悪魔からの毒林檎で溺れるなら本望と嗤う
カラッとした日本にはない夏晴れ。広がる青空と大きな白い雲。遠くには山々が峰を作り、そこに人の手によって作られた地平線がまっすぐ伸びている。
「このガソリンで俺も文無しだ」
デコトラにガソリンをいれた溝六がそういった。呼応するようにまたヒル魔も口を開く。
「日本行きの飛行機代なんざねぇぞ」
ちらり、ヒル魔は悠里を見遣る。
本当は用意することが可能なのだ。ヒル魔も悠里もまた、私財をため込んでいる。それを使えば10人そこらの飛行機チケットくらい用意できた。
これは小さな嘘。極限状態に追い込むための。
「秋大会には、どうやって、帰るんですか……?」
ごもっともな疑問をセナが口にする。
「日本まで歩く」
「はああああああああ!?」
真顔でそういうヒル魔に、十文字、黒木、戸叶がすかさず声を荒げる。
「う、海はどうするんですか」
これまた至極当たり前な疑問を口にしたのは雪光だった。
「西海岸まで行きゃ、金のあてがあんだよ」
「西海岸な分、ここより飛行機代安いしな」
「そうなんだ」
「よかった」
各々がヒル魔の言葉に安堵のため息を漏らす。
然し、姉崎と悠里が何かに気が付いた様子で、ヒル魔をほぼ同時に見遣った。
「西海岸で、お金のあて……目的地は……」
「まさか……」
「「ラスベガス」」
遊びとカジノの街、ラスベガス。
つまり、そういうことだ。
「そういうのはあてって言わないの!」
もう、っと抗議しつつ諦めたように溜息を吐く姉崎。
悠里もまた呆れた表情のまま、頭上で輝く太陽を仰ぎ見た。
「テキサスからラスベガスまで2000q……アメリカ横断ウルトラトレーニング!」
そう。これが死の行軍。長距離間をトレーニングしつづけるという拷問。
皆が一様に、ごくりと息をのむ。
そんななか、セナは悠里へと目を向けた。
「そう思えば、悠里。その恰好どうしたの?」
「むっきゃ、そうそう、俺も気になってたんだ」
空港にいた時と出で立ちの違う悠里にセナとモン太が視線を向ける。
「暑いからって無暗矢鱈と肌を露出するのも得策じゃないでしょう。日本みたいな暑さだとアレだけど、アメリカならこのくらいでも平気。これ、UVカット加工されてるスポーツ用のインナー」
「へぇ」
「用意周到MAX」
「でも……」
「でも?」
「なんで悠里がそんな恰好……」
「ん?それは私が後衛組につくからだよ」
「え、それって――」
そうセナが言いかけた時、ガシャコ、特有の金属音が音を上げた。
「ただのマラソンだと思ったか?ケケケ、死の行軍がんな甘いわけねぇだろ」
おそるおそる、皆がヒル魔を覗き見た。
マシンガンに弾を装填したヒル魔がニヒルに笑う。
「三年分の特訓、40日でやろうってんだからな、ポジション別練習しながらマラソンすんだよ!」
両脇に抱えられたマシンガンに、誰もが一歩後ろに下がった瞬間だった。
「スクエアイン!」
放たれた幾つもの弾丸は、モン太と雪光の足元に降り注いだ。
ヒル魔が叫ぶのはパスルート。弾丸はそのパスルートの通りの軌道を描いていた。
「あれを2000q!?」
「壁組でよかった」
ヒル魔たち後衛組の背中を見届けた壁組は安堵した。
それも、束の間。
「西海岸まで走るガソリンなんざねぇんだ。デビルバット号、荷物ごとおいていく気か?」
「へ?」
そう、壁組はこれから2000q、トラックを押して進むのだ。
「おう、セナ。おめーはこれだ」
溝六から手渡されたのは一つの石。これを蹴りながらマラソン。それがセナに課せられたものだった。
「よし、じゃあ先に行った後衛組追いかけますか、セナ」
「うん……って、悠里も走るの!?」
登山にでも行きそうな大きいリュックを背負った悠里はセナの隣に立っていた。
「後衛組の給水、誰がするの?」
「あっ……」
「リュックには水とか軽食、救急セットとかを入れてるの。壁組が遅れるのは目に見えてるから」
「でも、無茶だよ……ぼ、僕がその荷物運ぼうか?」
「んー、それはもっと無茶だと思うよ」
「えっ、おっっっもい!」
セナは悠里のもつリュックを手にするも、ほんのすこし浮かせた後、また地面へと戻してしまった。
「こんなの背負ってたの?!」
「言ったでしょ?水と食料だって。後衛組4人分と自分の分で、水が合計10リットル入ってるからね」
リュックの肩ひもの部分には厚めのスポンジが挟み込まれ、胴体部分もサイドリリースバックルで固定していた。
「さ、行こう。時間は有限だから」
軽い屈伸をした悠里はリュックの重さを感じさせない走りを見せた。
セナはそれをみて、慌てて追いかけた。石を蹴りながら。
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