跡部さんから衝撃の発言をされたその日の夕方、私は冬服とも言える制服のブレザーとスカートを手に外へと出ていた。
夕方は4時30分を過ぎた頃。
商店街は夕飯の献立に頭を悩ます主婦の姿がたくさん見受けられた。
『こんにちは』
「はーい、いらっしゃいませ」
制服を手にしてやってきてきたのは勿論クリーニング店だ。
『制服のクリーニングをお願いしたいのですが』
「あら、氷帝の制服ねぇ。1年生?」
『あ、はい』
「ふふっ、うちの子も氷帝なの。2年生なんだけどね」
『そうなんですか』
柔らかく微笑むおばさん。その笑顔には多少見覚えがあった。
「母さん!鍋!吹きこぼれてるC―!」
「え!?ジロー!!火止めて!」
「止めたC―!」
『……ジロー先輩、』
店の奥、きっと住居スペースになっている場所から聞こえてきたのは確かにあのジロー先輩の声だった。
そう思えばこのクリーニング店、あくたがわクリーニングとかいった気が……。
「あら?ジローのこと、知ってるの?」
『えぇ、お世話になってます』
「あらあら、こちらこそジローがお世話になってるわね」
「母さん、鍋、どうすんだC……ッ!?あぁ!!未久じゃん!!なになに??どうしたの!?」
扉についていた暖簾をくぐって顔を出したのはやはりあのジロー先輩で。
私を目に入れたジロー先輩はその眠たそうな目を目一杯に見開いていた。
『こんにちは、ジロー先輩』
「お客様よ」
「ん?制服のクリーニング?」
『はい』
「一人暮らしっしょ?大変じゃねえの?」
『慣れれば割と楽ですよ』
「A―」
「あら、一人暮らししてるの?まだ一年生なのに大変ね」
『いえ』
「あ、そうよ!お夕飯食べていかない?」
『え、』
名案!というように手をポンと叩くジロー先輩のお母さん。それに便乗するように大きな声を上げるのは勿論ジロー先輩で。
「ナイスアイディアだC!」
『で、でも、』
「遠慮なんかいらないわよ?」
『え、あ、じゃあ、その、お言葉に甘えます……』
そんな満面の笑みを浮かべて頼み事なんかされたら、断るにも断れない。しかもそれが、2つ目の前にあるのだから。
ジロー先輩のお宅は賑やかだった。お父さんとお母さんにジロー先輩。そしてジロー先輩のお兄さんに妹さん。よく描かれる明るい家庭の見本のようだった。
『ごちそうさまでした』
「いいのよ。またいつでも来て頂戴」
『ありがとうございます』
「ジロー!送って行ってあげて」
「勿論だC」
『え、でも』
「ホラ!行くC―!」
普段なかなかお目にかかることのないジロー先輩がそこにはいた。自ら私の手をとって私の先を歩くだなんて。
私とジロー先輩の身長はそんなに変わらない。でもやっぱり私の手を掴むその手は私のものよりも遥かに大きくて。
「……あれ?未久の家ってどこ?」
『そんなことだろうと思いましたよ。このまま真っ直ぐで大丈夫です』
「へー」
歩くこと10分。私の住むマンションへと辿り着いた。
「未久こんなとこ住んでんの!?スゲーーっ!」
『まあ、心配性の兄の意向で』
「なるほどねー」
『ではここで。送ってくださってありがとうございました』
「別にいいC―!ただ、また来てよ」
『はい、是非』
「バイバーイ」
彼が手を振る。私も手を振った。
時刻は8時を過ぎた頃だった。
『シャワー浴びてもう寝ていいかな』
明日からは夏休み。一日くらいゆっくりと眠っても問題ないはず。
そんなことを考えていた時だった。
Prrrrr―――
部屋に置いてある無数のケータイ。その中の一つがけたたましく音を鳴らしながら震えだした。
『もしもし』
「も、もしもし、ひひ、蛭魔、未久さんだよねっ??」
『これはこれは校長先生。どうか、なさったんですか?』
電話をかけてきたのは泥門高校の校長だった。いつもオドオドしている人物だが、電話越しの彼はいつも以上に落ち着いていないように感じた。
「おかしい、おかしいんだっ!なにがおかしいのか、私たちにはわからなくて……。どうか、どうか力をお借りしたいッ!泥門のためにッ」
彼が虚言を言っているとも思えない。だが電話越しに話したところで得られる情報は少ない。今の私が彼のためにすることがあるとすれば会って話をすることだ。
『校長先生、明日お時間いただけますでしょうか?』
「あ、明日?も、もももちろん大丈夫です、はい」
『では明日、午前10時に氷帝学園までお越し下さい。氷帝学園側には話を通しておきますので』
「は、はいっ」
『では、失礼いたします』
電話をきる。
そして私はすぐさまパソコンの電源を入れた。
Telephone call