『お疲れ様です、鬼灯様』
「あぁ、名前さんですか。お疲れ様です」

広い地獄の中にも娯楽施設はいくつか存在する。その中でもここは有名な温泉街となっており、日夜公務に勤しむ獄卒たちの憩いの場となっていた。
勿論それは閻魔大王の第一補佐官にも当てはまった。

時刻は言うなれば深夜。賑わいを見せる温泉街も今の時間帯は人も疎ら。そんな温泉街にあるひとつの湯屋にあるマッサージチェアに揺さぶられているのは先程話に出した閻魔大王の第一補佐官である鬼灯であった。
風呂上がりなのだろう、湿り気を帯びた黒髪に首からは金魚草の描かれた手ぬぐいをさげている。ほんの少しだけ赤みを帯びた頬には色気すら感じる。と言っても声をかけた彼女、名前からすると、いつも目下に隈を携えて顔面蒼白の状態で徹夜仕事をこなす姿に比べれば健康そのものといった姿に映っているわけだが。

名前のこの小さな湯屋で働く女だった。鬼灯よりは年下となるが、鬼灯とももう長い付き合いである。鬼灯は時間が取れるとこうしてゆっくりと温泉の湯に浸かりにやってくるのだ。

『そのご様子だと三徹くらいですか?』
「えぇ、ご察しの通りです。ほんと、嫌になりますよね仕事しなさいよ全く」
『閻魔様だっていろいろお考えになられているのでは?』
「どうでしょうね。半分でくのぼうみたいなお人ですから」

立場的には上司にあたる閻魔大王を思いだし、鬼灯はチッと舌打ちを打つ。綺麗な敬語を使っているのに言いたい放題である。
鬼灯はコップに入った冷酒を煽った。

『明日はお休みなんですか?』
「いいえ、しかし割と遅い出勤で良さそうなので温泉にでもと」
『なるほど』

鬼灯の忙しさは計り知れない。忙しいのだろうと誰しもが予想できるのだが、その忙しさを知る者は本人だけだ。
それでも仕事は真面目にこなすし、むしろ楽しんでいる節がある。

「そうそう、人づてに聞いたのですが」
『なんでしょう』
「明日は浴槽清掃でお休みなのでしょう?ここ」
『えぇ。清掃業者さんがいらして隅々まで綺麗にしていただく日なんです』
「ならば、名前さんもお休みだと、考えていいのですね?」
『はい。鬼灯様が本日最後のお客様ですよ』

にこりと微笑む名前の顔を一瞥した鬼灯は周りを見渡した。そうすれば名前の言った通りに自身がこの湯屋にいる最後の客であると思い知った。

「なら、早々に去りましょうかね」

よいしょとマッサージチェアから立ち上がる鬼灯。

『ゆっくりしてくださって構わないですよ?』

鬼灯に見下される形になった名前は鬼灯を見上げながら首をかしげた。鬼灯はスッと、自分のちょうど胸あたりにある名前の頭の上に手のひらを置いた。

「早く支度してきてください。ご一緒にお酒でも」
『え、あ、』
「嫌でしたか?」
『そういうわけでは、な、なかったのですが、その、吃驚してしまって』

鬼灯と出かけ、酒を飲み交わしたことがないわけではない。それでもこうやってさりげなく誘ってくる鬼灯に名前は未だにドキドキしていた。

「では、吃驚ついでに……」
『?』
「今夜は私の部屋で呑むなんてどうでしょう。ちょうどいいお酒が手に入って置いてあるんですが」
『ほ、鬼灯様の、お部屋ですか……?そ、それは……』
「確かに私の部屋は女性をお呼びするにはふさわしくないような部屋ですが……」
『そ、そういうことではなく……ッ』

お分かりだろうが鬼灯のコレはわざとである。こうして顔を真っ赤に染めていく名前の姿を見て楽しんでいるわけだ。
元々サディストとして巷では有名である鬼灯は、好意を抱いている相手に対してもまた虐めてしまいたくなる気質だった。勿論、無意識だが。

「それで、どちらに致しますか?外で呑みますか?私の部屋に来ますか?と言っても、最終的にはちゃんとお持ち帰りする予定ですが」

真顔で、それでもどこか楽しそうにする鬼灯に名前は更に頬を染め上げてうつむくしかなかった。
鬼灯はそれが気に食わなかったのか頭の上においていた手のひらを滑らせて顎に指をかける。それをそのままくいっと持ち上げれば視線が交わり合う。

「思惑通りの反応をしていただけるのは至極嬉しいのですがね。これくらいでこんなに反応されては、後でもちませんよ?」
『ほ、おずき、さま……』
「さて、行きましょうか」

鬼灯のその言葉に反応した名前は手早く湯屋の片付けを終わらせ、鬼灯の隣へと立った。鬼灯はおもむろに自分の左手で名前の右手の細指を絡め取って緩く握った。

夜風は寒いはずだった。
しかし外を歩く二人の間を風が通ることはなく、二人が冷えることはなかった。



夜と湯気に紛れて




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