戻れない過去


 
 
 
 
 
温かな温もり。包まった毛布の優しさに頬が緩み、そして体を温めてくれる火が、僕の目の前にはあった。体を温めてくれる火の向こう側。そこには僕が大好きで尊敬してやまない先生が座っていた。慣れない手つきで何かを作業しているその様子に苦笑しながら、横たわっていた体を起き上がらせた。ああ、先生。僕の目の前には先生が存在している。
 
 
『良く眠っていたな。疲れているのか、フェルディ』
 
 
大好きな先生の声。温かで優しくて、何もかもが大好きだった。何も分からずに生まれてきてしまった僕を育てて、一緒に旅を続けてきた心の拠り所。いつだって先生は正しくて、悪なんて事は有り得なかった。先生の考える事こそ正義で、それに反対する人々は悪なのだ。そう、僕はまるで神のように先生を崇め、信者のように彼の言う事だけを信じてきた。
 
 
『いえ大丈夫です、先生』
 
 
今目の前にいる先生は、この間見た夢の中の先生と違って冷たさなんて持っていなかった。ああ、この頃の先生はまだ僕の事なんて詳しく知らなかったはず。ただ僕と共に旅を続け、純粋に僕の力を世界に役立てようとしていただけだったはずだ…。
起き上がった僕を確認した先生は、先ほどからしていた作業の産物を僕に和渡してくれた。それは先生が精一杯作ったスープだった。僕は渡されたそれを受け取り、スプーンで掬って口に運んだ。
 
 
『……先生……、料理は僕に任せて下さい…』
 
 
残念な事に、先生は頭は良いが手先は不器用だった。一番最初に先生の料理を食べた時は、世の中にはこんな料理しかないのか?と疑問に思ったほどだ。それでも先生の料理は食べれないほど酷いものではなかったので、苦笑している先生を脇目に見ながら全てを飲み干した。
 
 
『情けないな…』
 
 
綺麗な金色の髪を乱しながら大きな溜息をつく先生に、僕は苦笑いを向ける。苦手なものを克服しようと先生は奮闘しているけれど、料理だけはどうしても上手くならなかった。これはもうどうにも出来ないものだと僕はこっそり諦めている。
 
 
『例え料理が下手でも僕は先生を尊敬しています。先生の研究のお陰で様々なものが発展しています。その技術力を認められたお陰で、先生は他の人とは違う扱いを受けてる。僕はそんな先生を心の底から尊敬しています』
 
 
先生は様々な事を行った。どうすれば自分の力を世の中に示せるか研究して、努力して、地位を築いていった。でも、先生の研究が認められたのは僕の力を借りていたからもあるのだ。実際、先生の研究のほとんどは僕がいたからこそ成り立っていた。でも、その頃の僕はまだそんな事を知らないから、無邪気に先生を尊敬する事が出来た。
 
 
『最初の方は褒めてないだろ!……全くしょうがない奴だ。さあフェルディ。お喋りはここまでにして今日はもう寝よう。明日も早い』
 
 
『分かってますよ』
 
 
揺らめく火の向こう側で、先生が横になって眠りに入る。僕はそんな先生を見ながら頬を緩め、自分も再び体を横たえた。
まだ僕が世界を知らなくて、自分の事すらも不安定で、何もかもが分からなかった時期。純粋に生きていられた些細な時間。懐かしくて、楽しくて、嬉しくて…。でも、それが僕には苦しかった。大切な時間だと濃く気付いてしまった瞬間、悲しくなる。もうこの時間は戻らないのだと分かってしまっているから。どうして僕は生きているのに、先生が死んでしまっているのか。どうして人間とは、簡単に死んでしまう脆い生き物なのだろうかと、考えずにはいられなくて………。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
何かに揺られる感覚がした。懐かしい。幼かった頃の僕は良くこうして先生の背に背負われていた。そんな時先生は僕に温かい言葉をかけてくれて…。
ふと、そこまで考えてから目をゆっくりと開けてみた。視界がぼやけて周りの状況を良く理解出来ずにいると、下の方から幼い声が聞こえてきた。
 
 
「フェルディ起きたよ!」
 
 
「僕は…」
 
 
聞こえてきたのはジーニアスの声。一瞬何が起こっているのか理解できなくて悩んでいると、目の前には赤い服が見えた。僕たちの中で赤い服を着ているのはロイドだけ。だとしたら、僕はロイドに背負われているようです…。
 
 
「大丈夫か?こっちに来た瞬間に気、失ったみたいだから」
 
 
「ええ、今は平気です。降ろしてもらえますか?」
 
 
「ああ」
 
 
僕が大丈夫だと言うとロイドがしゃがんで僕の事を下ろしてくれました。なんだがその所作が少しばかり紳士的に見えたので、違和感がありましたが…。
 
 
「ここはどこですか?」
 
 
下ろしてもらって見上げた視界には、大きな建物がいくつも並んだ街が聳え立っていました。シルヴァラントでは有り得ないこの建造技術…。どうやら僕たちは本当にテセアラに来てしまったようですね…。
 
 
「テセアラのメルトキオって言う街で、一番大きいんだって」
 
 
メルトキオ。僕の随分前の記憶に存在する街の名前。ロイドたちは知らないけれど、僕はこの世界の事を多少は知っているつもりだ。このメルトキオにはテセアラを収める王がいる事や、こちらの世界にも存在する神子。そしてこの世界の人間がどれだけ強欲かを、僕は知っている。
 
 
「そうですか…。ところでしいなは?」
 
 
「頭領に報告するために離れたわ。それよりも城に行きましょう」
 
 
リフィルはそう簡単に答えたが、きっと僕ならばある程度察せると思ったのでしょうね。事実僕はリフィルが言った言葉の意味をきっちりと理解しています。しいなは仮にも神子暗殺を目的で来たこちらの世界の人間。それなのに神子を殺すどころか共にこの世界に来てしまった。しいなのやった事は道徳的には良いのでしょうが、国としては許されないことでしょうね…。
ちらりと、僕の隣を歩いているコレットを見る。彼女の目には生気はなく虚ろのまま。感情を失った人間の成れの果て…。僕たちは、欲のない人間を望んでいた。しかし、本当に何もかもを失った人間はこんなにも虚無だ。僕たちは、本当にこんな姿を望んでいたのでしょうか…?
 
 
「あ、コレット!」
 
 
少しばかり油断していたら、コレットが僕たちより先にずんずんと進んでいってしまった。僕はそんなコレットの姿を見て、急いで目の前の階段を駆け上がって彼女を追いかけた。すると、女性の甲高い声が聞こえてきました。なんだか嫌な予感がする…。
 
 
「何ぼーっとしてるのよ!?」
 
 
ヒステリックに叫び、派手なドレスを翻しながらコレットに詰め寄る女性たち。そんな女性たちを宥めながらコレットの様子を心配する男性。どうやらコレットは男性の方にぶつかってしまったようですね。しかし、今の彼女には謝るという感情も、慌てるという感情もない。何も反応を返さないコレットに対して女性たちはまたしても叫ぶ。
 
 
「んまぁぁぁぁぁぁ!ゼロス様がお言葉をかけてくださったのに、なぁにこの子!」
 
 
「お祭りでもないのに天使様の仮装なんかして馬鹿じゃないの!信じられない!」
 
 
ヒートアップしていく女性たちの叫びに、これ以上はまずいと思ってコレットと女性たちの間に体を滑り込ませ、彼女を守るように後ろに下げた。
 
 
「僕の連れが大変失礼しました。ですが、そのような美しい姿でそのような言葉を吐くのは勿体無いですよ」
 
 
にこりと、悪意の無い顔で微笑むと、女性たちは自分たちの行動が目立っている事に気付いたのか、これ以上大きな声を出して罵る事を止め、こちらを見るだけにしていた。そんな様子を先ほどの男性が楽しそうに眺めている事に気付き、そちらに少しばかり視線を向けた瞬間、ロイドたちが漸く駆け上がって来た。
 
 
「もう早速揉め事かしら?」
 
 
「え〜?僕の責任ですか?違いますよ」
 
 
リフィルと目線が合った瞬間にそう言われたので弁明しておく。そうしないといつまでも勘違いされたままになりそうだったので…。だって本当に僕の責任ではありませんから。
なんて油断している隙に、先ほどの男性がコレットの顔を覗き込んでその整った顔で微笑みを浮かべた。
 
 
「彼女、怒ってるの?君って笑ったら、きっとひまわりみたいにキュートなんだろうな〜」
 
 
甘い声で囁くようにそう言った男性は、反応のないコレットの肩に触れようと手を伸ばす。僕はその瞬間、その男性の手を掴み、途中でその手を止めさせた。今のコレットは色々な意味で危険だ。感情がなく、敵だと判断したものを排除する。それが例えどんな人物であろうとも、害を成されれば攻撃してしまう。そんなコレットを、この男性に触れさせるわけにはいかない。
 
 
「すみません、彼女は見知らぬ人に触られるのが苦手なのです。失礼ですが、そういうのは遠慮して下さい」
 
 
上手い具合に言い訳をつらつらと述べると、男性は残念、と肩を竦めて苦笑した。そしてコレットから視線を外すと、今度はリフィルに視線を止め、わざとらしく大きな声を上げて名前を尋ねる。しかしリフィルはその男性の言葉をロイドの大好きな「人の名前を尋ねる前に自分が名乗れ」と言う言葉で回避した。
 
 
「おっと、俺様をご存知ない?これはこれは、俺様もまだまだ修行不足ってことだな〜」
 
 
男性はリフィルの言葉に面白そうに肩を竦めると、名前を名乗らぬまま先ほどから黙ったままの女性たちを連れてどこかへと去ってしまった。
 
 
「何だったんだ、あれ…」
 
 
ロイドが呆然としたような声で呟く中、僕はあの男性の胸についていた宝石の事を考えていた。手を掴んだ時にあの宝石が良く見えた。それに彼は僕が手を掴もうとした瞬間、その手を避けようとしていた。やはりあれは…。
 
 
「エクスフィア…。彼はエクスフィアを装備していますね…」
 
 
コレットを止めないで黙ったまま見ていたらもっと確信が持てたかもしれませんが、この場で騒ぎを起こすのは良い判断ではありませんし、コレットが暴走するのを見逃すわけにはいかない。
 
 
「え?そうなのか?」
 
 
「……。今まで散々見てきたじゃありませんか…」
 
 
あまりにお馬鹿さんなロイドに、頭が痛くなってしまう…。しょうがないので、お馬鹿さんなロイドは置いておいて、さっさと城に向かう事にしました。リフィルやジーニアスも同じ意見なのかロイドの事を無視して歩き出してしまう。ロイドはそんな僕たちの様子を見て、慌ててコレットの手を引いて駆け寄ってきた。僕はそんなロイドの様子がおかしくて少しばかり笑っていると、ロイドに怒られてしまった。
さて、テセアラまでは順調でしたが、これから先一体どうなる事やら…。
 
 
 
 
 

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