トラウマと彼女の世界


 
 
 
 
 
風が、吹いている。僕の頬を撫でるように、包み込むように優しく。その風はあまりにも優しくて、僕はハッとした。ここは一体…?これは夢…?
暗闇に染まっていた視界がゆっくりと開かれて、僕の目は風景を映し出す。穏やかに揺れる木々。青く美しい空。澄んだ鳥の声。そして、目の前には、先生が、いた。ああ、やはりこれは夢なのだ。先生が目の前にいるなんて…。
 
 
『フェルディ、大丈夫か?』
 
 
美しく流れていく金色の髪に、優しい水面のような水色の瞳。その口から放たれる言葉は優しくて美しい。そして僕の頭を撫でる手も温かい。僕が焦がれて止まない大好きな先生。僕にとって太陽と同じであり、光と同じであり、そして世界と同じだった存在。僕はそんな先生の手を自身の小さな手で握り返して、小さく微笑んだ。ああ、幸せだった。
 
 
『はい、先生』
 
 
先生は僕の手を優しく引き、どこかの森へと連れて行く。不安なんて微塵もなかった。僕にとって太陽であり光であり世界である先生となら、何も怖くなかった。だって先生のする事に間違いなんてなかったのだから。僕はまるで親鳥についていく雛鳥のようにただ従順について行った。愚かで無知な僕は、それしか知らなかったから。
 
 
『さあ、お前の力を見せてくれ』
 
 
森の奥。誰も来ないような場所で立ち止まると、手を離して先生が僕に優しく言った。穏やかに揺れる水面の向こうには隠しきれない欲望が宿っていたのに、その時の僕はそれに気づく事ができなかった。僕は離された手をぎゅっと握り締めて、ゆっくりと目を閉じた。僕だけに与えられた力を、先生に見せるために。しばらくそうしていると、先生が感嘆の声を上げたので、僕はゆっくりと目を開けた。力は目を開けた瞬間に消え去っていた。
 
 
『本当に素晴らしい力だ。お前は最高だよ、フェルディ』
 
 
先生は嬉しそうにそう言うと、大きな手を僕の頭に乗せて優しく撫でてくれた。その手つきがいつも穏やかで、僕は好きだった。一通り撫で終わった後に、先生は僕の手を引いて森の外へと歩き出す。先生は時々僕の力を見たがった。先生は研究の為に、といって頼み込んできたので、僕は先生のためならと力を見せた。本来ならしてはいけない事なのに、その時の僕は未熟で、どうしようもない存在だったから先生に力を見せてしまった。
 
 
『いつか俺を連れて行ってくれるといいのにな』
 
 
それは先生の口癖だった。いつもいつも先生はそう呟いて僕を悲しそうに見つめていた。でも僕は先生の視線を受け止める事が出来なくて、視線を逸らしていた。
 
 
『それは…出来ない、です……』
 
 
僕はそっと視線を伏せてその言葉に首を振る。出来ない、ではないのだ。してはいけない、やってはいけないのだ。どれだけ僕が愚か者であろうとも、それをしてはいけないことだけはきちんと理解していた。
段々景色が霞んできた。もうすぐで夢は終わる。先生との思い出の夢も終わるのだ。僕は本当に先生が好きだった。無知だった僕に様々な事を教え、一人でも生きていける術を教えてくれた。言葉遣いや、身だしなみや、マナー。全て先生が丁寧に教えてくれた。そして何よりも大切だったのは、僕に居場所をくれた事だった。先生は僕の大切な場所。この場所を、僕は失いたくなかった。
あの、忌まわしい事が起こる前までは…。
 
 
『役立たず』
 
 
不意に聞こえてきた先生の冷たく鋭い言葉に、僕は顔を上げた。見上げた先生の表情は、先程の笑顔なんかではなく、憎々しそうに僕の事を睨んでいた。その表情は、僕が先生と共にいて一番見たくない表情で…。僕は…………。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
「フェルディ!」
 
 
誰かの叫び声にハッとして自分が寝ていた事を思い出した。心臓は強く脈を打っていて、呼吸が正常に行えなくて、過呼吸のように不規則な呼吸になってしまう。胸を強く掴んでいると、僕の目の前にしいなの顔が見えた。
 
 
「しっかりしな!」
 
 
頬を張る鋭い音と感覚を理解した瞬間、不規則だった呼吸は正常に戻り、僕は漸く周りの状況を確認する事が出来た。
 
 
「…ぼく、は……」
  

「大丈夫かい、アンタ?まだ顔色が悪いよ?」
 
 
しいなの心配そうな顔が見えて、冷静になる事が出来た。まだ少し痛む頭を押さえながら起き上がると、どこかの宿のようだった。周りにはしいなしかいないみたいで、助かった。この場に他のメンバーがいたのなら心配をかけていただろうから…。
 
 
「すみません…」
 
 
「平気さ。それより心配なのはアンタだよ。真っ青でもう一回倒れそうだよ」
 
 
思い出しました。僕はクヴァルの牧場を出てすぐに倒れてしまったのでした…。あの時、コレットの血を見てしまったから僕の中にあるトラウマが蘇ってしまったんでしょうね…。
 
 
「どうやら迷惑をかけてしまったようで…」
 
 
「何言ってんだい!謝るんじゃないよ!」
 
 
「すみません…」
 
 
「あのねぇ…」
 
 
ちょっと怒ったように言ったしいなに対して謝罪すると、何とも言えない言葉が返ってきた。しいなの表情を見ると煮え切らないような感じだった。僕がその表情の意味が分からなくて首を傾げると、しいなは重たい溜息をついた後に今の状況を話してくれた。
コレットが封印を解放するたびに人間として大切なものを失っていくと…。
 
 
「ロイドは何か道はないかって探すらしいよ」
 
 
「そうですか…」
 
 
…ロイドはついに耐え切れなくて全員にその事を話したのですか…。まあロイドならいつか全員に話してしまうのではないだろうかと思っていましたが…。しして、ロイドは彼女が天使にならずに済む方法はないかと模索する事にしたようです。ですが、おそらくそれは無理な話でしょう。彼女が天使にならないという事は、この衰退世界は救われないという事。彼女はどうしたって天使にならざるを得ない。この世界が衰退している限りは…。
 
 
「あんたは少し休んでな。まだ顔色が悪いよ」
 
 
しいなはそう言うと先程まで座っていた椅子から立ち上がり、上半身だけ起こしていた僕の肩を押してベッドに寝かせようとする。僕はそんなしいなの手を慌てて止めた。
 
 
「待って下さい、しいな。外の空気を少し吸いたいのですが…」
 
 
「何言ってるんだい!具合悪い奴は寝てな!」
 
 
「待って下さいしいな!あの、夢見が悪かったので寝るのはちょっと…」
 
 
僕の手を離して強引にベッドに押し込もうとしていたしいなは、僕の必死な様子に手を止め、眉間にしわを寄せた。
 
 
「じゃあどうするんだい?」
 
 
「話し相手になってくれませんか…?忙しいのなら良いのですが…」
 
 
「はぁ、分かったよ。分かったからその情けない顔は止めてくれないかい?」
 
 
しいなは僕の顔を見た後にさっきと同じような大きな溜息をついて椅子にドカリと座り込んだ。しいなを疑っているわけではないのですが、僕はそんなに情けない顔をいていたでしょうか…?とりあえずこの場にしいなが残ってくれた事は幸いです。僕は彼女に聞きたい事がありますので。
 
 
「しいなは一体どこから来たんですか?」
 
 
「な、何だい、いきなり!」
 
 
「だって前に世界が再生されると国が滅びるって言ってたでしょう?それに…」
 
 
彼女は、あの時確かに叫んでいた。この世界が再生されたら、自分の国は滅びるのだと。コレットが行っている世界再生の旅は、この衰退世界シルヴァラントを救うためのものなのに、滅びるとはありえない。そしてもう一つ。僕が彼女に会った時から感じていた感覚…。
 
 
「あなたの体の中にあるマナは、別の世界の匂いがします」
 
 
「アンタ、何者だい!?」
 
 
「あなたはもう一つ存在する世界から来た。その世界の名はテセアラ。繁栄世界テセアラ。このシルヴァラントとは対極に存在しながらも決して相容れぬ世界…」
 
 
ベッドに腰掛けた状態で穏やかに、決して僕は危害を加えるつもりはない事を分からせるために語る。しかししいなは僕の事を相当警戒しているのか、椅子から立ち上がって武器である札を構えていた。札を構えるしいなの瞳には驚きと困惑、警戒が浮かんでいた。
 
 
「アンタ、何でテセアラを知ってるんだい…?おかしいじゃないか。ロイドたちは分からないのに、アンタが分かるなんて…」
 
 
「僕は少々特殊な位置に存在していましてね…。ロイドたちが知らない事をある程度は知っているつもりですよ?二つの世界のあり方、とか…。おかしいですか?僕がテセアラの事を知っていたら」
 
 
「ああ、おかしいね!何もかもおかしすぎだよ!!アンタたちの技術力じゃこちらの世界を知ることなんて出来ないハズだよ!」
 
 
どうやらしいなは僕がもう一つの世界を知っている事がどうにも信じられないようで、何度も首を大きく振ってそれの事実を否定しようとした。しかし、いくら彼女がそれを否定しようとも、彼女の口からその言葉が語られる前に僕がその言葉を口にした。それは確かな証拠なはずです。
 
 
「とりあえず落ち着いて下さい。この話は保留にしておきましょう」
 
 
ベッドから立ち上がって、未だに興奮状態にあるしいなを落ち着かせて、椅子に座らせた。しいな自身も落ち着こうと思っているのか、深呼吸を繰り返していた。
 
 
「アンタはホント不思議な奴だよ。敵であるあたしに名乗ったりするし、戦闘を避けようとしたり…。ホント変な奴」
 
 
しいなは深呼吸をして落ち着いたのか、ゆっくりとそう呟くように言った。がっくりと大きく肩を落としているようだったけれど、口元は微かに笑っていた。
 
 
「それが僕ですから。さて、もうだいぶ良くなってきました。ロイドたちのところに行きましょう」
 
 
「あーはいはい、分かったよ。じゃあ行こうかねぇ」
 
 
しいなは諦めたような溜息をついてから立ち上がり、扉を潜って外へと出て行ってしまった。僕はそんなしいなの背中を追いかけながら、笑いを我慢できずに微かに漏らしてしまった。
 
 
 
 
 
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