新幹線の席に着いた幸村は少ない手荷物を置き、疲れきった体と精神を癒すために瞳を閉じた。
突然の事だった。父が亡くなったと連絡を受けた幸村が実家に着いた時はすでに腹違いの兄の信幸とその母がいた。死に装束を身に纏った父を目の前にして漸くもうこの世にいないという事を実感した。
父の葬儀を終えた幸村は兄から一枚の手紙を受け取った。それは亡き父からの最後の手紙だった。
もし自分の身に何かあった場合、一つだけ頼みがある。祖父が住んでいた家を覚えているか?あれをお前に譲りたい。否、正しく言えばあの家を守ってくれないか。お前にしか出来ない事だ。本当にすまない、だがあの家を、あの土地を守ってくれ。お前しか出来ないと私は思っている。
「守るとは一体…?」
「お祖父様を覚えているかい?まだお前は幼かったが」
「少しなら覚えています」
「そうか。お前はお祖父様の若い頃にそっくりだと父上が言っていたよ。だからだろうね」
「兄上?」
「説明するにはちょっと難しい事なんだ。私にはあれが見れない。私には力がないようだから」
先程からの信幸の言葉が幸村には理解が出来ずに眉をひそめる。
「実際に見に行った方が早いと思う」
信幸は幸村に一枚の紙を渡した。どうやら簡易地図のようだ。
「頼んだよ、幸村」
兄の穏やかな笑みは亡き父そっくりで幸村は少しだけ胸が苦しくなった。
熱くなる目頭をそのままで受け取った地図を広げた。手書きの簡易地図の上に雫が一つ零れ落ちた。


祖父の家は古いながらもまだとても綺麗に生きていた。庭にも誰かが手入れにくるのかあまり荒れていなかった。
懐かしき記憶のまま家の中を歩いていると祖父の部屋を見つけた。まだ小さかった己を膝に乗せ、よく昔話やお伽噺を聞かせてくれた。祖父はなんでも知っていた。特に不思議な事に関しては祖父はとても楽しそうに話してくれた。
そんな幼き頃の霞んだ記憶を辿りながら幸村は祖父の部屋を見渡す。薄汚れたタンスに目を惹かれた。
そこを開けてみれば、真新しいと言っていい着物が入っていた。手に取って開いてみればそれは幸村より小さい着物だった。
それに幸村は首を傾げた。確か祖父はそんなに背が低い方ではなかった、ましてや彼は武術を身につけていた。この家には祖父以外に棲んでいなかった。だが、このタンスの中には幾つかの着物が眠っている。
全て同じ丈、色は緑色が多い。
「これは…、」
幸村は次の引き手を開けるとそこには見慣れたものがあった。
紐に通された六紋銭。それは真田家の家紋。
祖父がずっと身につけていた六紋銭がそこにあった。
幸村は恐る恐るそれを手に取るとじっくりそれを眺めた。
確かに祖父の六紋銭だ。
しかし、何故これがここに残っているのだろうか。
これは祖父と共に失ったはずではなかっただろうか。困惑する幸村が視線を落とすと着物の間に白い物を見つけた。手紙だ――。
着物の間にひっそりと隠されていた手紙を幸村は開く。

『きっとお前はこれを見つけたのだろうな。幸村』

流れる様に美しい文は祖父のだった。

『多くは語りはせぬ。語ってしまえば要らぬ事も話してしまいそうだ。幸村よ、お前に頼みたい事がある。ここにある六紋銭はお前に預ける。後は頼んだぞ。―――――佐助を頼む。』

それだけだ。それだけしか手紙には書いてなかった。幸村は最後に書かれている名に首を傾げた。
佐助。聞いた事がない名前だ。祖父の知り合いだろうか。だがそれなら幸村に頼まないだろう。ならば祖父と己が知っている人物だろうか。しかし、それは数少ないはずだ。むしろいないとも言える。
だが、この名前、どこかで聞いた覚えがある。
どこで誰が…?

『忘れるでないぞ?』

懐かしい祖父の声が甦る。

『あやつの名は――、』

幸村は瞬時に部屋から駆け出した。手には亡き祖父の六紋銭を握って。


シャラシャラと六紋銭が擦れる音が山に響く。
道なき道を踏みしめ歩く幸村は朧気な記憶を辿る。
昔、昔の話だった。
この山には天狗がいるのだと幸村は祖父から聞いた。この山に棲む天狗はあやかしと違って人間に害はなくよく人里に降りては人間達の暮らしを見ていたそうだ。
幸村の祖父、幸隆もまた幼い頃に天狗と会った事があるとまだ幼い幸村に教えてくれた。
天狗はとても恥ずかしがり屋の照れ屋だから自分の正体が分かるとすぐに消えてしまうと祖父が笑ったのを幸村は覚えている。
「お祖父様は天狗と会話をした事があるのでしょうか?」
そう幸村が聞けば祖父は遠い昔を懐かしむ様に瞳を細め口元に笑みを浮かべると、遠い昔の事だ。と答えてくれた。
「天狗の名前は何と言うのですか?」
幸村は祖父が見た天狗に酷く興味を持った。一目でいいから祖父が見た天狗に会ってみたい。話をしてみたい。そう強く思った。
「あやつの名は―――。」
「よく聞えませぬ」
幸村がそう言えば、祖父はそうか、まだ早いかと呟き、その時が来れば自ずと知るだろうと幸村の頭を撫でてくれた。
「本当に天狗に会いたいと思うなら強く願うとよい。お前にはそれを叶える力がある。よいか、幸村。その時が来たら強く願え。そして呼び掛けよ。忘れるではないぞ?あやつの名は―――、」

祖父はあの時、確かに己に天狗の名を教えてくれたのだ。

山を登り暫くすれば開けた場所にでた。山中にある平坦な場所。そこは昔、祖父に一度だけ連れてきてもらった場所だ。
その奥に大きな岩がある。
しゃらん。
足を止めた幸村の手に握られた六紋銭が音を立てた。

しゃらん、しゃらん。
六紋銭がなく。

会いたい、逢いたい。
それは己の思いか、残された六紋銭の想いか分からないが幸村の心を駆り立てる。すぅっと幸村が息を吸い込む。どうすればいいのか分からないが勝手に口から開いた。

「いい加減に起きぬか!!」

幸村の怒声は山中にビリビリと響き渡った。周りにこだまする。
風が生まれた。幸村の視界を奪う。
「煩いなぁ、俺様眠いんだけど」
閉じた瞳を開けると黒い羽が視界一杯に舞い落ちる。
赤い髪に黒く大きな羽。
くわぁっと気だるそうに欠伸するその男を見て幸村の心は歓喜に奮えた。

(嗚呼、これだ)

ずっと会いたかった。この瞬間を待ち侘びた。
「人間が俺様を起こすなんてね。あんた何様?」
天狗の赤い瞳が幸村を捕えた。その瞬間、天狗の瞳に哀しみの色が浮かんだ。

「幸隆?……違う。あんた幸隆そっくりだけと幸隆じゃないね。あんた誰?」
「……幸隆の孫の真田幸村と申す」
「孫?」
「あぁ」
「幸隆は?」
「亡くなった」
「そう」
天狗の瞳に深く悲しみの色が浮かんだ。
「だが似ているのだろう?俺は祖父の若い頃に瓜二つだと言われた。現にそなたも俺を見て祖父と間違えた。俺を見れば祖父を思い出すだろう。俺は祖父の代わりにはなれぬがこの瓜二つの顔を見れば寂しくはないだろう?」
「変な人だね、あんた」
天狗は幸村の言葉にキョトンとすると笑った。
その表情に幸村は嗚呼と吐息を吐いた。
「名は?」
「は?なに言ってんの。あんたあやかしがそう易々と名前を教えるわけないじゃん」
「お主の名は佐助というのだろう?」
「―――っ!」
一瞬で顔色を変えた天狗に幸村ははて、違ったか。と首を傾げた。
「ちょっと!なんてあんたなんかが俺様の名前知ってるわけ!?ってか、今呼んだよね!?なんで呼んじゃうわけ!!」
「名を呼んだだけではないか」
「それが駄目なの!幸隆にそんな事も聞いてないの!?」
「お祖父様からお前の名を聞いただけだ」
「なにしてくれちゃってんの!もう最悪…」
佐助という名の天狗は顔を手で覆い嘆いた。
「何か悪い事でもあったのか?」
「俺様、天狗だけど一応あやかしなの」
「うむ、知っておる」
「で、俺は不本意だけど此処に封印されてたわけで。あんたは俺を目覚めさせて名前も呼んじまったから、あんたは俺のご主人様になったわけ」
「どういう意味だ?」
「だからあんたは俺の主になったわけで!俺は嫌でもあんたの命令に従う様になっちまったんだ!」
なんで俺様の名前教えてんだよー!幸隆の馬鹿野郎!!と天狗は泣いた。
命令に従う?と幸村は首を傾げたが、ふむと納得すると口元に笑みを浮かべた。

「佐助、来い」
幸村の声に佐助は顔色を悪くする。
「いやー!行きたくないー!!」
佐助の体が勝手に動く。それは名前を縛られるあやかしの宿命。不機嫌な表情を浮かべながら幸村の命に従って近付いて来た佐助の頭を撫でて幸村は佐助の手を取った。
「帰るぞ」
「え?」
「祖父の家を譲り受けた。お前もそこに住めばよい」
「俺様、山でも暮らせるんだけどー」
「言い方が悪かったな。共に暮らせ、佐助」
「横暴ー!暴君、この腹黒!幸隆はそんなに性格悪くなかったのに!」
「よくは分からんが、」
「なに?」
「何故だろうな、お前に関しては我慢したくないのだ」
「なにそれ!?」
「我慢出来ぬというか、我が儘を言いたくなるのだ」
「最低ー!」
ぎゃあぎゃあ騒ぐ天狗に幸村は立ち止まり振り返る。
「なに?」
やっぱり天狗の方が少し背が低いようだ。幸村はそのよく動く天狗の口に己の唇を寄せた。
「煩い口は塞ぐぞ」
「ふ、塞いでから言うなぁー!!」
ばちん、と幸村の頬に赤い紅葉が咲いた。



22.0707
風花



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