「…ひとまず、アジア地区予選での優勝おめでとうございます。」
「…他人行儀だな。お前もまた、イナズマジャパンのコーチだろうに。」
「それはそうですが…今大会では私の出る幕なんてありませんでしたから。私がした事はほぼ資料集めでしたし。」

相も変らぬ冷えた空気が漂う監督室に呼ばれた楓莉は座っている久遠と向き合うようにして立っていた。…しかしながら補足をすれば、僅かに、ほんの僅かに2人の間を通う空気が和らいでいるような気がしないこともなかった。
楓莉の何の感慨も無い声に、久遠の眉が微かに上がる。

「何だ、不満だったのか。」
「いいえ?そんなことはありません。それなりに楽しかったですよ。」

確かに彼女がこのアジア地区大会でしていたことと言えば相手の選手を徹底的に調べたりそれについてのデータを纏めたりと、どちらかといえば骨が折れ、気を使う大変な仕事をしていたことは否めない。傍から聞いていれば本当に楽しかったのかと突っ込みたくなる程に彼女の表情や声色は崩れないが、久遠はただ彼女の顔を見てそうか、とだけ頷いて見せ、続きを促す。

「それと…今回チームを抜けさせる子達に代わる、染岡君と佐久間君に連絡を入れておきました。集合させる場所は空港で間違いありませんよね?」
「ああ。…相変わらず仕事が速いな、助かる。」
「私は貴方のサポート役ですから、これくらいは当たり前かと。」

淡々と薄い唇を動かし続ける、まるで人形のような楓莉を眺めて、久遠は微かに息を吐く。―未だ、彼女は10年前の事柄に縛り付けられているのか、と。

縛られるなというのも無理な話だと、彼は承知していた。
あの時、彼女の信頼を得ていた自分自身が、例え彼女らの為だったとは言えども何も言わずに去ってしまった事。…自分は大人で、自立していた。けれども、彼女はまだ―守られるべき子供であったのだ。
今更ながらに、何故あの時もっと彼女に気を使ってやれなかったのだろうと思うことがある。そして悔やむのだ、まだ若く、そうは言っても浅はかで短慮であった過去の自分の行動そのものを。

「…どうかなされましたか。」
「…いや。」

昔はもっと、表情豊かで、強気ではあれど明るさをも持ち合わせていた少女であった彼女は、面影と表情を過去へ置き去りにしたまま大人になってしまった。哀しみを隠す為に表情を凍てつかせたまま、その瞳をも漆黒で覆い隠して。

「…ではこれで。今日1日くらいは貴方も休まれた方がよろしいかと。」
「…好意だけは受け取っておこう。」
「そうですか。」

淡々とそれだけを答え、彼女は名残さえ残さずに久遠に背を向ける。
部屋を出て行く彼女の後ろ姿が一瞬、昔の映像と重なって見えて、久遠は静かに閉まった扉を見つめ、目を眇めた。


かつての記憶の光


記憶の中では、彼女は確かに笑っている。


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