望んでいた世界


 
 
 
 
 
おぞましい魔物のような体をしていたマティウスが、元のイナンナの姿へと変わっていく。しかしその体のあちこちから大量の血が流れ、もう助からない事が分かった。治癒術でも、もう無理だろう。マティウスは微かに残った力を振り絞り、上半身だけ起き上がらせて俺たちの事を睨み付けた。その視線は強い憎悪を含んでいたが、既に虚ろがかっていた。
 
 
「おのれェェエエ…。この無念、また来世に持ち越してくれる!」
 
 
開かれた口から吐き出されたのは重たい呪詛の言葉。しかし誰もその言葉に恐怖する事無く、代わりに同情のような、哀れみのような感情を抱いた。
 
 
「勝手にしたら?いちいち付き合ってられないっての!」
 
 
「イリアの言う通りだよ。もし、生まれ変わったのなら、その人生を楽しめばいい」
 
 
「黙れ…黙れ黙れ…黙…れ………」
 
 
強い憎悪を抱いていた瞳から光が失われ、その体から力が抜けて崩れた。彼女は前世に囚われすぎた。ルカの言う通りその人の人生を楽しめば良かったんだ。しかし、それをしなかったのも彼女の意志。これ以上は俺たちが口出ししていい事ではないだろう。
そして、力尽きて亡くなったマティウスの前に膝を突くチトセ。その表情は呆然としていて、まだ状況が良く理解できていないようにも見えた。やがてチトセはその瞳を大きく見開くと、腰に挿している短刀を手に取り、自分の胸を、貫いた。その瞬間、リリーの息を呑む音が聞こえた。
 
 
「チトセ…」
 
 
サクヤの生まれ変わりであるチトセは、アスラがどのように変わってしまったとしても尽くし続けた。それはおそらくアスラを一心に思うから。サクヤからチトセへと続く想い。例えルカがアスラの片割れであろうとも、リリーが刀に宿ろうとも、彼女はマティウスを取った、というわけか…。
 
 
「バカな女…。死ぬ事なんてないじゃない…」
 
 
「そうだな…。でも、それでもチトセはアスラを思い続け、ずっとそばにいたんだろうな。それが、チトセにとっての幸せだったんだろう…」
 
 
「あたしにはわかんない…」
 
 
イリアの声は情けなく掠れて、震えていた。チトセとは仲が悪かったが、恋を知っている人間としては、辛いんだろうな…。泣きそうなのを耐えている。
 
 
「んで、創世力ってのはどうなったんだ?」
 
 
「ああ、あるよ。ほら、ここにね」
 
 
マティスたちの死体から視線を逸らして、祭壇の方を向くと、そこには優しい光を放つ創世力が安置されていた。創世力。天と地を一つにする事も、天を滅ぼす事も出来る強力な力。今、この創世力は世界を救うための力となる…。
 
 
「それで…、お前はこれをどうするつもりだ?」
 
 
「天と地、二つに隔ててしまったから、世界は均衡を失った。だったら元に戻すのがいいよ」
 
 
ルカの答は俺たち全員が求め続けてきた答だ。それこそ前世からずっと、そうなる事を望んでいた。アスラが一番叶えたかった願いなんだ。誰も反対なんてしないだろう。俺とリリーもそれを望んでいるし。
俺はルカの答に機嫌が良くなり、軽い足取りで近づいて、その頼りなさそうな背中を叩いた。
 
 
「いたっ!?」
 
 
「俺もそれが一番だと思うぜ、ルカ。さすがはアスラの転生者だ!」
 
 
俺が茶化すようにわざとらしくアスラの名前を出すと、ルカは苦笑しながら首を振った。
 
 
「アスラは関係ないよ。ただ、こうするのが一番だって、そう思ったんだ」
 
 
漸くだ。漸くルカは自分の中に存在する前世であるアスラと、自分自身を離す事が出来た。アスラの転生者であることは確かだが、ルカはアスラじゃない。ルカは、ルカなんだ。
 
 
「私思ったんだけど「献身と信頼、その証を立てよ さすれば我は振るわれん」この言葉って原始の巨人の願いだったんじゃないかな?」
 
 
アンジュがそう唐突に切り出すと、俺とアンジュ以外の奴らが首を傾げた。俺にはリリーが教えてくれた情報があるから、ある程度の事は分かっている。リリーがアスラの近くでその事を聞いていた事も。
 
 
「巨人さんはね、寂しかったの。楽しく賑やかになるように世界をお創りになったのでしょ?みんなが仲良しならば、世界はより発展するっていう純粋な願いが込められているのよ、きっと」
 
 
アスラは願っていた。それはアスラ自信の願いでもあり、また巨人の願いでもあった。孤独故に世界を創った巨人は、創世力をそういう風に使って欲しかった。
 
 
――アスラはずっと言っていたわね…。始祖の巨人の願いを叶えるって…――
 
 
リリーの穏やかな声を聞いて、俺もふっと口元が緩む。
 
 
「つまり…、ルカの願いは巨人の願い。これでは誰も異を唱えまいよ」
 
 
「じゃ、そろそろ、それ使って見せてよ」
 
 
イリアが嬉しそうに、期待を込めた目でルカを見つめると、ルカはその視線を受けて頷く。それから全員を見回して、緩く微笑んだ。
 
 
「うん、原始の巨人が寂しがって、悲しんだりしない世界にするために、ね。じゃあ…」
 
 
ルカが手の伸ばしたのはイリアだった。イリアはそれに応える様に頷いて、ルカの隣へと立った。やっぱりどんな事があったとしても、ルカはイリアを選ぶと思っていたよ。前世なんて関係なく、ルカとイリアは互いの事を想っているんだから。
俺はそんな二人を見ながら、そっとスパーダの隣へと近づいた。
 
 
「あら、あたしでいいの?また裏切っちゃうかもよ〜」
 
 
「もうっ、止してよ!他に相応しい相手なんて、考えられないんだから」
 
 
「あ〜ら、遠回しな言い方っ!ん〜…、あんたらしいっちゃあ、あんたらしいけど」
 

…イリアは本当に素直じゃない…。こんのツンデレめ…!こんな公衆の面前で恥ずかしげもなく言ってくれるな…。お前らの話を聞いているだけで日が暮れちまうぞ…!!
 
 
「…えーっと、じゃあ、思い切って言うけどさぁ…」


「ええい、お前らっ!!愛の告白は今するなっ!さっさと願え!」
 
 
今までずっと黙ってきたが、ついに耐え切れなくなって大きな声でそう叫ぶと、二人は一旦会話を止めた後、互いの顔を見合わせてから頬を赤く染めた。ルカは何ともか細い声で酷いよ、と言っていたが、俺からしたらこんな恥ずかしい会話を聞かせているお前たちの方が酷いと思う…。
 
 
「天地を一つに。全てのものに祝福を!」
 
 
赤く染まっていた頬をとりあえず落ち着けた後に、ルカは創世力に向き合って、穏やかな声で高らかにそう叫んだ。その瞬間創世力はルカの願いに応えるように光り輝き、辺りは光に包まれた。俺とリリーはそれを穏やかな気持ちで見つめながら、隣にいるスパーダの手をさり気無く握った。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
  
 
 
 
 
 
 
 
 
光が消え去った後に目を開けると、そこには綺麗な空が広がっていた。黎明の塔は少し崩れていて、創世力があった祭壇には何もなかった。創世力は、消え去ったようだ。寝転がっていた体を起こして周りを見回すと、仲間たちが全員倒れていた。その顔は穏やかで、幸せそうだった。
 
 
「…う…ん」
 
 
微かな呻き声が聞こえ、そちらの方を見るとルカが身動ぎをしてゆっくりと体を起こしていた。緩く頭を振った後に、創世力があった場所を見て、微かに目を開いていた。
 
 
「あっ…、創世力がない」
 
 
何とも言いがたいルカの声を聞いた俺は、足音を殺すようにしてルカに近づいた。
創世力は、もう必要ない。
 
 
「これでもう誰も創世力を手にする事は出来ない。創世力は原始の巨人の意志から生まれた力なんだ。巨人の願いは果たされた。創世力は世界の一部となり、この世界を護り続けるだろう。創世力の奪い合いは出来なくなった。誰も、創世力の力を悪用できなくなったんだ」
 
 
俺がルカに説明している間に、寝ていた仲間たちが次々と目を覚まし、塔から下界を眺めていた。塔からの景色は本当に素晴らしいものだった。荒れ果てていた大地は美しくなっていた。
 
 
「世界は本当に一つになった?」
 
 
「ああ、そうみたいだぜ。見ろよ、外を」
 
 
スパーダが楽しそうにそう言ってある場所を指差す。その視線の先には荒れ果てていたはずのレムレース湿原があった。今はもう、創世力の力のお陰で、美しい緑の湿原へと変貌を遂げていた。何もかもが綺麗な世界へと変わっていた。
 
 
「ほら、お前の願った世界だよ。大地が喜びに沸いているみたいだぜ」
 
 
「天術の力も消えたようね」
 
 
アンジュがそう言って自分の手を見ると、他の奴らも自分の中にあった天術が消えている感覚に気付いたのか、目を瞬かせていた。この時点で俺は仲間はずれなんだが、まあ気にしないでおこう。なんせ、俺には現存する神がついているんだ。天術が使えなくなるなんて事はない。それでも、今この場で言う事ではないだろうし。
 
 
「で、これからみんなどーすんだ?」
 
 
「お前たちには帰る所があるだろう?では、行こうか?」
 
 
「行くってどこへ?」
 
 
優しく微笑むお義父さんは本当に珍しい。そんなリカルドの表情にルカは首を傾げる。すると今まで黙っていたイリアがレグヌムでいいじゃない、と口を開いた。ルカはイリアの提案に首を傾げるが、イリアはルカの疑問を無視してそこでいいと押し切った。
 
 
「楽しそうだな…」
 
 
少しばかり後ろの方で、ルカとイリア、それに加わって会話をするエルを見ながらそう微笑むと、スパーダとリカルドが近づいてきた。二人の顔には笑顔が浮かんでいた。
 
 
「いいじゃねーか。やぁっと平和になったんだからよ」
 
 
スパーダが腕を頭の後ろで組みながらそう言うと、リカルドもそれに同意するように頷く。俺の背中にいるリリーも楽しそうにクスクスと笑っていた。
確かに、平和になったこの世界で、そんな些細な事はどうでもいいかも知れないな。もうこの世界で異能者として追われる人は消え去ったし、戦争に使われる事もなくなった。これが本当の平和。俺たちが望んでいた世界。
 
 
「んじゃ、行きますか!」
 
 
その一言で、俺たちは一斉に黎明の塔を下り始める。エルは一番最初に降りようと張り切って走り出し、イリアもルカを引っ張りながら楽しそうに駆けて行く。スパーダはそんなルカたちを見て駆け出し、アンジュは自分のペースを持ちながら下っていく。リカルドは走らないでゆっくりと歩いて下りていく。俺はそんな仲間たちを見ながら、口角を上げた。
 
 
「俺も、負けてられないな!」
 
 
――ええ、そうね!――
 
 
そして俺は、仲間たちに置いていかれないように階段を一気に駆け下りるのであった。
 
 
 
 
 



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