着替えと日用品。それからまだ読んでいない小説などをボストンバッグへと詰める。荷造りもひと段落した頃だった。急に部屋の扉が開いた。
そこに立っていたのは、片割れである蜜香だった。
『何?』 「明日から大変だなって、ね」 『そう……』 「テニス部は任せてよ。私がいればなんとかなるでしょ」 『皆しっかりしてるから、大丈夫だってわかってるよ』 「何、すっごい生意気」 『これでも部長だからね』
演じているとはいえ部長であるのは私だ。私を誰も見ていないとはいえその事実は揺らがない。
『それより蜜香。一つ、聞きたいことがあったんだ』 「なによ」 『精市を私が殺したって、確証はあるの?』
ずっと気になっていたんだ。なぜ蜜香は私が精市を殺したと思い込んでいたのか。精市の存在を知っているのならまだしもそれを私が殺しただなんてそう簡単に口に出せるようなものではない。
「確証も何もそこには精市がいるはずだった。なのにいない!なら今そのポジションにいる人間が精市を殺した!それ以外考えられるわけないじゃない!」
ということは蜜香も今まで勘違いをしていたということになる。
『蜜香は精市が大好きなんだね』 「急になによ」 『だって大好きな人だったからそんな風に想えるんでしょ?』
いるはずだった大好きな人。その人がいなかったらそりゃだれだって冷静ではいられない。きっと蜜香だってそうだったんだ。そう思った……けれど、
「はぁ……あんたって馬鹿よね」 『な、に?』
急に声のトーンが下がったかと思えば蜜香の眼は鋭くなった。そう私の嫌いなあの眼。
「確かに精市がこの世界にいないのは残念で仕方がないわ。すっごい美人だし」 『そ、そりゃあ美人だろうけど……』 「でもそんなのが目的なわけないじゃない」 『な、何を言って……』 「どうせ逆らえないんだし、言っても問題はないわね」
ニヤリと気持ちの悪い笑みを浮かべた蜜香が可笑しそうに言った。
「別に精市はどうでもいいのよ」 『!?』 「私の目的は今の立海のレギュラーだもの」 『どう言う意味……』 「私はこの世界に来る権利がもらえたの。アンタみたいに」
この世界に来る権利……そんなものがあるのか?そこまではわからないけれど少なくとも蜜香はそう思っているようだ。
「私はこの世界にくるのに“転生”を用いたの。めんどくさいけどね。でもそのほうが手っ取り早くみんなに近づけると思ったから」
ダメだ。意味がわからない。白蘭が言っていたことよりも意味がわからない。この世界に来る。そして来る権利。転生という方法を用いた?みんなに、近づける?
「幸村精市の妹というポジションなら、男子テニス部に近づきやすいでしょ?」
カチリとピースがはまった。
つまり、蜜香は今まで精市のことを想って私を脅していたのではなくて、自分の欲望のために私を脅していたということなの?
幸村精市という人間を使うことで自分の望む環境に飛び込みやすいから、と。
「初めはホントどうしようかと思ったわよ。精市のポジションにいるのが女なんだもの。ふざけてるわよね」
ケラケラと笑う蜜香。
「あ、でも勘違いしないでよね。アンタはこれからも幸村精市として暮らしていくんだから。じゃなきゃこの世界がおかしくなっちゃうよ?」 『蜜香ッ』 「アンタは知らないようだから教えてあげる。この世界はね漫画の世界なの」 『!』 「テニス漫画の世界でね幸村精市はその中でも重要なキャラクター……だからその幸村精市がいなければこの世界壊れちゃうかもしれないよ?」 『そ、んな』 「だーかーらー!ちゃんとこれからも幸村精市として生きていけば問題ないの」
せっかく、希望が見えたと思ったのに。こんなのはあんまりだ。
この世界がストーリーを辿るだけの世界だったなんて、そんなのって。
だから彼女は幸村精市のことを熟知していたのか……これならつじつまが合う。
「ま、せいぜい頑張ってねー」
パタリと無機質な音を立てて閉じた扉にやけに苛立ちを覚えた。
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