善悪の判断


 
 
 
 
 
ティアの旋律が生み出した光が収まった後に見た景色は、地獄のようだった。四方全てが紫に支配された、醜い世界。障気に満ちていた。海も紫色に染まり、液体とは呼べないし、個体とは言えないようなものだった。空も全て紫に染まり、あの綺麗な空はそこにはなかった。淀んだ空気。あまりにも息苦しかった。どこもかしこも紫に占領された世界がそこにはあった。そして、思い出した。ああ、あの時に聞いたのと同じ光景だ。久しぶりにラスティに会って話をした時に聞いた夢の内容と…。
 
 
「ティアの譜歌のおかげで助かりましたね。そうでなければ、我々も障気によって死んでいた」
 
 
確かあいつは言っていた。人々が紫色の海に沈んでいく夢を見た、と。そして一面が紫の空を。ここだ。この世界の夢を、あいつが見たんだ。
 
 
「うぅ…」
 
 
微かな呻き声がどこからから聞こえてきて、俺たちは声を主を探そうと辺りを見回した。すると誰かが声を上げてとある方向を指差した。その先には紫色の海に沈もうとしている少年がいた。そしてその少年の上にはそいつの父親と思われる男の死体が覆いかぶさっていた。
 
 
「父ちゃん…痛いよぅ……父ちゃ…」
 
 
「お待ちなさい!今助けます!」
 
 
焦点の合わない目を虚空に彷徨わせる少年に、ナタリアが駆け寄ろうと紫色の海に足を踏み入れようとした。しかしそのナタリアの肩をティアが掴んで止めた。
 
 
「ダメよ!この泥の海は障気を含んだ底なしの海!迂闊に入れば助からないわ!」
 
 
「ではあの子をどうしますの!?」
 
 
「……ここから治癒術をかけましょう。届くかも知れない」
 
 
その声色は、ほとんと可能性がないという言葉を含んでいた。ナタリアは顔を歪めて泣きそうになったが、治癒術の詠唱を始める。少年を助けようと必死になっているんだ。
 
 
「おい!まずいぞ!」
 
 
ガイの叫び声にハッとして見ると、少年たちが乗っている微かな岩場が崩れて泥に呑まれようとしていた。徐々に沈んでいく少年と父親であろう男の死体を、俺たちは歯痒い気持ちで眺める事しか出来なかった。今の俺たちにはあの子を救える力はない…。
 
 
「凍てつけ、氷楼」
 
 
不意に、全身が震え上がるような寒さに襲われ、目を見開いた。一瞬だけ何事かと思ったが、この技とさっきの声には聞き覚えがあった。そう、リリーの声だ。そしてリリーが氷楼を唱えたという事は…。
 
 
「氷楼は全てを凍てつかせる冷気。そして術者が解こうとしない限り決して解かれることのない氷」
 
 
カツカツと靴音を鳴らしながら現れたリリーは、氷楼によって凍らされた紫色の海の上を歩く。そして少年の前までやってくると氷楼を一部だけ解いて少年と死体を一気に引っ張った。見た目が少女であるが、リリーは神の力を持っているためあっさりと少年と男の死体を引っ張り上げてしまった。そしてリリーは少年を抱きかかえると、背中を優しく撫でた。
 
 
「もう大丈夫よ。怖かったでしょう、お休みなさい…」
 
 
まるで母親のように優しく背中を撫でるリリーに、全員が黙ったままその光景を見ていた。少年はリリーの言葉に安心したのか、すうっと眠り始めた。リリーはそれを確認すると、踵を返して俺の方へと近づいてきた。
 
 
「ほら、スパーダ。あなたが抱えてあげなさい。私は少女なんでしょう?」
 
 
どうやら考えていた事は筒抜けらしい。観念してその子をゆっくり受け取って背中に背負う。少年の体重は信じられないほど軽かった。
 
 
「…あなたは何者ですか?坑道にいたはずなのにあなたは消えた…。あなたは何者だ?」
 
 
先ほどまで黙っていたジェイドが落ちていない眼鏡を押し上げてリリーにそう問いかけた。その血のような目は俺を警戒するのと同じようにリリーを見ていた。リリーはそんな視線を受けながらも、嫌悪も何も示さない無表情である場所を指差した。
 
 
「あそこにタルタロスがあるわ」
 
 
リリーは端から質問に答える気がなかったように感じられる。まるでジェイドの言葉が聞こえていないかのように無視したからだ。リリーは一瞬だけ俺に視線を送ると、そのままタルタロスに向かって歩き出した。
 
 
「スパーダ。あなたは彼女と話をしていましたね?あなたと彼女の関係は?私たちに何に何を隠しているんです?」
 
 
リリーが答えない事が不満だったのか今度は俺の矛先を向けてきた。けど、俺は何も答える気はない。あそこでリリーは何も答えなかった。おそらくラスティのためにも余計なことは言わない方がいいと判断したんだろ。だったら俺も何も言わない。ただジェイドを一瞥した後に、少年を背負ってタルタロスの方へと歩き出した。ジェイドは俺が何も答えないことに鋭い視線を送ってきたが、渋々後をついてきた。ルークも、ちゃんとついてきてるみたいだ。
タルタロスに一歩足を踏み入れてすぐに感じた事は無数の人の気配。しかし敵意はない。
 
 
「ここにいるのはアクゼリュスの人々。彼が助けた多くの命」
 
 
リリーは俺が気配に気づいたことに気付いたのか、丁寧に教えてくれた。そしてリリーはジェイドたちがタルタロスの中に入ってきたのを確認すると、とある部屋の前で一度立ち止まってから、その扉をゆっくりと開けた。
 
 
「さあ、あなたたちが助けられなかった人々を、彼が多く助けたわ」
 
 
犇めき合う人々。不安そうな顔をしていても、人々には絶望が見受けられなかった。それはきっとリリーの言葉のおかげだ。こいつの言葉には力がある。
 
 
「これは…!」
 
 
「アクゼリュスの人々よ。全員は守りきれなかったけれど、被害は最小限に食い止められた」
 
 
人々はいきなり現れた俺たちに不安そうな視線を向けるが、リリーが一緒にいると知るとホッとした表情になった。そして一人の鉱夫が近づいてきて、リリーに声をかけた。
 
 
「嬢ちゃん、あの連れさんは目を覚ましたよ」
 
 
その言葉に、リリーは初めて喜びを見せた。その赤い目をゆっくりと閉じて、口角を上げた。連れというのは絶対ラスティの事だ…。倒れた?一体何が…?リリーに問いかけるような視線を送るが、リリーは答えようとはしなかった。
 
 
「一体どういう事ですか?どうやってこの人数の人々をタルタロスへと…」
 
 
「奇跡よ。奇跡が彼らを救ったの。それよりもこの人たちをどこか安全なところに避難させたいわ。どこかないの?」
 
 
ジェイドの鋭い視線を全てかわしたリリーは、そう言って紫に染まっている海を眺める。気持ちが悪くなりそうだ。
ジェイドたちはまだ引っかかりを覚えているようだが、指示に従ってタルタロスの舵がある場所へと向かう。ティアが言うには、ユリアシティと呼ばれる町があるそうだ。タルタロスはそこへ向けて動き始めた。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
「行けども行けども、何もない……。なあ、ひょっとして、ここは地下か?」
 
 
甲板に集まって紫色の海を眺めていると、不意にガイがそんなことを口にした。
 
 
「……ある意味では、そうね」
 
 
何か、含みを持ったような言い方でティアが答えた。そして全員を見回してから口を開いた。
 
 
「あなたたちの住む場所は、ここでは『外殻大地』と呼ばれているわ。そこは、この魔界から伸びる、セフィロトツリーという柱に支えられている空中大地なのよ。そしてアクゼリュスにはその柱の一本があった」
 
 
「意味が…分かりませんわ」
 
 
ティアの口から出た難しい話に全員が、いや、イオン以外が首を傾げた。イオンは、知っている。こんな世界が存在していることを…。
 
 
「……昔、外殻大地はこの魔界にあったのよ。二千年前、オールドラントを原因不明の障気が包んで、大地が汚染され始めた。その時、ユリアが七つの預言を詠んで、滅亡から逃れて繁栄するための道筋を発見したの」
 
 
「ユリアは………預言を元に、地殻をセフィロトで浮上させる計画を発案しました。それが外殻大地の始まりです」
 
 
ティアの言葉に続くようにイオンがそう言うと、ジェイドは眼鏡を押し上げてイオンを見た。イオンはその視線を受けて僅かに俯いたが、元に戻してティアを見た。
 
 
「ですが、これを知っているのは、ローレライ教団の詠師職以上と、後は…魔界出身の者だけです」
 
 
イオンの言葉に全員の視線がティアへと向く。つまりティアは、この世界の出身だってことか…。
 
 
「助かったのは、ティアの譜歌のおかげですね」
 
 
「ですが、何故、こんな事になったんです?話を聞く限りにおいては、アクゼリュスはセフィロトツリーに支えられていたのでしょう?」
 
 
「それは…柱が消滅したからです」
 
 
ティアはゆっくりと目を瞬かせた後に、振り返ってルークを見た。ルークは自分に向けられた視線に戸惑った。
 
 
「お、俺は知らないぞ!俺はただ、障気を中和しようとしただけだ!あの場所で超振動を起こせば障気が消えるって言われて…」
 
 
ルークは可哀そうな子供なんだ。誰かに認めてもらいたくて、言われる通りに従った。それがどんな事態を引き起こすかわからないまま、ただ認めてもらいたくて…。だから、師匠であるヴァンに従った…。
 
 
「あなたは兄に騙されたのよ。そして、アクゼリュスを支える柱を消してしまった」
 
 
「そんな!そんなはずがあるか!」
 
 
ルークは必死にそれを否定する。だってそれを肯定しちまったらルークは尊敬し、盲目的に信用していた師に、騙されたという事になる。それだけは嫌だったんだろうな…。認めてもらいたかったのに、実は認めてもらう事なんて一生なかったのだから…。
 
 
「せめてルークには、事前に相談して欲しかったですね。仮に障気を中和する事が可能だったとしても、住民を避難させてからで良かったはずですし。…今となっては言っても仕方ないことかも知れませんが」
 
 
それは違う。どうして何も教えてくれない奴に、相談なんて出来るだろうか?無知で何も知らないルークは不器用ながらも知りたいと願ったはずだ。それなのに誰も教えようとはしなかった。当事者であるのにも関わらず。だから、こんな状態になったのは上っ面だけの仲間を繕ったこのメンバーにも問題がある。築く信頼もない中で何が出来るだろうか。
 
 
「……お、俺が悪いってのか……?俺は…俺は悪くねぇぞ…だって、師匠が言ったんだ……そうだ、師匠がやれって!こんな事になるなんて知らなかった!誰も教えてくれなかっただろっ!何が事前に相談だ!自分だけ分かったような口ぶりで、勿体つけて何も説明しないような奴に、どうして言えるってんだ!避難させてからだと!師匠がそれじゃ駄目だって言ったんだ!住民を移動させずに障気を中和しなくちゃ、俺は一生、キムラスカの道具だって!だから、だから俺は……俺は悪くねぇっ!俺は悪くねぇっ!!」
 
 
それは心からの叫びだった。認めてもらいたくて認めてもらいたくて必死に頑張った事を否定されたくなくて、必死に叫んでいた。ただ師匠が悪かった。そう叫ぶルークを表面上だけの仲間は冷めた目で見ていた。優しくない。現実はいつだって優しくない。これが、あいつの言っていた事なんだ。正しき道を正しく歩め…。俺は間違っちゃいけない。この場において誰よりも正しい目を持たないといけないんだ…。だから、俺は…。
 
 
 
 
 

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