ベクトル方程式 | ナノ





『はぁ』


青く広い空、白く大きい雲。青春の1ページを彷彿とさせるコンディションのもと、泥門デビルバッツは練習を行っていた。

真面目に練習を行っているようでそうでもない。ベンチで日傘を差している椿屋栞子にいかにかっこいい姿を見せようかと奔走しているだけだ。引退している妖兄は椿屋栞子の隣でニヤニヤするだけ。ため息も出るに決まっている。


そんな私は泥門高校の屋上にいた。

眼下に見える小さな人たちに贈る言葉は「乙」だけ。


あぁ、わからない人のために説明しよう。「乙」とは簡単に言えば「お疲れ」が変形したものでありネットスラングの一つだ。大変だね、お疲れ様といったときに使う。

例としては、
「今日のバイト疲れたー!まじであの店長理不尽だし」
「乙」
といった感じか。

物語のヒロインを楽しんでいるだけの彼女のために頑張っている彼らに贈るにはぴったりだろう。


さて、私はこんなことをしにここに来たわけではない。とあることを決意しに来たのだ。

前にも言った通り、私は少しスペックの高い人間に過ぎない。できないことだってもちろんある。それがこの案件だ。

できれば自分で何とかしたかった。でも、今回の敵はそう簡単にもいかなそうで。

この間は、矛盾がたくさんあった。そこをつついてしまえばいともたやすく崩れ去る。そんなものだった。矛盾を集めるための情報収集技術と多少のバックアップがあればどうということはなかった。

でも、今回はどうだ。

矛盾がないわけではない。しかしその矛盾を打ち砕くかのように、記憶のすり替えが行われているようだ。それでは、どうしようもない。

なにより、下手を打てば妖兄が敵に回る可能性だってあるのだ。


『……』


私は決意を固めるためにもここで、堕落してしまった兄の姿を見ておきたかったのだ。


とある、神の名前を呼ぶための決意だ。


『ジル』


私がそう呟けば、どこか空気が変わったような気がした。まだ、奴の姿は見えない。


「奴って、酷いな」
『ッ!?』


背後からだった。

耳元に感じた低く癖のある声。私は声にならない叫び声を上げた。


「そんなに驚くとは思ってなかった」
『ふっざけんなよ、この糞死神』
「糞(ファッキン)って……ホント、妖一にそっくりになって」
『それ、どういういみ』
「そのまんま」


クククと喉の奥で笑ったこいつこそが、この間の元凶。自称及び他称死神。名前をジルというらしい。

死神らしく黒い衣服に包まれた身体。見目はヒトそのものだが、感じる何かが目の前のものがヒトでないことを教える。


『神の分際で、ほんとウザイ』
「神の分際って……一応、神だけど」


困ったような声で私の顔を覗き込んでくるジル。その表情もどこか困ったような顔だが、その漆黒の瞳に映る感情は何も映していなかった。


『だから、何度も言ってるでしょ。私は無神論者だって。私にとって神は神の分際レベルなの』
「それでもお前は、俺の名を呼んだ」
『ッ』


空気が冷えた気がした。耳を擽る声じゃなく、脳内に直接響くような声。


『しょうがないでしょ!?私でも、なにがなんだかっ!わからなくてッ』


頭では理解しているつもりだった。
この間のように神のような存在に幾つかの願いを聞いてもらい、補正をつけている女が妖兄のいる泥門をめちゃめちゃにしている。その内の一つは記憶操作のようななにかで、あの女はまるで去年から泥門デビルバッツの一員として活躍しているかのような振る舞いと評価を受けている。

頭では、理解しているつもりだった。

でも、信じたくなかった。その記憶のどれもが、去年私が妖兄のためにと頑張ってきたものだったから。妖兄の笑った顔が見たくて、妖兄のためならって持てる力を全部使って頑張った。

その私の努力が、すべて、あの女の評価になっている?


『矛盾を探して叩いたっていい!!でも、それじゃ、多分妖兄を敵に回してしまう……』


私が一番怖いのは、それだ。妖兄に、突き放されたら私は。


「泣きたかったら、泣いてもいいんだぜ?」
『泣かないよ、ばーか』


そう言って笑ってやれば、ジルも同じように笑った。


『んで?力、貸してくれるんでしょ?』
「未久のためならね」
『あんたの基準はよくわからないけど、まあいいや。で?』
「これは確かに、人外だな」


ジルは先程までの私と同じように上から椿屋栞子を見下した。


『ジル、あんたの仕業ではないってことよね?』
「あぁ、俺じゃない」
『知り合い?』
「そこまではわからんが、俺と同じような力を持った存在ってのは確かだな」


ふむ、と顎に手を当てるジル。


『もちろん、補正もかかってるんでしょ?』
「そうだな。未久も気付いてるように記憶操作が行われてる」
『やっぱり』
「そしてこれまた気付いていると思うが、この補正は所謂“漫画キャラ”にしか効いていない」
『それは、つまり……』
「椿屋栞子っつったか?コイツが望んだ漫画の世界のキャラクターにしかこの補正は効いてない。だからあの跡部とかには効いてない」
『つまり、注意すべきはアメフト部だけ?』
「簡単に言えばな」


補正にかかっているのがこの世界にいる全員とかだったらどうしようもなかったが、これならなんとか糸口が見つかりそうだ。


「俺も、こんなことした奴のこと探っておくから安心しろ」
『できれば夏休み中……8月いっぱいまでには解決したい』
「なるほど。わかったよ」


そう言うとジルはふよふよと宙を浮いた。


「未久」
『ん?』
「……一人じゃ、ないからな」
『わかってる』


私がそう言うとジルは安心した顔で消えた。



止まれよ止まれ血の涙



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