ベクトル方程式 | ナノ




まさか、今月二度目の神奈川を体験する羽目になるとは思っていなかった。

東京都とは隣県である神奈川県に私は来ていた。理由はもう言わずもがな、情報収集の一環だ。


『登りたくないなぁ……これぇ……』


さすがに、この階段をのぼる気にはならない。

神奈川県に存在する有名な男子校。それがここ神龍寺学院。所謂宗教的な学校であり、女人禁制なごく一般的な男子校だ。制服もまた僧のような形をしており、学ランともブレザーとも違う。少しだけ浮世離れした学校。

そんな学校の前には確か1080段に及ぶ階段が置かれており、頂上は見えていないに等しい。こんなの登る気になれない。

私はケータイを取り出した。電話帳は「か」行。送信先は、金剛雲水。

『こんにちは。練習中だとは思いますが、メール失礼します。練習が終わりましたらお話したいことがあります。神龍寺から一番近いファミレスで待っています。追伸、できれば阿含さんも連れてきてください』

これで送信する。

あえて金剛阿含には送らない。めんどくさくなるから。

私は踵を返し、メール通りここから一番近いファミレスへと向かった。


ドリンクバーを頼みコーヒーを持って席に着く。持ってきていたパソコンを開いて株価をチェック。ページを開いたまま、バッグから小説を取り出す。

最近よく読んでいるのは日本文学。割と有名なのを片っ端から読みあさっている。坊ちゃんだったり心だったり人間失格だったり。


何分経っただろうか。

ふと、人気を感じて顔を上げれば前の席にサングラスの男が座ろうとしていた。


『雲水さんは』
「まだこねぇよ。つーか、つれねぇよなァ。雲子ちゃんにはメールしてよ」
『アンタにメールするとロクなことにならないから』


カチャリとかけていたサングラスを外した金剛阿含はニヤリと笑いながら私を見つめてきた。

金剛阿含。100年に1人と言わしめた男。事実、彼は天才だ。

なぜ彼が天才か。

彼の最も優れている点はその神経の伝達速度にある。通称インパルスと言われるソレには勿論限界というものが存在し、人間の限界は0、10秒と言われている。そんな中で彼は限界に近い0、11秒での伝達を可能にしているのだ。

目で見てそれに反応するまでに0、11秒しかかからない。これが運動、スポーツにおいてどれだけ優れた能力なのか。もう説明は必要ないだろう。


「で?なんでこんなところまで来たんだよ。話ってなんだ」
『まだ雲水さん来てないでしょ』
「あのカスの差金か?」
『あのカスっていうのがもしも妖兄のことなら今ここでアンタを社会的に抹殺すんぞ、コラ』
「ククク、相変わらず強気だなァ」
『強気じゃない。強いんだよ』
「ったく、テメェと話してるとアイツと兄妹だって思い知るぜ」
『兄妹だっての』


ちなみに、こんなやつに敬語は必要ない。


「すまない、遅くなった」


僧のような制服に身を包んだ雲水さんが私に頭を下げる。そして阿含の隣へと座った。


『いえ、お呼び出ししたのは私の方です。お気になさらず』
「そう言ってもらえると助かる。しかし、こいつが何か粗相をしてないだろうか」
『いえ、特には』
「そうか」
「雲子ちゃん相変わらず堅すぎ」
「あのな……」


はぁとため息を吐く雲水さんに私は心底同情した。


「それで、話とは?」


一息ついた雲水さんが本題へと入った。


『これを』


私は写真を机の上に乗せて、二人へと見せた。


「泥門の、マネージャーだろ?」
「あぁ。そうそう。どっかで見たことある顔だなって思ったわ」


意外だと思ったのが、阿含の椿屋栞子に対する反応が薄いことだ。彼女の容姿は悪くない。男ウケしそうな容姿だ。そんな容姿の彼女に女たらしの阿含が反応を示していない。


「それで、彼女がどうかしたのか?」
『どんな印象を抱いているのか、聞きたいんです』
「マネージャーとしての技量を言うのならば文句なしだろう。去年の泥門の優勝は彼女の力あってこそだろうからな」
『なぜ、そう思いますか』
「司令塔であるヒル魔のサポートを担っていたのは彼女だからな。彼女の集めた情報があったからこその優勝だと、俺は思っている」
『なるほど』


真面目な雲水さんだから真面目に答えてくれるとは思っていたが、まさかここまで椿屋栞子のことを肯定するとは思っていなかった。せいぜい情報収集の面で活躍していた有能なマネージャー程度だと思っていたので、予想外。


「雲子ちゃんでも、んな事言うんだな」


まるで私の心を代弁するかのように口を開いたのは阿含だった。


「どう言う意味だ、阿含」
「そのまんまだよ」


ドカッと足を机の上に投げ出すと、視線を窓の外へ向けて言った。


『阿含はどう思ってるわけ?』
「あー?あの女のことか?」
『そう』
「顔よし体よし、家柄もよしの良物件」
『それで?』
「……良く言うじゃねぇか“生理的に受け付けない”って。アレだな。まぁ、生理的に受付ねぇってのは女にしかねぇらしいが」
『へぇ……顔がいい女ならなんだっていいんだと思ってた』
「あ゛?……まぁ、あながち間違っちゃいねぇがな」


不機嫌そうにコーヒーに手を伸ばす。投げ出していた足は机の上で組み直された。


『でも、何か理由はあるんじゃないの?』
「……強いて言うなら、出来すぎだ」
『出来すぎ?』
「今や有名となった会社の社長の娘。顔がよくてスタイルもいい。のくせしてマネージャーみてぇな雑務もこなして、テメェやカス並みの情報収集をやってのけた。てめぇじゃねえんだ、気持ちわりい」


阿含と私は決して仲がいいとは言えない。しかし長い付き合いだ。兄を介して出会って早3年以上。喧嘩するほど仲がいいとはよく言うが、あながち間違ってはいないようで、互いに互いを理解しているからこそ、なのだ。

阿含は天才だと言われる。私もある方面から天才だと言われる。だが、すべての方面で優れているわけではない。それでも弱味を見せないようにとその天才と呼ばれる才能をフル活用しているだけで。

だが彼女は違う。短所などないかのように、なんの防具もつけずに堂々と歩いている。それが、当然のように。

まるで自分は死ぬことがないのだと知っている漫画の主人公のような振る舞い。

いや、このままでは語弊がある。

まるで、

「漫画の主人公だから死ぬはずがない」と思っているかのよう、なのだ。

もしかしたら、私のこの考えは間違っていないのかもしれない。だって、彼女にとってここは漫画の世界なのだから。神だかなんだかの力を借りて多少守られた状態で漫画の世界へとやってきた。

漫画で言う設定もばっちり!これで私はヒロイン!

そんなところか。

だからこそあんな、自分女神発言ができたのだろう。


しかし、だ。間違ってはいけない。椿屋栞子が前いた世界では漫画の世界だったとしても、今あるここは紛れもない現実の世界。キャラクターである(多分)私の兄だって、刺されれば死ぬ。

私も妖兄もセナやモン太、目の前の阿含や雲水さんだって同じ人間。玩具でも人形でも駒でもない。


「テメェは何考えてる」


サングラスをかけ直した阿含が、そのグラス越しに私を射抜いた。


『強いて言うなら、力を持て余した神をどう叩き潰すか、かな』
「なんだそりゃぁ。俺たちのことかよ」
『いいや、違うね。もっともっと、タチの悪いやつ』


方向性は、決まったかな。



神龍


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