ベクトル方程式 | ナノ





『……わかりました。引き受ければいいんですね』
「初めからそうやって素直に頷いとけばいいんだよ」


突然樺地に拉致されたかと思ったら行き先は男子テニス部の部室のようで、涼しい部室にあるソファの上に優しく置かれた。部室には氷帝男子テニス部レギュラーの面々が勢ぞろいのようだった。

そしていつも通り上から目線の跡部景吾からの要望。

明日ある練習試合でマネージャー業をしてもらいたいとのこと。萩ちゃんにはなんでもスコアやデータなどの専門的なことを頼みたいらしく、人手が欲しいらしい。

参加するのはレギュラーのみ。ドリンクやタオルの準備もレギュラーの分だけで十分とのこと。

最初は渋ったけれど、その渋りも意味をなさないと悟り、私は頷いた。


「毎度、跡部がすまんなぁ」
『そう思うなら止めてくださいよ』
「ははっ、そら無理やわ」
『メンバーは決まってるんですか?』
「あぁ、だいたい同じだがな」
「俺は侑士とD2だぜ!」
「せやな」
『じゃあ、宍戸さんと鳳くんがD1』
「そうです」
「いつも通りだぜ」


あれから早1ヶ月。あの頃のような確執は存在せず、ギスギスしていることもなく、私はテニス部と関わりを持っている。

あくまでも、彼らは被害者。私は少なくともそう認識している。


「あとは、S3がジローでS2が日吉。S1は言わずもがな、」
「俺様だ!」


せっかく説明してくれていた萩ちゃんを遮るように声を上げ、指をパチーンと鳴らした跡部さんに皆が苦笑い。


『ほんと、アレなんとかなんないの』
「ならないな」


私の呟きに的確に答えたのは若で。

なんやかんやで若だって跡部さんとは3年以上の付き合いなのだ。跡部さんの性格が短所でもあり長所でもあることも重々承知しているのだろうし、あがくだけ無駄。むしろ、放っておくことが正解ということも理解しているのだろう。

それは若だけでなく、ここにいる全員に言えることなのだろうけれど。


『跡部さん』
「なんだ?」


ものはついでと言う。私は今まで聞きたかったことを聞いた。


『椿屋ホールディングスをご存知ですか?』
「あーん?最近伸びてきた貿易系の会社のことか」
『それであってます』
「跡部財閥も関わりがないと言えば嘘になる程度の関わりは持ってるはずだ。跡部財閥の日本とイギリスのパイプを利用したいって腹だろうがな」
『社長さんとかにあったことあります?』
「夕食会で一度な」
『娘さんがいることは?』
「その夕食会にいたな」
『何歳くらいか、覚えてます?』
「あ?……10歳前後くらいだったか。あんな業界にいると見た目じゃ年齢判断できないからな。やけに大人びてるやつとかもわんさか居るしな」
『……』
「それがどうかしたのか?あーん?」


前にも述べた通り、過去の私の情報では椿屋ホールディングス社長の娘はまだまだ幼いはずなのだ。そう、今跡部さんが言ったような。

でも、今は。


『私も、そう思っていたんです』
「……どういうことだ」
『いや、それで合っているんです。でも、』


今の世界では、それが正解ではない。


『今、妖兄の学校で、まるで一ヶ月前のここと同じような状況になっています』
「「「「!」」」」
「妖一も、なのかい?」
『そう、残念ながらね』


萩ちゃんは私の言葉で眉をひそめて、顔を俯けてしまった。ここに居る人物は少なからず体験してしまった人間だ。事の重大さがわかっている。


「で、でもよ!あのヒル魔って俺たちに起きた出来ごと知ってるはずだろ!?」
「頭もよさそうやったし……そう簡単におかしくなるんかいな」
「いくら人の及ばない力だったとしても、アイツがか?」


重々承知しているヒル魔妖一という人物の性格。

一様に皆、信じられないのも無理はない。

でも、私は、あの妖兄の醜態を目の前で見てしまっているのだ。

認めざるを得なかったのだ。


『同じような状況、といってもすべてが同じわけじゃない』
「どういうことだ」
『前のアイツは、容姿をよくすることや潤沢な資金、そして逆ハーを求めた。でも、今回のやつは違うんだ』
「何を、求めたの?」
『そこまでは、わからない。でも、記憶操作が行われているようなんだ』
「記憶、操作だと!?」
「はぁ?」


唖然とする部室内。誰しも記憶操作が行われているなどと思うはずがない。現に私だってそんな可能性、目の当たりにするまで考えていなかったのだから。


『昨日今日出会った人物が、あたかも昔から居る仲間のように見える。そういうことだよ』
「昔からいた、そう思わせるために記憶をいじったって言うんかいな……末恐ろしいこっちゃ……」
「それと、椿屋ホールディングスが何か関係あんのか?」
『察しがよくて助かるよ。そう、関係大アリなんだ』


私はカバンから一枚の写真を取り出した。言わずもがな、椿屋栞子の写真だ。


「この子、は?」
『名前は椿屋栞子。泥門高校に通う二年生で椿屋ホールディングスの社長令嬢』
「そういうことか……ッ」
「ど、どういうことなんだよ跡部っ!!」
『本来、椿屋ホールディングスの社長令嬢はまだ幼い子供なんだ。きっとまだ小学生なはず。それが今までの正しい情報』
「だが、コイツは力を使って未久の兄たちの記憶を操作したうえ、椿屋ホールディングスという多額の財産をもっている会社の令嬢になることによって立場を確立させた」
『そう。そこにも記憶操作が行われているのはまず間違いないよ』
「確か、アイツは存在意義を失って消えたんだったな」
『そう。でも今回はそうはいかない』
「な、なんで?」
『椿屋ホールディングスの社長の娘としてこの世界にいるからだよ』
「家族がいる、ということになるからね」
「な、なるほど……」


うーんと唸りながらも話についてくる向日さん。


『唯一安心しているのが、この記憶操作が行われているのが一部っていうことなんだ』
「一部?」
『今回で言えば、アメフト部かな?』
「なるほどね。確かこの間のアイツはテニス部が目的だった。今回の奴はアメフト部が目的ってわけ」
『そう。だからこうして氷帝のみんなには話すことができた』


ふぅ、と息を吐き出せば私の隣には萩ちゃんが。萩ちゃんもソファーへと座り、ソファーが重さで少し沈む。

隣に座った萩ちゃんの右手は、私の左手を包み込んだ。


「辛いね、未久」
『萩ちゃん』
「未久は妖一のこと、大好きだから」
『……怖いよ、妖兄が敵になるの』
「未久……」
『でも、問題ない』
「?」
『ひとりじゃないって、知ってるから』
「未久……っ」


萩ちゃんは泣きそうな顔で綺麗に笑った。



針で穴を開けた


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