人は、変わるものだ。人ではなくとも、生きとし生けるもの全ては緩やかに変わりゆくものなのだ。
例えば春が運ぶ芽生えも冬になれば散ってゆき、時としてそれらは何かの“死”となって。

ゆっくりと確かに季節が変わり、全ての情景が緩やかに密やかに成長し、老いてゆく。
それと同じように、俺もその生命のサイクルともいえる流れに逆らわず、逆らえず、緩やかに寄せては引いてゆく波の合間を漂う海月のように、ゆらゆらと揺れながら少しずつ何かを変えていった。それは例えばサッカーに対する思いであったり、チームのメンバーに対してであったり。

「何か…最近、優しい顔をして笑うようになったね、佐久間くん。」
「そうか?どうだろうな…自分では見えないから。」
「そりゃまあそうだけど…でも、優しくなったよ。性格も何だか丸くなったし。」

…けれど、変わり行く俺の中でも、けして変わることのないもの、というのは存在する。目の前で楽しそうに笑う、この少女に対しての想いだけは、この先何があっても変わることなど無いだろう。
彼女は不思議な人間だった。少なくとも、俺の目にはそう映っていた。そもそも何故、彼女と出会い親しくなったのかさえも覚えていない。全くと言っていいほど、不気味なほどに。そこの記憶だけ、すっぽり抜け落ちているように思い出せないのだ。
彼女はいつも、何処までも白くて、何処までも狭い鳥籠のような病室で一人きりで過ごしていた。窓は一つきり、そこだけスッパリ綺麗に何かで切り取られたかのように、そこから空や雲が浮かび上がっているかのように見えた。いつでも彼女はその小さな寂しい部屋に一人きりで、ただただ“生”を享受しているような、そんな稀薄な気配を醸し出していた。そんな彼女にいつの間にか話しかけて、仲良くなって。そのうち、何も無くともこうやって部活が終われば彼女の元に来て他愛の無いことを話して帰る。
そんなことが、日常になってしまった。彼女も、日常の一つに溶け込んでしまったのだ。

「そういうお前は変わらないよな。」
「ええ…?結構変わったと思うよ。出会った頃からしたら大分変わったなあって自分でも思うんだけど。」
「全然変わってないと思うけどな。相変わらずガキくさいままだし。」

柔らかい陽だまりのように笑ったまま冗談めかして言う彼女に、妙にむずむずした感覚を抱いて、それを悟られないようにわざとつんけんとした態度で彼女にそう返す。
ひどいなあ、と端正な顔に苦笑を滲ませながら、その黒々とした瞳は優しげに細められて、唇からはいつもののんびりと穏やかな声音がそう呟いてくすくす笑った。

次の話題が生み出されるその僅かな沈黙ですら酷く心地よい。例えこの場所が、白い闇を携えて、刻々と迫る時の波紋を縮めようとしていることをわかっていたとしても。
不意につい、と動いた彼女の目線の先を俺も同様に辿る。何処までも青く広がる空、軽やかに浮き上がる雲。
ふと彼女の眼差しが何か眩しいものを見るかのように細められ、その小さめの唇からひとつ、溜め息に似た吐息を零した。…その瞬間、ぞわり、と俺の背筋に冷たいものが走った、ような気がした。次いで、足元から寒気が上ってくるかのように段々と冷たくなっていき、最終的にはなんだか手足の感覚が麻痺したかのように、痺れたかのような感覚。

悪いことが怒る前触れのような心地の中、ただひたすら黙って彼女の唇が動くのを待つ。普段の俺ならそんな事絶対出来ないだろうし、しないだろうに、何故だかこのときはそうしなければならない、そんな強い使命感にも似た感情が俺の四肢を縛り上げ、思考を服従させた。
そして、ゆっくりと彼女の唇が動く。

「…わたしね。生まれ変わったら風になりたいな。」

ぽつり、そう零された言葉は僅かながら震えていて、その声で俺は彼女に残された時間がもう殆ど残っていないことを悟った。
…知っていた、分かっていたことだ。彼女はそう長く生きられないであろう事が。きっと、もう少ししたらこの白すぎる部屋で、外の世界を知らないまま、彼女は時を止めるのだろう。何人たりとて抗うことの叶わない、“死”という小さな世界の終わりを、迎えてしまうのだろう。

彼女がいなくなるということは、変わってしまうことだ。日常に溶け込んでしまっていた一部分が無くなるということなのだ。元々出会う前には無かった、俺の世界を構築する一つのピース。元々無かったのだから無くなっても別に平気だと、幼かった俺は本気でそう信じていたのだ。

硬直したまま何も言うことが叶わず、口を小さく開いたり閉じたり、まるで水中の魚のように言葉を発することができなくなった俺を見て、それでも彼女は小さく笑った。

「風になったら、ずっと佐久間くんと一緒にいられるね。だって、何処へでも自由にいけるんだから。…ずっと一緒、だよ。だから、そんなに泣かないで。」

伸ばされた細くて白い指が俺の日に焼けてがさがさした頬を滑る。微かに濡れた感触は、確かに俺の瞳から流れ出たものらしかった。声も出ずに、ただ静かになすがままに涙を流す俺と、対照的に何時ものように微笑んで俺の頬を撫でるようにして流れる涙を拭う彼女。
何時だったのかもう思い出せないほど遠く、遥か昔に母体の海で泳いでいた時のように、その指先は酷く心地よくて暖かくて。けれど、それでいて鋭い刃を秘めたような優しい微笑みは、俺にとってはただただ残酷で哀しかった。

不変のものなどこの世界には有り得ない。形あれば崩れゆき、命あるものは皆いつの日か終わりを迎える。けれど、その“心”だけは、ずっと誰かの中に残っていると信じてみたい。…例えば、俺を構築する一ピースであった彼女が、俺の中でずっと優しく微笑んでいる。そんな優しい幻想を抱いたまま、人は悲しみを乗り越えて行くのだろう。




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