悪魔からの毒林檎で溺れるなら本望と嗤う


「超回復……?」

後衛組と前衛組が無事合流し、食事を終えた後のひと時の休息。
話題は超回復であった。

「お前ら今筋肉痛だろ?筋肉の繊維がズタズタにぶちぎれてんだよ。こいつを休ませると、治る勢い余って、前よか増えちまう。これが超回復って現象だ」
「へぇ、筋トレってそういう仕組みだったのか!」
「だから、逆に言うと、トレーニングの後は、最低24時間はきっちり休ませる必要があるの」
「つっても、秋大会まであと40日。毎日休んでちゃラスベガスまでたどり着かねえ」

40日の日程で毎日トレーニングと休息を繰り返していた場合、実質20日の猶予しかないのだ。
2000qの走破を20日では、さすがに不可能である。

「じゃあ、どうするんですか……?」

待っていましたと言わんばかりに、皆に配られたのはヘッドライト。
そして再び鳴り始める銃声と悲鳴。

「徹夜で2日分トレーニングだ!!」
「まあ、そもそもデスマーチって意味自体が、徹夜してプログラムを倍速でこなすことが含まれてるからね。IT用語としては常用されてるし」
「2倍筋肉削って、2倍超回復させる!」
「2日徹夜して1日休みの繰り返しか……」
「頭おかしいんじゃねえかチクショー!!」

各々が各々、自身を鼓舞させるように雄たけびをあげていた。
そうして、漸く、死の行軍の初日が終わりを迎えていた。

「きっちりアイシングしておけよ。腫れひかねーぞ」

溝六から配られていくアイシングを各々が受け取り、痛み熱を帯びた患部へと宛がっていく。
姉崎はその手伝いをし、悠里もまたアイシングの固定とテーピングの補助を行っていた。

「きっちり24時間後に出発すんぞ」

それだけ言い残したヒル魔はトラックの影へと姿を消した。

「ヒル魔さんだけは平気そうだね……」

満身創痍のメンバーの中、叱咤を続けるヒル魔の姿。表情も態度もいつもと何も変わりがない。

「大変なはずなのに……パスルートに沿ったショットの練習しながら、重い荷物抱えて、指示出して……」

雪光が言った通り、平気そうに見えているヒル魔もまた、想像を超えるレベルのきついトレーニングをしているのだ。

「さすが……」
「ほれ見ろ!できんだよ!鍛えりゃ平気になんだよ!」

わいわいとはしゃぐ後衛組を横目に、悠里はヒル魔の背中を見送った。ひとつ、誰にも気づかれない程度のちいさな溜息を吐き出し、立ち上がった。

「ライン組は私のところ来てください。闇雲に肩を冷やせばいいってものでもないので。あ、栗田さんは大丈夫です、そのレベルになると私の手には負えないので」

栗田の巨体はもはや悠里が持ち得るスポーツ医学の知識が及ぶ体ではなかった。一見脂肪の塊にも見えるが、それは見てくれで、その脂肪のすぐ下には、筋肉がある。でなければ、あの体つきにはならないのだ。

「でも、膝への負担は大きいか……栗田さん、膝とか、足に痛みはありませんか?」
「うん、大丈夫」
「わかりました。いずれは、足腰にもきますから、そのときは声かけてください」
「ありがとう、悠里ちゃん」

後衛組はおよそ、姉崎がアイシングを終えたようで、各々が膝に包帯を巻いた状態で、リラックスしていた。
その姉崎は、そこにいなかったが。

「…………」

また、悠里は小さな小さなため息を吐いた。
自身もまた体に鞭を打ち、立ち上がる。荷物を手にして、息をひそめ、トラックの裏手へと歩を進めた。

「何してんだ、糞マネ。早くガキのお守りいけ」
「行きません。ひざ、じっとしてて」

平気そうに見えたヒル魔。
実際、平気なわけがなかったのだ。
司令塔という立場、キャプテンという立場、恐怖政治をしいている立場。その立場とプライドが、彼を立たせていた。ただの、強がり。
おそらく溝六は気付いているだろうと、悠里は思っていた。そんな悠里もまた、彼の強がりに気がついていたのだが。
その強がりを最低限尊重するために、トラックの影に消えた背中を、無言で見送ったのだ。

「(姉崎さんも気が付いていた)」

そう。ヒル魔の強がりに、姉崎もまた気が付いていたのだ。
だからこそいま彼女はヒル魔の腫れあがった膝に対して、アイシングを施している。
悠里は手にしていた荷物をぎゅっと握りしめた。
もう、ここにいる意味はない。立ち去らなければ。
そう思っても、なぜか、悠里はその場から立ち去れないでいた。

「いつまでそんなところにいるつもりだ、糞碧眼」
「!」

悠里の肩が意図せず跳ね上がった。
逃げる意味もない。そう判断した悠里はヒル魔の前に姿を現した。

「気が付いていたんですね」
「まぁな」
「……」
「糞マネは気付いてなかったみてぇだけどな」
「そう、ですか」

まるで心の内を読まれているようだ、悠里はそう思った。
視線はパソコンに向けたまま、ヒル魔は自分の座っていたジュラルミンケースの隣をポンポンと叩いた。そこに座れというように。
悠里は一瞬躊躇うも、それこそ無駄だと結論付け、ヒル魔の隣へと腰を下ろした。

「……膝、大丈夫ですか」
「あん?大丈夫だと思うか?」
「全く」
「ケケケ」

真顔で抑揚もなくばっさりとそう言い切る悠里に、ヒル魔は思わず笑い声を漏らした。

「笑い事ではないんですが」

気持ち眉尻を引き上げた悠里。

「テメーはテメーで、自分の心配でもしてろ」
「鍛え方が違いますから、問題ないです」
「ケッ、可愛くねぇ」
「私に可愛さなんて求めるだけ無駄ですよ」

実際疲れはあったが、痛みは思ったよりも少なかった。現状ペースがゆっくりであるというのも要因の一つだが。

「明日はペース上げるぞ」
「じゃないと、本当に秋大会までに帰れませんよ」

残り40日。ただでさえ厳しい日程なのだ。

「あと……」
「あ?」

悠里の視線はヒル魔の膝に注がれる。アイシングが巻かれた膝。

「……膝、左にだけそれだけ負荷がかかってるってことは、走り方の改善をおすすめします。もしくは、その肩掛けの荷物、両肩もしくは腰に固定させて、重心をもっと中央に寄せてください。そうすれば、膝への負担もちゃんと二分されますから」
「……」
「どうしたって右利き右投げの場合、左足が前に出ますから、しょうがないのはわかりますけど、本当に壊してからじゃ遅いんですから」
「おい、糞碧眼」
「はい?」
「アイシング、新しいのもってこい」
「え?」
「聞いてなかったのか?新しいの持ってきて巻けって言ってんだよ」
「っ、は、はい!」

ヒル魔の言葉をようやく飲み込んだ悠里は慌てて立ち上がり、アイシングを取りに走った。

「ったく」

そういうヒル魔の顔には、笑みが浮かんでいた。










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