少し前から計画されていた練習試合。これから合宿だというのに練習試合、とも思うが試合からしか取れないデータがあるからと組んだものだった。そのデータをもとに合宿でのメニューも決まっていくに違いない。俺も練習試合をすることになんら反対はない。むしろ、ここ最近の練習の成果を発揮したいと考えていたところだったから。
俺はS2だ。今度こそ下克上と意気込んだ。
すると跡部さんが「人手が足りねぇか。樺地」と言い始めて、何かを言われた樺地が部室を出て行ってものの数十分。樺地に抱えられていたのは見覚えのある奴だった。
蛭魔未久。今のこの氷帝テニス部があるのはこいつのお陰と言っても過言ではない。頭がよく容量のいい彼女は、マネージャーとしても一流で、それはここにいるメンバーには周知の事実だった。
人手が足りないと、樺地が連れてきたのはそんな彼女で。練習試合でのサポートを任せるとのことだった。未久も最初は渋っていたが、渋るだけ無駄と諦めて頷いていた。
そしてそのあとに未久の口から知らされた事実。俺でさえも、開いた口が塞がらなかった。
未久の兄である、蛭魔妖一も、ひと月前の俺たちと同じようになっている。
俺は蛭魔妖一という人物がどういう人物かを俺は知っている。世間一般のいう蛭魔妖一の人物像とは違う、本来彼自身が持つ本質を。
鬼畜、悪魔、傍若無人。蛭魔妖一を表現するのに用いられる数々の言葉だ。自分の求めるものの為ならば手段は選ばない。人を脅すことだっていとも容易く行う。
じゃあ、蛭魔妖一とは血も涙もない男なのか?
それは、違う。
現に、ひと月前。妖一さんは実の妹である未久のために変装まで施して合宿へと参加した。未久の危機に誰よりも怒りを溢れさせ、誰よりも心配していたのだ。
あの時、未久が無事だとわかった時の妖一さんの顔を俺は忘れない。
悪魔なんて、誰が呼んだんだ。そう思わせる、慈愛に満ちた顔だった。
だからこそ、そんな妖一さんが、未久にこんな顔をさせていることが信じられなかった。こんな、悲しそうな顔。
練習試合当日。集合時間1時間前だが、部室へと訪れた。しかしそこにはもう未久の姿があった。
『若、おはよ』
「おはよう。早いな」
『準備って意外と大変なんだよ。知らなかった?』
そう言って笑う彼女。俺はさっさと着替えて、未久の隣に立った。
「手伝う」
『え?あぁ、気持ちは嬉しいけどウォームアップすれば?そのために早く来たんでしょ?』
「いいから、黙って手伝わされろ」
『……ん、』
未久がドリンクをつくる脇で、俺はタオルを畳んで籠の中へと入れた。
『S2でしょ?』
「あぁ」
作業を進めながらも他愛もない話をしていく。
『私はテニス初心者だからさ、上手いとか下手とかよくわからない』
「だろうな」
『でも、』
「?」
『若が、どれだけ頑張ってたかはわかる』
「!」
『古武術も頑張ってて、テニスも頑張ってて。そんな中で自分の形を作り上げて……。並大抵の努力じゃ無理なことだもの』
当たり前と言われれば当たり前だ。彼女には観察眼がある。
でも、こうして面と向かって人のことを、俺のことを認めてくれて。
柄じゃないが、うれしかった。
『ま、若だけじゃなくて、これは氷帝テニス部に言えることなのかもしれないけどね』
「あぁ」
『勝ってよね』
「あぁ」
なんだったか。
椿屋栞子って奴は自分自身を“女神”と評したらしい。
残念だが、俺には、
未久が、本当に女神のように見える。
あれが本当の女神だと