彼女が努力して俺を好きになろうとしだした。その動作や口調を聞いていたら、それとなしにそんな気配を感じ始めて、俺はそれに歓喜を覚える。
少しずつ少しずつ、彼女の心へと踏み込む自分の存在。今は一番でなくとも、いずれ一番になればいい。…ただ、…。

「あ…あの、風丸くん…クッキー作ってみたの。…食べてくれないかな…?」
「ああ、ありがとう。貰うよ」

そんなに無理に笑わないで欲しい。悲しいなら、不安なら少しでも話して欲しいと思う。彼女が何よりも大切だから、好きだから。
きっと優しい彼女の事だから、付き合っているのにも関わらず未だに円堂を好いていることに罪悪感を抱いているのだろうが…。

「…すごく、美味しいよ。斉茗は料理も出来るんだな」
「ほんとう?嬉しい、ありがと。料理は趣味なの、まだ大したものは作れないんだけど…」

口に広がる程よい甘さを飲み下して不安げにこちらを覗く斉茗に笑いかけると、彼女はほっとしたように眉尻を下げて微笑む。恥ずかしそうに瞼を伏せつつ柔らかな曲線を描く唇を見たら安心した。…今の笑顔は、彼女の本当の笑顔だから。

「今度は斉茗が作った料理も食べてみたいな」
「う…頑張って食べられるもの、作れるように練習しとくね…」
「はは、楽しみにしてるよ」

肩を竦めて苦笑いをした彼女に笑み返して、口に残っていた優しい甘さを飲み込んだ。…彼女がいつも心から笑っていられるようになるために、俺がしてあげられることは一体何だろうか?

***

「栞と付き合ってるんだってな」

唐突にぽつり、と危うく空気に紛れてしまいそうなほど小さく豪炎寺が呟く。それに驚いて思わず落としそうになった荷物を慌てて押さえてから豪炎寺の方を振り返った。相変わらずの無表情というか、クールな顔には訝しげな色が浮かんでいるのが見て取れる。幸い、斉茗は近くにいない。

「…そうだけど…それがどうかしたか?」
「…斉茗は円堂の事が好きなんだと思っていたんだが」

鋭くそう言う豪炎寺に思わず詰まる。…流石、豪炎寺と言うべきか。人の感情の流れをよく見ている。

「…そうだ。彼女は未だに円堂の事が好きなままだよ」
「…そうか」
「俺が…俺が告白したんだ、円堂が木野と付き合いだした、その次の日に。まだ吹っ切れてない彼女に、そのままでもいいからって」

苦笑気味にそう言い出したら、豪炎寺は驚いたような顔をしていた。

「良いのか?いや…良かったのか、それで」
「円堂が好きなままでも、って事か?まあ…本当なら、彼女の一番になりたいさ。…でも、仕方無いだろ」
「…」

ふい、と円堂と木野が仲睦まじくしている方を見つめる。…彼女が居なくて良かった。彼女があの光景を見たら、きっと哀しそうな顔をするに違いないから。

「ずっと昔から好きだったみたいだし…そう簡単に諦められないと思うよ。…俺がそうだったから」
「…そうか」
「ああ。…だから、少しずつで良いと思う。俺の事も知って欲しい。…それだけかな、多くは望まないさ」

肩を竦めてそう言えば、豪炎寺がお前は凄いな、と呟いた。…凄くなんて無い、本当は直ぐにでも俺を一番にして欲しい。俺だけを見て欲しい。でも…仕方無いんだ、こればかりは。
だって俺は、彼女の今の気持ちが分かってしまうから。昔、斉茗に片想いしていた時の俺と今の彼女は立場こそ違えど同じだから。
…だから、余計に無理強いは出来ない。彼女の気持ちが痛いほど分かるから。

「…なるべく、側にいてやるようにしろよ、風丸。強引に気持ちを変えるような真似をしたんだから、せめて側にいてやれ」
「…ああ、そうだな」

すっと離れていく豪炎寺の後ろ姿を見つめながら、彼の言葉を反芻した。…そう、結局俺がしてやれることなんて側にいてやることぐらいしか出来ない。
俺は今ほど己の無力を呪ったことなど無いだろう。


知り得る痛み


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