完全なる天使


 
 
 
 
 
やはりと言うか、コレットは先に行ってしまったようだ。彼女の性格上やるとは思っていたが、まさか本当にロイドたちを置いていくとは……。僕たちも彼女の後を追うべく、急いで飛竜に乗り、救いの塔へと向かった。
 
 
「早く行きましょう」
 
 
リフィルに促され、中へと足を踏み入れた。その促す瞬間のリフィルの違和感を逃さず感じながら。救いの塔の中は、驚くべきものがあった。空中を舞うように円を描く多くの棺桶。綺麗に階段のように並べられたそれは、綺麗に並べすぎているせいか、不気味さを増していた。体の底から震え上がるような、気味の悪さだった。
 
 
「…どうしてこんなに沢山の死体があるんだよ!」
 
 
「今まで世界再生に失敗した神子でしょうね、おそらく。彼女が心配です、行きましょう」
 
 
「…ああ!」
 
 
ロイドは焦りを抑えつつも、一気に駆け出した。言葉は必死に抑えようとしているようだが、行動には焦りを抑えきれていなかった。僕たちはそんなロイドの後に続いて転移装置に乗り、祭壇のところまでやって来た。辿り着いたその時には、もう既にコレットは祈りを捧げてしまっていた。ああ、もう間に合わない…!
 
 
「さあ、我が娘コレットよ。最後の封印を今こそ解き放て。そして人としての営みを捧げてきたそなたに残されたもの、すなわち記憶と心を捧げよ。それを自ら望む事で、そなたは真の天使となる!」
 
 
祈りを捧げているその先に浮かんでいたレミエルは、腕を高々と上げてまるで演説を語るかのように言葉を並べていく。心無く、意味も無い空っぽな言葉を。僕は、その言葉をある程度予想できていた。だって、コレットもリフィルも挙動不審だったし、コレットと一緒に夜の会話をしていると、何となくそうなるのではないかと分かっていたからだ。しかし、僕とリフィル以外の全員が目を見開いて、その言葉に息を呑んだ。
 
 
「コレットは…ここで人としての死を迎え、天使として再生する」
 
 
「どういうことだよ、先生!」
 
 
「ごめんなさい、ロイド。コレットに口止めされていたの。世界を再生すれば、それと引き替えにコレットが死ぬ。死ぬことが、天使になると言うことなの」
 
 
「それは少し違う。神子の心は死に、体はマーテル様に捧げられる。コレットは自らの体を差し出すことでマーテル様を復活させるのだ。これこそが世界再生!マーテル様の復活が世界の再生そのもの!」
 
 
リフィルが苦痛そうに顔を歪めている脇で、レミエルはまるで気にしないというように演説をする。唇に浮かび上がる薄い笑みに、ロイドは唇を噛み締め、必死に何かに耐えているようだった。彼は、後悔をしているの、か?
 
 
「…レミエル様。シルヴァラントには隣り合うテセアラと言う世界があるそうですね」
 
 
リフィルが唐突にテセアラの話を出すと、今まで薄い笑みを湛えていた顔が一気に冷めた顔へと変わり、まるで僕たちの事を見下すように目を細めた。
 
 
「そなたが知るべきことではない」
 
 
「ことさらに隠すのは本当だからね?」
 
 
「そのような話、誰から聞いたのだ」
 
 
不機嫌な顔をしたレミエルは、相変わらず僕たちの事を見下す。僕たちは下等な生き物であると言う様に。しかしそんな視線をものともせず、しいなは前に進み出て声を上げた。二つの世界を平和で豊かな世界に出来ないか、と。そんな都合のいい話は存在しないと思いながらレミエルが答えるのを待っていると、良い事を思いついたのか、レミエルはまたしても薄い笑みを浮かべた。
  
「神子がそれを望むなら、天使となってクルシスに力を貸すといい。神子の力でマーテル様が目覚めれば、二つの世界は神子の望むように平和になろう」
 
 
この場にいる誰もがその言葉に一瞬停止し、聞き入るだろう。だって少女のたった一つの命で、二つの世界が救われるというのだから。それだけレミエルの言葉は甘く、残酷だった。コレットは自分の命で世界を救おうとしている。彼女は自分が自分ではなくなる事を分かっているのだ。そんな彼女に、甘い言葉をかけてしまったら、彼女の自己犠牲に火を点けてしまうだろう。レミエルは、そんなコレットの心に漬け込んだのだ。
 
 
「…ダメだ!コレット!お前が犠牲になったらお前の事が好きな仲間も家族も友達も、…俺も!みんな悲しくて犠牲になるのと同じだ!」
 
 
後悔を、したくないのだろうか?彼は、誰もがその言葉に呑まれようとした瞬間に、前へと足を踏み出した。たった一つの少女を犠牲にすれば救われるはずの世界を、捨ててまで彼女を助けようとするのだろうか。ロイドはその足を動かして祭壇へと近づこうとした。しかし、そんな彼の動きを止めた者がいた。それは彼の親友であるジーニアスだった。
 
 
「離せっ!ジーニアス!」
 
 
「僕だって、コレットが変わってしまうのは嫌だけど、それならどうすればいいの!シルヴァラントのみんなも苦しんでるんだよ!」
 
 
「それは…」
 
 
「神子一人が犠牲になれば世界は救われる。それともお前は世界より、神子の心だけが救われた方が良いと言うのか?さあコレットよ。父の元に来るのだ」
 
 
レミエルの言った事は確かに正論だった。たった一つの命で世界が救われるなんて、甘い言葉…。おそらく誰もが彼女の命を差し出すことだろう。残酷と言われてもかまわない。だってそれは世界を救うためなのだから。まるで、一人殺せば殺人、千人殺せば英雄とでも言うように。甘い言葉は、人を惑わせる。本当にしなければならないのは一体何なのか、判断力を失わせる。それはとある一つの感情。欲望という名の………。
 
 
「待てよ!レミエル!本当に他の方法はないのか?コレットはあんたの娘なんだ。あんただって、本当はコレットが死ぬことなんて望んでないだろ!」
 
 
ロイドは誰よりも純粋で、きっとこの場にいる誰よりもレミエルの言葉を信じているに違いない。眩しくて、羨ましくて、でも、甘ちゃんで…。しかし僕はそんな彼を気に入っていた。
 
 
「…娘だと?笑わせる。お前たち劣悪種が、守護天使として降臨した私を勝手に父呼ばわりしたのだろう」
 
 
「な…なに…」
 
 
「私はマーテル様の器として選ばれた生贄の娘に、クルシスの輝石を授けただけだ」
 
 
ロイドの拳は震えていた。怒り、悲しみ…。ロイドの感情は一気に湧き上がり、自分の体を押さえつけていたジーニアスの体を振り払い、コレットへと一気に駆け寄ってその肩に手を置いた。その瞬間、声を失ったはずのコレットから声が聞こえてきた。
 
 
「ロイド、大丈夫だよ。私、気がついてた。何度かレミエル様に会う内に、この人は違うって思ってたから…。でも、どうしてだろう。何だが目の奥が痛いよ…」
 
 
聞こえてきた声色は確かに悲しそうなものだった。そして僕には、コレットが悲しそうに顔を歪め、涙を流しているように見えた。しかし実際の彼女は全く悲しそうな顔をしているものの、その瞳には涙の欠片さえ見つからなかった。
そして彼女は、肩に置かれたロイドの手をそっと取って、彼に語りかける。最後の言葉、と。
 
 
「コレット!」
 
 
その体がふわりと宙に浮き上がり、ゆっくりと青色の瞳が閉じられる。目を閉じるのに合わせるように背中から美しい羽が広がり、光が零れる。そして、閉じられていた瞳がゆっくりと開かれたその瞬間、ロイドたちは息を呑んだ。今まで美しかったあの青色の瞳が、その美しさを失い、真紅へと塗り替えられていた。先ほどまで悲しみを表していたはずの表情には、一切の感情がなくなっていた。まるで人形のように…。そんな彼女を見た瞬間、僕は鳥肌が立った。感情の一切がない人間を間近に見て、僕の体は震え上がっていた。それは悲しみなのか、喜びなのか全く分からなかった。
 
 
「ふははははは!」
 
 
高らかに叫ばれるのは欲望に塗れたレミエルの汚れた声。そして、その欲望に塗れた声で、歓喜を叫ぶ。マーテル様の器が完成した。これで自分は四大天使になれる、と。欲望に塗れ、堕落した、末路を、奴はまざまざと見せ付けてくれた。
ロイドはレミエルの言葉に目を見開き、腰にあった双剣を一気に引き抜いた。
 
 
「何がクルシスだ!何が天使だ!何が女神マーテルだ!コレットを返せ!」
 
 
犬歯を剥き出しにして叫び、怒りを露わにしたロイドの目には涙が浮かんでいた。そして、他のメンバーもそれぞれの武器を取り、反抗の意を示した。やはり、この場にいる誰もが少女の犠牲を望んでいなかったのだ。僕はそんな彼らを見て、安心した。彼らになら、まだ着いて行ける。まだ、着いて行ける。
そして僕も腰に納まっていた二丁の銃を取り出して、詠唱を始める。ウンディーネに授けてもらった水系の最高術を。
 
 
「…我、誘う…。蒼冥たる波濤。旋渦となりて厄を呑み込め…」
 
 
走り出したロイドに、レミエルの攻撃が飛ぶ。しかしロイドはそれらを全て掻い潜り、双剣を振るってその肩へと食い込ませた。そしてその瞬間を見計らったかのように、しいなが札を投げてその体を吹き飛ばした。レミエルの体が吹き飛ばされた先の地面に、青い魔方陣が現れる。
 
 
「呑まれなさい!タイダルウェイブ!」
 
 
凄まじい水の奔流。それはあっという間にレミエルを呑み込み、その体を水圧で潰し、骨を軋ませる。悲鳴すら呑み込む激しい水の流れに、レミエルの醜い悲鳴は掻き消された。やがて水が収まると、その場に倒れ込み、内蔵などを圧迫されたせいなのか、口から血を吐き出した。
 
 
「馬鹿な…。最強の戦士である天使が、こんな人間どもに…」
 
 
地に伏したレミエルは、血反吐を吐きながら苦々しく言葉を吐き出した。全くその男は馬鹿だ。最強戦士だと?笑わせてくれる。天使がそんな醜い感情に呑まれているのなら、それは人間となんら変わりはしない。僕にとってレミエルもまた愚かな人間の一人に過ぎない。
そして地に伏したままのレミエルに視線を向ける事無くコレットへと近づくロイド。彼女に視線を向けてその様子を窺って見たが、彼に声をかけられても彼女は全く反応せず、視線を虚空に向けていた。本当に、人形みたいだった。
 
 
「無駄だ。その娘には、お前の記憶どころお前の声に耳を貸す心すらない。今のコレットは死を目前としたただの人形だ」
 
 
不意に聞こえてきたのは、今まで何度も僕たちの事を助けてくれた頼もしい男の声だった。しかし、その声が伝えたのは安心できるような言葉ではなく、残酷な言葉だった。祭壇の後ろから出てきたクラトスは、腕を組んで僕たちの事を見下ろしていた。やはり、彼には大きな秘密が存在していた。この旅に関する、何か重要な秘密が。あの時、彼の時間の流れがおかしいと言ったあの時から、僕は確信を持っていた。一つの、当たって欲しくない確信を。
そして淡々と喋り続けるクラトスに、虫の息であったレミエルが縋りつく。しかしクラトスはそんなレミエルを冷たく見下ろすと、助けを求める手を取る事などせず、コレットへと近づく。
 
 
「クラトス…お前は一体何者なんだ」
 
 
ロイドが顔を歪めてクラトスに問いかける。問いかけた、そう、彼は問いかけたのだ。全く人を疑う事を知らないロイドは、信じたくなかった。だから、本人の口から聞くまで納得したくなかったのだ。クラトスが、敵だったなんて。
 
 
「…私は世界を導く最高機関クルシスに属する者。神子を監視するために差し向けられた四大天使だ」
 
 
クラトスの足元から淡い光が舞い上がり、それと同時にその背中から美しい水色の羽が伸びる。ああ、やっぱりと僕はどこか冷静に判断していた。いかなエルフといえ、あそこまで長い時間を生きていられるはずはない。彼の中に存在していた時間は百年や二百年なんて可愛いものではなかった。それこそ一桁違っていた。だから、そこまで存在できる存在なんて、この世界ではそれしかいないと分かっていた。彼は天使だと。
クラトスの背から伸びる羽を見た瞬間、しいなは声を荒げた。騙していたのか!と。しかし、それをクラトスは嘲笑う。ロイドがそんなクラトスに怒りを覚え、双剣に手を伸ばそうとした瞬間、空から大量の光の矢が降り注いできた。いや、それが光の矢だと認識する前に、僕たちの体はそれによって吹き飛ばされていた。僕は勢い良く壁に背中を打ちつけ、頭を強く揺さぶられた。それにより意識が混濁し、目の前も霞んで見えた。どうやら…、不意打ちを喰らってしまったらしい…。痛みに呻きながらどうしようかと考えていると、ふと、僕の耳にとある声が聞こえてきた。
 
 
「やはりいかなお前でも、本気で対峙するには至らなかったか…」
 
 
その声は、何故か僕の心に懐かしさを湧き上がらせた。僕が、知らない声だったにも関わらず…。
 
 
 
 
 

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