ゆらゆらとたゆたう。不安定に揺らめく水のように心は動いては移り行くものだと、またそうでなければならないのだということを、楓莉は初めて思い知る。

「…少しは落ち着いたか」
「…はい」

手渡される珈琲の苦味によって醒めてゆく思考が彼女を落ち着かせた。目の前で静かに自分の表情を見つめる久遠の視線を感じる。…思えば、この光景も昔と同じだった。
己の力不足によって負けてしまった中学生の頃の試合の後も、理不尽に彼に当たって困らせて。無言で自分を見つめるこの瞳の前で泣き喚き、やがて泣き疲れて来た頃に彼はやはり珈琲を差し出してきたのだ。この苦いようで甘い、酸いも甘いも噛み締めてきた大人を思わせる味の、この珈琲を。

「…子供…」
「何?」
「子供の頃と、変わらないままですね」

無意識のように呟かれる言葉。ぽろりと零れた衝動的なモノだったけれど、それは確かに今の自分を体現しているような気がして。楓莉は自嘲する。…そう、変化を恐れていただけのだ。
中学生の時に味わった変化の恐ろしさ。自分たちの築き上げてきた功績の崩壊や、久遠がいなくなったこと。それらは楓莉に変化する事の恐ろしさを実感させるには十分な恐怖だった。…だからこそ、影山を憎み続ける己の心をずっと保ち続けてきた。そうする事で全てを失った己を支え、また変化せぬようにそれに楔を打ち続けたのだ。
影山は敵、帝国も憎い仇。そう思い続ける自分の心に変化が訪れない限り、自分は平穏だと無意識のうちに己に肯定させてしまっていた。

「…変化をしない、それはとても心地よいぬるま湯でした。影山を憎んで、貴方を恨んで。そうする事で、私はずっと自分を保ってきた」

遠い目でそう言う楓莉を久遠は黙って見守る。あの頃と同じ光景、けれど今度は違う。直感で感じた事を信じて、彼女の口が開くのを辛抱強く待つ。

「けれど、変化をしないということはイコール、成長をしない事。…私はずっと、中学生のまま時を止めてしまっていたんですね」
「…」
「どうして、それに気付けなかったのか。…私はやっぱりまだまだ子供なんだなと、切実に思いました」

彼女は自嘲気味に笑う。その顔には、先程までとは違った晴れやかな表情も覗く。久遠はその影を見て、少しだけ安心する。そして、彼女の頭にそっと手を乗せた。

「…気付けたなら、それで良い。お前はまた一歩、成長できたと言う事だ」
「…貴方は相変わらず甘やかすのが上手ですね。…もっと厳しく罵ってくれたら気が楽なのに。…貴方は優しすぎる、残酷です」
「ほう。私を世界一の鬼監督と呼んだのは確かお前だった気がするのだがな」
「そうですよ、貴方は鬼です。…厳しくしたかと思えば、優しくしたり。はねつけたかと思えば抱き寄せたり。どっちかに絞らないから、貴方を嫌いになれない…うんざりです、本当に」

ふっと笑う楓莉に、久遠は目を細める。憑き物が完全に落ちて、昔の彼女が戻ってくるのを感じた。聡明で理知的で。まっさらな感情で物事を見つめ、確かなものを導き出す事の出来る、彼女が戻ってきたのだ。長い間自らが打ち込んだ黒くて重たい楔を跳ね除け、生来の感情が開放された。

「…でも、そういう所は指導者として本当に尊敬しています。…ありがとうございました、…久遠、監督」

懐かしい響き。十年来の呼び方に知らずと久遠の顔も優しくなった。普段からイナズマジャパンのメンバーに同じ呼び方をされていても、やはり彼女からこう呼ばれることは嬉しいと感じる。それだけ、自分にとって彼女は“特別”なのだということ再認識した久遠は一つ、頷きを返して彼女の頭においていた手を肩へと移した。

「…これからのお前に期待しよう」


心に訪れる雨上がり


はい、と顔を引き締める彼女は、もう自分の“教え子”ではないのだと、実感する。彼女と自分は、もう、対等なのだ、と。


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