力が抜ける感覚など、いくつ味わったのだろうか。まだ20年と少ししか生きていない自分には、あとどれくらいこんな感覚を味わわせられるのだろう?
イナズマジャパンの宿舎には、静寂と哀しみに満ち満ちていた。誰しもが喪に服すが如く、いつもであれば勝利に酔いしれて喜びを分かち合う空間である筈の食堂さえもまるで葬式場であるかのように姿を変えていた。ミスターK…彼の死を惜しんでいるのだろうか?

煌々と輝く燦然とした月の光を浴びて、楓莉はぼんやりと窓の外を眺める。冴え冴えとした冷たい輝きは、今日もまた変わらずに彼女を照らす。

「…何故、死んだの、…ミスターK…」

誰へともない、孤独な呟き。空っぽで冷えたその言葉は、魂をなぞることなく無意味に吐き出されて、部屋の壁へと無慈悲に吸い込まれてしまった。それにも気付かず、彼女は続ける。

「貴方を憎んで、恨んで生きてきたの、私…」

僅かに開いた窓から入る冷たい夜の風が楓莉の黒髪を揺らす。緩く結われていただけの髪は簡単にほどけ、ふわりと背中に流れ落ちた。冷えた壁に妙に熱を持った身体を押し付け、美しく輝き続ける月を睨む。
誰よりも、彼を憎んでいた。誰よりも、彼の不幸を願っていた。彼に関わってきた全ての事柄を呪っていた。…その、自分から溢れるこの何とも言われぬ衝動に似た苦しさは何なのだろう?胸が熱くて、苦しい。しかしそれと逆に頭はまるで冷水を浴びせられたかのように寒くて、痛かった。

「…何なの…何なの、この感覚は…」
「…俗に言う、“悲しみ”だろうな」

余りの不可解な感覚を前に、耐えきれなくなった彼女が額を押さえた瞬間、聞こえてくる耳心地よい低い声。驚いて楓莉が顔をあげたそこには、いつもと変わらない顔をした久遠が立っていた。

「…あの男が死んだことによって、お前は悲しんでいるんだ」
「…まさか、そんな事有り得…」
「十二分に有り得るな。現に今、お前はあの男の死を悼んでいる」

いつの間に、と言う間もなく、突きつけられた言葉達が彼女の胸を抉る。その殆どを彼女は消化して…途端に青くなった。熱をもっていた身体の全てから温もりが消えてゆく感覚。…馬鹿な、そんなこと、有り得ない。

「…」
「認めるのが癪なのかもしれないが、これはあくまで事実だ」
「あ、り…得ない、そんな事があっては、いけない…」
「何故そう思う?…そうやって、涙さえ流しておきながら、何故その感情を受け入れない?」
「…泣く?誰が、…?」
「お前だ、晃斎。…お前が泣いているんだ」

そっと武骨な指が楓莉の頬を滑る。それと同時に広がる冷たい濡れた感覚。拭いきれなかった滴が彼女の口唇へと静かに流れ落ちた。
舌が感じたのは、塩辛く、甘い味。

「…感情に嘘をつくな。自分に素直になれ。もう、お前を縛る過去は無い」
「…」
「ミスターKが居なくなると同時に、お前は過去の自分の死を感じ取った筈だ。…いや、あの男が心を変えたその時から、過去のお前は既に亡き物となったのだ」
「そ…んなに、簡単に…捨てられないわ!」

胸に巣食う感情が爆発して色々な思いが混ざり合う。同時に、過去の記憶も呼び起こされて、彼女をまた唸らせた。頬に置かれた指を強く払い除ける。

「そんなに簡単に捨てられない!簡単に過去を捨ててしまったら…今の私はどうなると言うの!?ただただ、今は亡き記憶にすがり付き、憎み続けてきた空っぽの人間になれと言うの!?…そんなに簡単に、割り切れる筈が無いわ…!!」
「…」
「どうして!…どうして、こんなに胸が痛いの…?望んでいた事なのに…あの男が居なくなればいいと望んでいた筈なのに…!!」

自分が矛盾した思いを口にしていることにも気付かずに、楓莉はただただ目の前にいる久遠に子供のように当たり散らす。まるで中学生の頃に戻ってしまったかのように泣きながら、心に秘めていた悔恨や憎しみ、嘆きを全て吐き出して、洗い流してしまうかのように。
久遠はただ黙ってそれを受け入れ、彼女の背中を擦り続けた。彼女が全ての感情を吐き出し終えて、泣き疲れて眠りに堕ちるその瞬間まで。今度は片時として離れること無く彼女の傍に居続けた。


儚いからこそ美しい命へ


今度は、ずっと傍にいる。そう確かに誓ったのだから。


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