御旗 | ナノ






 相模国。馴染み深い呼び方をされているそこは、廃藩置県によって神奈川県と呼ばれている場所と近しい場所である。東の都が目と鼻の先にあるその国は、碧月が今まで暮らしていたところとは全く違う世界。
 とはいえ、用意された家屋はひっそりとした場所に佇んでいた。
 場所はひっそりとしているのに用意された家屋のはまるでその昔あった大名屋敷のそれ。重々しい溜息とともに、質素でいいと言ったのにと悪態をつく。一人にはあまりにも広すぎる屋敷だった。

「まるで、三つ目の屯所のよう」

 荷ほどきを終えた碧月千里は私室にあたる部屋で腰に差していた脇差の手入れを始めた。
 目貫を取り、ハバキと鍔を外し、刀身と柄を分ける。刀身に打ち粉をぽんぽんとはたき、それを丁寧に拭き取る。それを終えると薄く油をさして、元に戻した。
 千里が今持っている刀は手元に二振り。それはどちらも脇差と呼ばれるものだった。
 ひとつは”朧月”と名付けられ、もうひとつは”薄桜”と名付けられた。どちらも千里が自ら打った刀である。
 朧月は一尺六寸の大脇差である。刃は兼房乱。目貫には下弦の月があしらわれており、柄巻きは鉄紺。あつらえた鞘も同じく鉄紺で、下げ緒は金糸雀色から淡藤色へグラデーションされた洒落たものである。
 薄桜は一尺三寸ほどの脇差である。刃は広直刃。目貫には桜の花弁を模したものがあしらわれ、柄巻きは鶸萌黄。あつらえた鞘は天鵞絨に鴇色で花弁の模様が入っていた。下げ緒は浅葱色。

「護身用にと、うった刀が、よもや本当に血に染まる時が来ようとは……ごめんなさいね」

 蝦夷の大地で一人、ひっそりと暮らし、ひっそりと息をひきとるつもりだったのだ。だが、不変は訪れなかった。

「さてと、明朝にはもう仕事だ。今日は早く床に着くとしよう」

 広すぎる家屋に再三ため息をつき、千里は眠る準備へと取り掛かった。
 使ったことのない布団に枕、感じたことのない香りに包まれて、すぐに眠れるはずなどなく、布団から抜け出た千里は縁側へと足を伸ばし、そっと眩い月を見上げた。

「貴方に生きろと言われなければ、今頃私は貴方の隣にいられた気がするのに」

 光を失いかけた紫紺の瞳が自分自身を射抜き、掠れた声で「生きろ」と言った。大切なものをあげたらキリなどなかったが、確かにあの時千里は、彼しかいらないと思うほどに弱々しく冷たくなっていく男の体を掻き抱いていた。それも虚しく、笑みを浮かべた男は灰となり千里の腕をすり抜けていったのだが。
 今でも、彼の最後の呼吸が頬を撫ぜた感覚はこびりついて離れないのである。

「……また、刀を持つことを許してください。きっと、私は刀とともに生き、刀とともに死ぬ運命にあるのだと思うのです」



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