ざあざあと音を立てて降る雨の中、傘の向こうに見えた白い人影に思わずため息を吐きそうになる。―また、か。
そいつが俺の前に現れるときは激しい雨が降る日だと決まっていた。傘を差すこと無く、ただぼんやりと突っ立っている。そして大抵顔を雨の雫なんだか涙なんだか鼻水なんだかよくわからないものでぐちゃぐちゃにして、俺の帰りを待ち続けているのだ。

俺は漏らしかけたため息を飲み込んで無言でそいつのほそっこい腕を掴む。相変わらずすぐ折れそうな腕だとか、ちゃんと食ってんのかとか、浮かんだ考えを頭の角に固めておいてそいつを家に引きずり込む。あきおくん、と震える涙声で名前を呼ばれるのにも気付かないフリをして俺のジャージとタオル数枚をそいつに投げつけてやった。
むぐっという奇妙な声に次いで小さな声でありがとう、という鼻声の礼の言葉が聞こえる。ごそごそ、という布が擦れあう音を背後に、俺はやはり無言でマグカップの中にわざわざ温めて砂糖まで入れてやったホットミルクを注ぐ。そして、自分のためにコーヒーを淹れる。こいつはめんどくさいことにコーヒーが全く駄目な奴だった。ホント、世話の焼ける奴。

漸く全体を拭き終わったのか、未だに鼻をぐすぐす鳴らして目をウサギのように真っ赤に腫らしたまま、濡れて体にへばりついた服の上から俺のジャージを羽織って床に体育座りしているそいつは、いっそもう滑稽としか言いようが無かった。

「…ほらよ。」
「…ありが、と。」

言葉少なにマグカップを渡せば、へにゃりと眉尻を下げて情けない顔で笑おうとするそいつの顔が見えて、無性にいらいらする。その苛立ちを押さえようと無言でコーヒーを一口飲んだが、淹れ立ての、やけに熱く感じる苦味を持った液体が舌と喉を掠めて思わず眉を顰めた。…くそ、火傷でもしたかもしれねえ。
俺の苛立ちの原因をつくった張本人に目を向ければ、そいつはまだ湯気の立つホットミルクに息を吹きかけて冷ましている途中だった。そのうち、カップのふちに唇をつけ、小さく喉を鳴らしてホットミルクを飲み、少しだけ顔を緩ませたのを確認してから、俺は口を開いた。

「で?今回は何だよ。」
「…。」
「ふん、また浮気かよ。…何回もやるあいつもあいつだが、懲りねえよな、お前も。何回目だと思ってんだよ。」
「…5、回目…くらい…。」
「バーカ、もう8回目だよ。いい加減懲りろ。」

そこまで言って一息つくと、一旦は安定していた目尻の水分が再び顔を出し、俺は今度こそ溜め息を全て吐き出した。

―こいつが雨の中音もなく俺の前に姿を現すのは、決まってこういう時なのだ。幼馴染、という関係上、どうしようもないのかもしれないが。
こいつはいつでも付き合っている男に浮気だの暴力を振るわれるだのした時に決まって俺のところに逃げてくるのだ。いつでもこんな、泣きそうな、いや、もう既に泣いているような顔をして。
いい加減別れてくれ、と堪りかねて言ったこともあった。…が、こいつ曰く、それでも好きらしい。
全くアホらしい話だ。良い様に使われて、そのうちぽいされるのがわかんねえのか。…まあそれに、後生丁寧に付き合ってやる俺も大概だと自覚はしているのだが。

「まだ好きなのかよ。」
「…うん。」
「物好きな奴。いつか本当に捨てられてもしらねーぞ。」
「…。」

詮無そうな顔をして、ぎゅっと両手のひらでもう冷めかけてしまったマグカップを強く握り締める。そのまま小さく蹲ってしまったそいつに、どうしようもなく手を伸ばしたくなった。

…こいつを先に好きになったのは、確実に俺の筈、だったのに。いつの間にか俺を頼らなくなって、いつの間にか、綺麗になっていって。俺がいつでも見るこいつの涙なんて、どうせその男を想って流れるもので、本来なら俺が見ていいものなんかじゃない。
見ていたらいらいらするし、無性に荒い気持ちに苛まれることになるのは、いつでも俺のほうだ。こいつは俺にぶちまけてすっきりしてまたその男の元に行くのだろうが、俺は誰にもぶちまけられないまま。

…でもだからと言って冷たく突き放せないのは、やはりこいつがその最低野郎を未だに好いている気持ちと俺が同じ気持ちだからだろう。…認めたくは無いが。
全く我ながら妙な女を好いてしまったものだ、俺ばかりが損をしているような気がしてならない。

「…いいから、思いっきり泣いとけ。」
「…う、ん…。」

ほら、最終的には冷たく出来ずにこうやって曖昧な優しさを持つ言葉しか出てこない。
そして彼女はまた、泣き止んで、俺に背を向けて出て行くのだろう。…俺は結局、その背に手を伸ばすことも出来ないまま、で。
…一番情けない奴なのは、俺なのかもしれない、な。

らしくなくそんな弱弱しいことを考えながら、俺は目の前で蹲って、小さい頃に戻ったように泣きじゃくる彼女の背中に手を伸ばした。留めるのではなく、再び送り出すために。




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