いつもいつも、目の前にそびえる大きな背中が目印だった。あれに着いて行けば、何も間違いなど無い。無意識にそう思っていた。
…けれど今からはそれをしないように気を付けなければならない。いい加減に自立していかなければ。そうでなければ久遠は、楓莉をいつまでも同等に扱ってはくれないだろう。
「…スッキリしてきました」
「だろうな。顔にそう書いてある」
「私、そんなに分かりやすいですか?」
「ああ。…最も、分かる者にしか分からないがな」
未だ興奮覚めやらぬ日本宿舎から少し離れたグラウンドへの道を2人、少し離れて歩く。前を久遠が歩き、その数歩後ろを楓莉が歩いていた。楓莉の方からは久遠の表情こそ分からないけれど、声音が何処と無く笑いを含んでいることに気付く。
「ご機嫌ですね」
「…さあ、どうだろうな」
微かに吹く向かい風は少し冷たいけれど、その冷たさが心地好い。楓莉が思わず目を細めた。…瞬間に、前を歩いていた久遠の足が止まる。そして不意にこちらに向き直った。
「…これから、どうするつもりだ?」
そして、数時間前に鬼道に聞かれたことをもう一度聞かれる。
「教師に、なろうかと思っています」
「…」
「…監督の様になりたいんです。教育者として、また一人の人として」
「そうか…」
それきり、口を閉ざした2人。暫く沈黙が続く。
夜風に吹かれた楓莉の髪がひらひらと舞う中、先に沈黙を破ったのは彼女の方だった。
「…あなたが、好きです。監督」
「…」
「昔から、中学生の時からずっと、ずっと、好きでした」
紡がれたのは10年も前からあった想い。ただの憧れから恋へ、愛憎を経て様々な形に変化はしたものの、その内側に秘められた芯はいつまでも変わらなかった。
「…お前は本当に悪趣味だな」
「…ご自分の事ですよ」
「だからそう言っているんだ。鬼道の方がまだ見る目がある」
「…いい加減怒りますよ監督…」
思わず呆れの表情を出しながらも、彼女は笑う。その答えが、もう分かってしまっているから。
「…でも、まだ駄目ですよね?」
「そうだな。…まだ駄目だ」
まだ、自分は久遠の隣を歩けない。隣にいられるほど大人ではない。悔しいけれど、自分がまだまだ未熟であることは理解していたから。
「…だから、私にチャンスをください。これから先、もっと成長してからもう一度だけ」
ちゃんと採用試験を通過して、自分の目指す彼のような指導者になれた時。
その時まで、再びこの想いを封印してしまおう。
「…待っていて、くださいますか?」
祈りにも似た、けれど何処と無く微笑ましいまま。呟かれた言葉に、久遠は苦笑した。
「分かった。…待っていよう、お前が成長するまで」
「…ありがとうございます」
「だが、その間にちゃんと考えることだな。時間の無駄になら無いように」
「もう十分考えましたよ」
「…後悔しても知らないぞ」
「それは私の台詞ですね」
他愛の無い会話に滲む未来への想い。闇夜の中、優しい月明かりばかりが細やかに2人を照らし続けていた。
そして、明日へと
道がまた交わることを信じて、それぞれに進んでいこうか。