御旗 | ナノ
可愛い子

「行ってくる」

 そう言って旅装束に着替えた彼を見送ったのは、ほんの四半刻前のことだ。
 練度の上がった彼らは、さらに力を求め、修行に出ることが許されているらしい。審神者ではない千里の本丸でもそれは有効らしく、遣いのこんのすけがそう言っていた。
 とはいえ、普通の本丸とは違う此処では、刀剣たちの修行はあまり意味がない。千里はそう考えていた。先日までは。
 通達を受けてまず、脇差である堀川国広がおずおずと千里の元へ訪れた。それを少し悲しそうな声色で千里は止めて見せた。それを知ってか、その後より和泉守兼定が千里の元へ訪れることはなかった。然し大和守安定は堂々とした態度で千里の執務室の襖を開け放った。そして開口一番。

「ねぇ、修行に行きたいんだけど」
「私が何というか、わかっていて来たのでしょう」
「まあね」

 安定はそのまま千里の前に座った。と思うと、千里の横にあったお菓子箱から金平糖を取り出して頬張った。

「理由、聞かせてほしいんだけど」
「だと思いましたよ」

 持っていた筆を置いた千里は改めて安定に向き直った。

「理由は、大きく分けて二つです」

 重いため息を吐き出す千里の顔は、何時もと変わらず鬼面が隠しており伺い知れない。

「ひとつ。我が本丸において、刀剣に戦力増強は不要であると考えているためです」

 この本丸の敵は時間遡行軍でも検非違使でもない。ブラック本丸と呼ばれる同組織内の膿である。

「でもさ、今後その修行を終えた刀剣がいる本丸に行くことだってあるわけでしょ?」
「いずれはあるでしょうね」

 表情は窺い知れないが、淡々とした言の葉に、安定もむすりとする。

「僕たちも、今のままでも強いから戦い抜けるだろうし、千里さんが強いのも十分に知ってる。何より貴方が元々、僕たちのことを必要としていなかったことだって理解しているつもりだよ」

 ブラック本丸討伐の任をうけた彼女は、一人でその任務を成し遂げるつもりだった。それは不可能でもなんでもなく、彼女の持ち前のセンスや剣戟、身体能力があればむしろ可能であった。
 然し、旅は道づれ世は情け、袖振り合うも他生の縁か、気がつけば本丸には何振りかの刀剣男士たちが集まっていた。

「んで、もうひとつは?」
「……」

 今まで軽快に開いていた口は、すっと静寂を帯びる。外で鶯が鳴いている。

「もったいぶらないで」
「……笑いませんか」
「笑わないよ」

 溜息を吐き出した千里は安定を手招きした。立ち上がることなく膝でずりずりと近寄った安定の耳元で囁く。

「……それ、アイツに言ったほうがいいよ」
「言えませんよ」
「絶対喜ぶと思うけどな」

 そんなやりとりから早数ヶ月。桜は散り、緑は色濃く、梅雨明けきらぬ六月のことだ。この日も雨だった。庭にある紫陽花は雨露を浴びて艶やかに存在を主張している。

「主、いる?」
「いますよ」
「入って、いい?」
「……どうぞ」

 音もなく開く襖。体を滑り込ませるようにして部屋へと入ってきたのは清光だった。千里の前へ正座で座ると、目を泳がせた。

「……」
「……」
「……」
「……清光」
「っ! な、なに?」
「何、は此方の台詞ですよ。どうかしたのですか」
「あ、えと、実は……千里さんに頼みがあって」

 再び訪れる沈黙。襖越しに雨音が聞こえる。

「お、俺、その、」
「……」

 薄い唇を噛み耐える清光。
 見かねた千里はそっと清光の唇に指を這わせた。

「綺麗な顔が台無しになる」
「!」

 ついに我慢しきれなくなったのか、清光の深緋からぽろぽろと雫が溢れ出た。
 よしよしと頭をなでる千里。肺を震わせ泣きじゃくる清光。

「そんなに思い詰めさせてしまいましたか」
「千里さんは悪くない……」

 眼の周りを赤くさせ、いまだ少し嗚咽を漏らす清光。

「わかってるんだ……千里さんが修行に行かせたくないって、思ってること。でも、それでも俺、強く、なりたかった。あの人みたいに、なれるんじゃないかって……でも、こんな事いったら、嫌われるんじゃないかって、俺、そう思って、矛盾して……」

 清光は己の胸中を吐露した。下がった眉尻。元の持ち主も泣き顔はこんなだったと千里は面の下で破顔した。そして同時に、元の主である沖田と未だ重ねてみてしまう自分を叱咤し、咳払いをした。

「清光、やはり悪いのは私のようです」
「えっ」

 ほろり、また一粒雫が畳に吸い込まれる。千里はその涙の筋を親指で拭った。

「最初は、本当の最初は、貴方たちが思っているように、修行など必要ないと思っていました」

 相手は人の子。もしくは付喪神。人の子の相手は勿論、いくら神とはいえ場数が違うと、千里は負ける気などなかった。傲慢でも慢心でもなく。
 仲間というべきか、刀剣男士である清光らがこの本丸にやってきたこと自体は寛容であったが、だからといって彼らの力を必要以上に借りる必要はないと考えていた。それは彼らの存在意義にも反していると、そう考えたからであった。

「でも、修行をしたいというその気持ちを、私が踏みにじっていいとも思えなかったのです」

 この本丸における千里と刀剣男士の関係性は主従関係ではなかった。確かに主と呼ばれることはあるがそれは便宜上である。また刀剣男士によっては本当に主だと思っているものもいるが、厳密には違う。
 だからこそ千里は刀剣男士の想いを尊重することにしていた。それができなければこの本丸にいる意味こそないのだら。
 修行に行きたいと言う刀剣男士たちを止めてしまう。この行為もそれに当てはまるのではないか。千里はそうも考えていた。

「なら、どうして」

 まんまるに見開いた瞳が千里を射抜いていた。

「もし、修行に行かせるのなら、清光……貴方が最初に行くべきだと、思ったのです」
「え……」

 予想だにしない言の葉に見開かれていた瞳がさらに見開く。落ちてしまうのではないかと思うほどに。期待をしてしまう。勘違いをしてしまう。そんな言葉だった。

「今も昔も、思い入れのある貴方ですから」
「ッ」

 本当に勘違いをしてしまう。清光は先ほどとは打って変わってぎゅっと目をつぶった。

「それと……」
「なに?」

 千里は一度口ごもり、清光を見つめた。
 吸い込まれそうなほどに澄んだ紅玉。この瞳に千里は確かに惚れこんでいた。
 意を決した千里は、恐る恐る口を開いた。面越しではあるが、確かに目と目は合っていた。

「貴方が帰ってこない心配をしていると言ったら、笑いますか?」
「……全然。笑わないよ。今の俺の居場所は此処だよ」
「貴方が貴方でなくなってしまう心配をしていると言ったら、怒りますか?」
「怒らないよ。大丈夫。俺は俺だよ」
「……貴方のことを、これ以上好きになってしまうのが怖いのだと言ったら?」
「っ……もっと好きになって……?」

 涙を浮かべた紅の瞳は弧を描く。清光は溢れる涙もそのままに、震える掌を指先を、千里へと伸ばした。

 こうして清光は修行へと旅立った。行き先を告げることはなかったが、おおよその検討はついていた。刀剣男士のほとんどはその修行で元の主の元へ行くらしい。きっと清光も例に漏れないだろう。
 72時間。短いようで長い時間だった。
 そわそわといつまでも落ち着かない千里を安定はずっと笑っていた。
 そして、夜。柄にもなく、玄関で三角座り。夕餉も食べずに待っていた。
 ぽうっと、曇り硝子の向こうに灯りが見えた。千里はがたりと立ち上がった。
 がらり。戸が開かれる。
 ぐいと上げられた菅笠から覗く深紅の瞳は、凛々しさが増しているように見えた。

「おかえりなさい、清光」
「ただいま、主」

 伸ばした手伸ばされた手。重なり合ったのは躰だった。



37

前頁 次頁





人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -