

 もし私が何も言いたくないと返せばきっと橋田君はそれ以上踏み込んで来ない。でもこれを逃したらきっと言えなくなるから、今しかないと思った。

「昨日、美術館行ったって話してたでしょ」
「せやね」
「誰かと一緒だった?」
「姉ちゃんと一緒やったよ」
「えっ?」
「ん?」

 橋田君が首を傾げると長い三つ編みが揺れた。どうしよう私いま絶対まぬけな顔してる。

「お、お姉さん?」
「一人で行く予定やったのに急について行く言うてな。まあ本命はそのあとの買い物の荷物持ちやったんやけど」
「それはお疲れ様だったね……」
「人使いが荒いのは勘弁やね」

 やれやれといった様子で橋田君は肩をすくませた。私はというと、不安が抜けた胸に罪悪感が募り始めていた。

「で、名字さんは何か勘違いしてたみたいやけど」
「ごめん! ほんとにごめんね、お姉さんがいるなんて知らなかったからびっくりしちゃって」
「別に怒ってへんからそんな顔せんとって。誰か知らんけど僕が姉ちゃんと歩ってるの見かけたんやろ」
「橋田君が大学生くらいの女の人と一緒にいるのを見たっていうタレコミが今朝ありまして……」
「タレコミて。これ取り調べやったんか」
「そういうつもりじゃないけど」
「僕が昨日姉ちゃんのこと言わへんかったのも悪かったな」

 そう言うと橋田君はポケットからスマホを出して少し操作すると私に画面を向けた。そっと画面を覗き込むと橋田君と三人の女の子が写っていた。

「先月姉ちゃんの誕生日に撮った写真や。僕、姉二人と妹一人の四人兄弟やねん」

 昨日一緒に出かけたというお姉さんと、もう一人のお姉さん。それから妹さん。橋田君の家族について聞くのは初めてだった。思い返せば私も自分の家族の話はあまりしていない気がする。

「仲良いんだね」
「まあ悪くはないなあ」
「私まだ橋田君のことぜんぜん知らないのに、勝手に勘違いしてごめんね」
「これから知ってくれたらええんちゃう? 名字さんのことも知りたいし」
「じゃあ次は私の話ね」
「弁当食べながらでええよ」

 胸が軽くなると思い出したように食欲が湧いてきた。明日も明後日もその先も、橋田君と一緒に過ごす時間が、ずっと楽しいものでありますように。

2021/8/17
back
×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -