ベクトル方程式 | ナノ




次の日。

前日の通り、私は東京駅地下街に来ていた。今日も今日とて暑いの何のって。こんな中クールビズとはいえスーツを着て仕事に励むサラリーマンは大変だなと、薄手のワンピースを着ている私は思った。


「未久?」
『あ、光。きたきた』


キャリーバッグをガラガラと引っ張り、暑いと言わんばかりに顔をしかめながら腕についているリストバンドで汗を拭った光。

声をかけられた私が振り返り光を見やれば一瞬光はきょとんとして2、3度目をぱちぱちさせたあと私を上から下まで眺めた。


『何?』
「ワンピース、着るんやなと思うて」
『似合ってないって言いたいの?』
「ちゃう。スカートとかあまり履かん性格なんやって思い込んどっただけ。似合うとるよ」
『め、面と向かって似合ってるって言われると少し照れる……』
「未久って、普通に人間臭いっすわ」
『なにそれ』
「なんややたらごっつい兄貴がおって、脅迫ネタやらハッキングやらなんやって言うとる割に、やることなすこと普通やん?」
『普通で悪い?』
「なんでもえぇよ。未久やし」


なんだか今日の光はやたら饒舌だ。言い負けている気がする。


「にしても、ごっつ暑いな」
『まぁね。少し早いけどお昼だしどっか入る?』
「おん……」


駅前のカフェに入って涼む。そんな強く冷房が入っていない店で、私が割とこの時期に脚を運ぶ店だ。

まだ早い時間だから軽く済ませようと、さっさとメニューを決めて注文すれば、光はお冷のグラスを軽く回して氷をカラリとグラスにぶつけた。


「で、元気なん?」
『は?』


なんの脈絡もなく、なんの主語もなく話を切り出した光に思わず声が出る。

光はグラスを口元へと運びコクリと一口、水を流し込んだ。


「元気、なさそうな感じやったから」
『そう見えた?』
「見えへんかったら、こんなこと言わんやろ」
『それもそっか』


私もすこしカサついた唇に水を含ませた。


『体調はすこぶるいいよ。ただ最近食生活が荒れてるから肌荒れはひどい』
「未久……」
『わかってる。精神的なことを聞きたかったんでしょ?これから言うよ』


もう一度グラスを口に運べば、店員がお待たせしましたと白い皿を目の前においておく。黒く涼しげなアイスコーヒーとともに運ばれてきたサンドイッチは緑や赤が挟まれていて鮮やかだった。


『……元気かって言われたら、元気じゃないのかもしれない』


一人じゃないのもわかってる。たくさん想われていることに気づかないほど鈍感でもない。優しさに心打たれることもあるし、励まされて頑張ろうとも思える。
跡部さんが頭を撫でてくれると嬉しい。若の言葉に心が温かくなる。ジロー先輩の笑顔が元気をくれる。萩ちゃんの優しさに泣きそうにもなった。
みんなみんな、かけがえのないもの。

でも、そのどれもが、妖兄の代わりにはならない。


『はっきり言えば、参ってる』


妖兄の声が聞けなくなった。電話してもどこか空返事で反応が薄くて、たまにあの女の声が聞こえたかと思えば意識はそっちに全部持っていかれる。


『なくして、初めて気づくって、こういう事なんだって、ね』


知っていたって思い込んでいた。

なくさなくたってわかってる。どれだけ大事かなんてって。

でも、こんなに辛いなんて思ってなかった。知らなかった。


「別に、未久がなくしたわけとちゃうやろ」
『え?』
「なくして初めて気づく、言うんわ、自ら手放してから気づく馬鹿のことを言うんや。せやけど未久のはちゃうやろ。未久は大切にしとった。せやろ?」
『ひ、かる……』
「迷惑ならいくらかけてもええ。せやけど、心配させんで」


眉尻をきゅっと下げた光。こんな表情もするんだって、思った。


私はいい人間ではない。完璧でもない。どちらかといえば悪人で、それでいて不完全。一人でなど、到底生きていけるわけがない。


『光』
「ん?」
『私は、元気だよ』
「ほーか」


光はストローでアイスコーヒーを飲み下した。

カランと、氷が転がった。


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