感じるのは、風。心地の良い初夏の風。そして香る花の香り。
私は目を開けた。
そこは一面がお花畑で私のとっては夢のような世界。いや、夢の世界、なのかもしれないのだけれど。
「市花、さん?」 『!』
声が聞こえて私は振り向いた。そこには私と瓜二つ(といっても細部はかなり違うのだけれど)の少年が立っていた。鮮やかな藍色の髪の毛はふわふわと風で揺れている。
『精市くん、ですか?』 「初めまして……幸村精市です」 「こちらこそ初めまして。幸村市花です」
互いに自己紹介をすれば精市くんは泣きそうな顔になった。
「……ごめんね、俺のせいで」
苦しそうな精市くんの顔。白蘭の言っていたことは本当なんだ。彼が苦しんでいる、後悔しているっていうのは。
『精市くんのせいじゃないよ』 「っ」 『誰だって怖いものからは逃げたくなる。精市くんだってそうだった、それだけじゃない』 「でも、君を巻き込んだんだ……ッ!」 『……確かに、私は精市くんの代わりとして扱われてはっきり言えば辛かった』 「ッ!」 『でも、辛いことばかりじゃないって今なら言えるよ』 「市花、さん」
精市くんは涙を浮かべてふわりと笑った。その笑顔はすごく綺麗で眩しかった。
「ありがとうっ」 『こちらこそ、ありがとう』
どちらからというでもなく笑いがこみ上げてきて二人で笑った。
「ねえ、市花さん」 『市花でいいよ』 「なら俺も、精市で」 『うん』 「市花」 『なに?精市』 「俺は世界から逃げた。そして君を代わりにおいてしまった」 『うん』 「でも、今あの世界にいるのは紛れもない、市花なんだ。だから、市花のしたいように生きて欲しい」 『せい、いち、』 「幸村精市としてじゃなく幸村市花として生きて欲しい。君がそう強く願えば君は市花になるよ」 『私が、私に、』
気がつけばいつの間にか精市になっていた私。受け入れるしかないのだと思っていた。でも今精市は市花として生きろって言ってくれた。
「君の好きなように生きて欲しい。したいことをして、やりたくないことならやらなくたっていい。文句だってどんどん言っていいんだ」 『私は、』 「テニスも、好きにしたらいい」 『あ、』
そう。幸村精市という存在にとって最も重要なのはテニスだ。初めは嫌嫌で、脅されて仕方なく始めたテニス。病気になった当初もこれを機にやめられるのでは?とまで考えた。
でも、
『全国大会』 「!」 『三連覇をかけた、最後の大会。手術が成功すれば間に合うって』 「市花……」 『精市ほどテニスに本気にはなれていないと思う。きっと精市ほど上手でもない。でも、テニスに学んだことはたくさん、たくさんあるんだ』
努力や日々の積み重ねはもちろん、友や仲間や絆。私はひとりぼっちだった。でもそれらに生かされていた。
『あのメンバーと、優勝したいって、思うよ』 「市花……。こんなことを言うのも烏滸がましいけど、俺、市花を俺の代わりにして良かったって思ってる」 『最高の褒め言葉だね』 「……そろそろ、時間みたいだね」 『あ、』
よくよく見れば周りの景色が消えかけているようだった。そして、目の前の精市も。
『精市っ』 「君に逢えてよかった。また、会いたいな」 『私も……っ!』 「じゃあ、また会おうね。約束」 『うん』
私と精市の小指がつながった。
「これだけは覚えておいて。俺は、市花の味方さ」
そして世界は白に染まった。
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