わたしにとっての世界は、病院の真っ白な一つの病室の中だけだった。
何処までも清潔さを保ったままの白い部屋の中で、青い空を、曇り空を、雨空を見上げていることが、わたしの唯一のやることだった。

寂しい…と今なら思っていたのかもしれない。
けれど、この頃のわたしにとっては一人でいることなんて当たり前だった。

お父さんもお母さんも居なくて、わたしの身寄りは何処にも無かった。
だから、いつだって看護婦さんのお話を聞いて、窓の外を眺めて一日過ごすのがわたしの日課だった。

本当に看護婦さんには小さな頃からいろんなお話をしてもらった。
絵本、童話、小説…本当に色々な話を、彼女らはわたしのところに持ってきては読んでくれていた。
…けれど、わたしが一番好んで、一番よくしてもらったお話はわたしのお爺ちゃんのお話だった。

お爺ちゃんは日本有数の有名なプロのサッカー選手で、中でもゴールキーパーというポジションで頑張っていたらしい。
誰よりも強くて、誰よりも失点が少なくて凄い選手だったのだと言う話をよく聞くから。

プレーしているときの写真や、テレビ中継のビデオで見たお爺ちゃんは、とってもキラキラしてて、眩しく見えた。

…あの頃からなんだと思う。

動かない身体に苛立ちを覚えたり、あんな風に笑えない自分に情けなさを感じはじめたのは。

同時に抱いた、お爺ちゃんへの、サッカーへの憧れ。
いつかわたしもお爺ちゃんみたいに、そう思い、考えるだけでも幸せだった。…例え、現実的に見れば不可能な事だったとしても。

***

無機質な機械の音が病室に鳴り響く。
段々と鳴る音の間隔が短くなっていくと同時に呼吸が苦しくなる。

…終わりなの、かな。

看護婦さんやお医者さんが何事か言いながらバタバタ走り回っている音が
遠くなって、ボヤけていくのが聞こえる。
死んでしまうことに未練は無い。むしろ苦しくなっていく呼吸の方が嫌だった。

―こんなに苦しいのなら、早く終わりにしてほしい。

ふと浮かんだその思いと同時に、脳裏に浮かぶのは楽しそうにサッカーをしているお爺ちゃんの姿だった。
ふ、と一瞬だけ呼吸が楽になって、思わず呟いた。

―…サッカー、やりたかった、な…。―

聞こえるか、聞こえないかのぎりぎりの声で呟いたのを最期に、わたしの意識は途切れた。

ピー…。
物悲しげな機械の音が、その空間に静かに溶けて、消えた。

その年は、わたしが産まれて12年目の、春が巡ってくる直前だった。

***

次に意識が浮上したのは、誰かの暖かい腕に抱かれている時。
優しい温もりに安心して息を漏らした。…と思った。
けれど、わたしから出た声は、赤ん坊なんかが出す、泣き声だった。

「あら、起きちゃったみたい。…よしよし、いい子ね。」

どうやらわたしが抱かれている腕は、知らない女の人のものらしい。
…そして、わたしはこの人から。

「あなたの名前は紗玖夜…円堂紗玖夜よ。」

…もう一度、新しい命となったわたし。…だったら、今度は、サッカーできるかな。





 


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