真実と二つの魂


 
 
 
 
 
天空城は崩れ落ちているものの、ほとんどの原型を残してこの場に留まり続けていた。
城の中には沢山のものが残されていた。ここが神の世界だったことを感じさせる神々の遺体や、見た事のない魔物。それに俺たち人間じゃ出来ないような技術。この城には天上である事を示すものが沢山残されていた。
そして俺たちはこの城に住み着いている強力な魔物を倒しながら、漸く大きな部屋へと出る事が出来た。明らかにここだけ特別に作られたような部屋。その部屋に入ってすぐに目に留まったのは、左側に存在した石造に似た遺体だった。
 
 
――来てしまったのね、本当に…――
 
 
リリーが悲しそうな声を出して遺体を見つめた。俺も、この光景を知っている。だって俺はリリーの記憶を知っている。だから彼女がここでアスラたちの最後を見てしまった事を知っている。知ってしまっている。だから、俺たちは何が起こっても動揺しないようにしなければならない。
 
 
「これは僕とイナンナ…。そして折れたデュランダル…」
 
 
ルカの声は、どこか震えていた。それはそうであろう。その石造に似た遺体はありえない事をしているのだ。アスラはイナンナを、イナンナはアスラを、殺しているのだ。イナンナはデュランダルで、アスラは己の手で。
崩壊を示している。アスラとイナンナの仲の崩壊を、その遺体は痛々しく示している。
 
 
「ああ?刺し違えてるぜ?」
 
 
「何よ、…何なのよ、これ?」
 
 
イリアの声もルカと同じように震え、その光景を目に入れたくないとでも言うように両手で目を覆った。そんなイリアに目を細めた瞬間、遺体がある方とは反対の方から、足音が聞こえてきた。
 
 
「これを見てわかっただろう。何故天上が消滅したか」
 
 
悠々とした足取りで、チトセと共に歩いてくるマティウス。チトセはどこか怪しい笑みを浮かべているようだった。
 
 
「わからない。何故こんな事に?」
 
 
刺し違えた遺体。それを見てしまった後に問いかけられる問いに答えたルカの声は震えていた。おそらく、ルカは何となく気付いてしまっているのではないだろうか?賢いルカの事だ。すぐにイナンナの裏切りだと勘付いているはず…。
 
 
「お前は裏切られた。その絶望の気持ちが世界を滅ぼしたのだ」
 
 
「滅んだのは…、僕のせいだって言うのか?」
 
 
「言ったでしょう。そこの女が裏切ったって。アレスはイナンナが裏切る場面を見てしまったの。ねぇ、アレス」
 
 
マティウスの後ろに控えていたチトセが、侮蔑を含んだ視線をイリアに向けながら、俺に声をかけてくる。チトセは明らかに俺の事を見ていない。俺の前世である少女を、今も見ているんだ。
自然と表情が固くなったが、俺は何も言わなかった。
 
 
「あたしが裏切ったの?ねぇ…ラスティ…、あたしが…裏切ったの…?ラスティ!!」
 
 
俺の方を向いて勢い良く叫ぶイリア。その表情はチトセの言葉を必死に否定していた。言動全てが、その言葉を否定していた。
 
 
「見よ」
 
 
今までマティウスの顔を隠していたものが、奴の手によって外された。
 
 
「私の顔こそ、貴様の所業の証拠だ」
 
 
仮面の下から現れたのは、とても美しい女の顔だった。天上人の特徴的な尖った耳。地面につくほどの長く赤い髪。宝石を嵌め込んだような美しいエメラルドの瞳。そう、その姿はかつて豊穣の女神と謳われたイナンナそのものだったのだ。
 
 
「その顔、その声…」
 
 
「イナンナへの恨みは骨髄にまで達した!転生してもその無念を忘れぬよう、その刻印を自らの顔に刻んだのだ」
 
 
「じゃあ、あんたは…」
 
 
「私もアスラの転生。ルカ、貴様の魂の半身だ」
 
 
「何だって…!?」
 
 
衝撃の事実を知ったルカたちは、驚きに目を見開いた。特にルカとイリアは今にも倒れてしまいそうなほど真っ青になっていた。
 
 
「アレス、お前は覚えているだろう。その場にいたお前なら…」
 
 
マティウスが俺にそう言った瞬間、みんなの視線が一斉に俺の方へと向けられる。俺はその視線を覚悟していた。マティウスたちの勝ち誇ったような顔。ルカたちの否定して欲しいという願望の視線。
俺はその視線を全てを受け止めて、深くリリーと意志を繋ぐ。俺は、リリーと共に真実を語る。
 
 
「――…そう…。確かにそう…。彼女が言っている事に間違いはない。イナンナはアスラを裏切った。私は初めからイナンナが元老院どもに使命を帯びていた事を知っていた。だから私はイナンナを警戒していた。私の邪魔をするのなら廃除するつもりでもいた。けれど、彼女はアスラが創世力を手に入れても彼を殺そうとはしなかった。だから、私は彼女は変われたんだと思った。そう、思ったの。でも、彼女は結局裏切った。どうしても地上と融合する事を拒んだ彼女は、ラティオから授かったデュランダルで、アスラの事を殺した。そしてアスラは…イナンナを殺した…――」
 
 
淡々と、抑揚のない言葉を吐き出していく。まるで用意されていた台詞を読むように。
俺たちが全てを語り終わった頃には、イリアは愕然とした表情で、顔色を真っ青にしていた。
 
 
「イナンナは初めからアスラを殺すためにセンサスに来たのだ!アスラを最後まで信用せず、アスラの崇高なる願いを邪魔した!その結果、天上は消滅し地上は荒れ果てた!」
 
 
演説を語るかのように高々と叫んだマティウス。しかし、その言葉に嘘などない。事実なのだ。覆す事の出来ない強固なる事実。イナンナは天地統一をしようと頑張っていたアスラの願いを邪魔した。地上を嫌っているからという理由、それだけで。デュランダルも、彼女と同じくアスラを裏切った。所詮デュランダルは剣だったって事かもな…。
 
 
「そんな…。そんなの…嘘…でしょ?嘘…うそ、うそうそ!!いやあああああーーーーー!!」
 
 
絶望に膝を突き、涙を流して必死に叫ぶイリアに、胸が痛んだ。予想していたとはいえ、大切な仲間の悲しむ姿をあまり見たくはない。けど、俺たちは事実を曲げる事をしてはいけない。
 
 
「イナンナの裏切りが魔王アスラの魂に絶望と憎しみを刻んだ。そして、私が生まれた」
 
 
「じゃあ…、僕は何なの?」
 
 
「お前はアスラの迷いに過ぎぬ。思い出すのだ!大義を阻まれた無念を!」
 
 
マティウスの言葉に、ルカは顔を俯かせ、肩を震わせた。泣いているようにも、怒っているようにも見えた。自分が恋していたと信じていたイナンナは実は単なる裏切り者にしか過ぎなかったのだと、知ってしまったから。
マティウスはルカの事をアスラの迷いだと言い切った。だが、俺は違うと思う。マティウスがアスラの絶望と怒りだとしたら、ルカは…。
 
 
「ああ…あぁ……。そんな………。………。天上を滅ぼし………、みんなを不幸にしたのが……、僕…?僕は…どうすれば?…ぼ…く………は………………」
 
 
ルカは、アスラの中に存在する優しさ、思いやり。善の感情が転生したと信じたい。そしてその中には、イナンナを想っていた純粋な恋心を含まれていると、想いたい。ルカはアスラの迷いなんかじゃない。ルカはアスラの意志を継いで生まれてきたちゃんとした人間なんだ。
 
 
「ルカ」
 
 
だから、俺はお前に伝えたい。お前はアスラの迷いなんかじゃない。
 
 
「お前はお前だ」
 
 
ルカの綺麗だった翡翠の宝石はくすみ、輝きを失って虚ろと化していた。俺はそのくすんだ宝石を見下ろしながらしっかりと言い放った。ルカがこの言葉の真意を知る事が出来るようにと。しかし、ルカは俺の言葉を聞きたくないとばかりにマティウスの方を見た。
 
 
「さあ、行こう。我が半身よ。我々にはやる事がある。アレス、お前も来い。向こうにはお前の嫌いなラティオの者がいる」
 
 
「さあ、参りましょう。私はお二方の忠実なる僕。決して、どこぞの女のように裏切ったりはいたしませぬ。さあ、アレス…、今度こそアスラ様のためにその力を使って…?」
 
 
チトセは何か、勘違いをしているようだ。マティウスも、同じく。
今の俺は彼女であって彼女じゃない。俺は彼女の生まれ変わり。名前はアレスなんかじゃない。俺はラスティ。ラスティ・クルーラーなんだ。
 
 
「アレス、行きましょう。みんなで幸せに…」
 
 
それに、俺は自分の幸せを見誤るほど落ちぶれちゃいない。俺の求める幸せは仲間を傷つけ、ルカを迷いなど言い切ったような奴が目指すものではない。俺の目指す幸せは、リリーと同じ幸せ。あの時、テノスで語った願望。
 
 
――チトセ、彼は行かないわ――
 
 
唐突に頭の中に響くリリーのソプラノボイス。その声を聞いたチトセは動きを止め、俺の顔を見て目を見開いた。
 
 
「…アレス…?アレスなのね…。私よ…サクヤよ…」
 
 
――忘れる事なんて有り得ない…。私の大切な人…。アスラと同じく私を受け入れてくれた人…――
 
 
リリーが静かにそう言うと、チトセは嬉しそうに笑って胸の前で手を組んだ。
 
 
「会いたかったわ、アレス!生きていたのね!行きましょう、私たちと!」
 
 
――いいえ、私は行かないわ。そんな事、望まない――
 
 
リリーが悲しそうに、けれどきっぱりと言い切ると、チトセの顔から笑顔が剥がれ落ちた。その表情は悲しく辛そうなものだった。
 
 
「何故…?」
 
 
――私は彼と共に在る…。そして、私たちはあなたたちの世界を否定する。私たちは私たちの手で世界を創るの――
 
 
チトセはリリーの言葉を聞いた瞬間、目を見開き、愕然とした表情をしたが、すぐにリリーの意志が動かしようの無いことに気付き、悲しそうに目を伏せてからルカの手を引いてマティウスの傍へと戻っていった。
 
 
――ごめんなさい、サクヤ。それでも私は、私の幸せが欲しいの…――
 
 
仕方ない事なんだ。俺たちは同じであって違う存在となった。だから、俺たちはサクヤの意見を受け止める事が出来ないんだ…。それが、俺たちが自らに下した結論だ。
 
 
「ルカ君!」
 
 
「おいゴラァ!ルカ!テメェ…、戻って来やがれ!」
 
 
「なあ、行ったらアカンて、ルカ兄ちゃん…」
 
 
「ミルダ。それがお前の選んだ答えか?」
 
 
「ルカ!!」
 
 
「………」
 
 
みんながルカを引きとめようと必死に叫ぶが、ルカは虚ろな目をしたまま何も反応しない。今のルカに、仲間の声など届いていないんだろうな…。
マティウスがついてくるルカに満足そうにしながら歩いていくと、その先にはシアンがいた。奴も、結局は理想郷に取り付かれた馬鹿な奴か…。
 
 
「使命なのだ」
 
 
彼女はその手に輝かしい光を放つものを持っていた。かつて、この天上を滅ぼした創世力だ。彼女は、創世力を手に入れてしまっていた…。
 
 
「私は世界を滅ぼさなければならない。人であれ、神であれ、存在する事が敵を生む」
 
 
哀れな事を嘆くように謳うマティウス。本当に、アスラの絶望と怒りが生んでしまった人格なのだろうか…。アスラは世界を救おうとしていたはずなのに、マティウスはアスラとは反対の事をしようとしている。アスラは、世界を滅ぼしたいと願うほど、絶望し、怒りを抱いたというのだろうか?リリーに優しくしてくれていた、あのアスラが…。
 
 
「世界を滅ぼすだって?あなたは理想郷を作るって言ってたじゃないですか!」
 
 
理想郷を目指していたシアンにとってマティウスが言った言葉はまさに衝撃だった。マティウスは転生者を守るどころか、地上そのものを破滅へと導こうとしていたのだ。
所詮、理想郷など存在しないって事だ…。
 
 
「どんな世界だろうと、この腐った天地よりマシであろう?」
 
 
嘲笑う笑みを浮かべたマティウス。その目つきは冷たく、全ての人間を敵と思っているようだった。本当に、アスラの面影すらない。
 
 
「そ、そんな!僕らは、転生者は…。あなたの描く破滅のため利用されたって事なの…?」
 
 
「ははは!そうとも!死す時はみんな同じだ。素晴らしい世界の終焉だと思わんか?」
 
 
シアンの目が見開かれ、その歯はがちがちと噛みあわない音を立てる。それと同時にシアンは体を震わせ、その瞳に涙を浮かべた。
 
 
「う…、うわぁぁぁああ!」
 
 
シアンが犬歯を剥き出しにしてマティウスに飛び掛るが、その体はマティウスに触れる事無く吹き飛ばされてしまった。そんなシアンを余所に、ルカはただ虚ろなまま独り言のように呟く。
 
 
「僕は、僕はどうすれば…」
 
 
「世界の破滅。これもまた、一つの救いなのだ。憎しみと裏切りのない世界を望むなら、力を使うのだ。さあ!」
 
 
マティウスが両手を広げ、宙へと浮かんでいる創世力を仰ぎ見る。絶大な力を持った創世力。それをここで使われてしまったら、本当に世界が終わってしまう…。いざとなったら、俺がリリーと共に行くしかない…。
 
 
「無駄だ…」
 
 
警戒しながらリリーに手を伸ばしていると、先程吹き飛ばされたシアンがマティウスを睨みつけながら口を開いた。
 
 
「お前らは同一人物。二人でも使えない。僕は力の番人だったからわかる。ふん、信頼する者もおらず、愛する者もいない。結局、お前らに力は使えない…」
 
 
確かに、シアンの言う事は当たりかも知れない。マティウスはアスラの怒りと絶望。ルカがそれ以外の感情だとしても、最終的に二人は同じ人物が生まれ変わった姿に過ぎない。つまり二人ともアスラという枠から出る事は出来ないんだ。なら、奴はどうするつもりだ?創世力は互いが想い合っているか、創世力を使う者が誰かを強く想って犠牲にすることでしか使えない。マティウスが誰かを想っているようにも見えないし、誰かと信頼しあっているようには見えない。
 
 
「私の命をお使いください」
 
 
チトセが胸に手を置いて前に進み出て、自分の命を使うように進言するが、マティウスの顔は苦々しく歪んでいる。つまり、マティウスはチトセの事を何とも思っていないのだ。信頼も、何もかも奴には存在しない。
 
 
「何故、こんなに魔王アスラ様を想っているのに…。アスラ様の心には、私への些かの慕情もないのですか?」
 
 
「では、もう一つの方法を取るしかない。ルカ、お前の心に住み着いた女。イリアの命をもって創世力を使うのだ」
 
 
マティウスが重苦しく言葉を吐き出して、ルカへと視線を向ける。ルカは相変わらず俯いたままで、その表情を読み取る事が出来ない。どうしようかと悩んでいると、背筋がいきなり粟立つ。急激に、ルカの天術が乱れてきている…。
 
 
「イリアは前世で僕を裏切った。スパーダも。リカルドもガードルに僕らを売ったし、アンジュもアルベールに従った。でも、そんな事どうでもいい。僕は…、僕の前世に裏切られた。天上を崩壊させ、現世に及んでみんなを不幸にしたのは自分自身だ」
 
 
まずい…。ルカの奴、暴走してやがる…!
 
 
「僕なんか消えてしまえばいい。それが一番いいんだ!!」
 
 
ルカが叫んだ瞬間、凄まじい力がこの城に溢れ出した。ルカから放たれる強大な天術。それは城全体を揺るがし、唯一の天上の名残を消していく。
 
 
――崩れる――
 
 
城は大きく揺れ始め、もうすぐ崩れ落ちるだろう。それでもルカの暴走は止まらず、相変わらず天術を放出し続けている。
なんて事だ。さすがの俺もここまでは予想できなかった。ルカがこんなにもアスラの意志に押し潰されそうになっているなんて。アスラの裏切りに、絶望しているなんて。
 
 
――天上が、崩れていく…。ただ唯一の天上が…――
 
 
けれど、どんなに絶望に染まろうとも、俺は信じ続けたい。絶対に消えないものが存在する事を。ルカが絶望しようとも、仲間であるあいつらは絶対に絶望なんかしないって。
 
 
――諦めないで、アスラ…。今のあなたは、素晴らしい人たちに囲まれているのだから…――
 
 
そして、あいつらならきっと教えてくれる。ルカが最後まで信じ切れなかった何かを、きっと。
なあ、リリー。そう思わないか?
 
 
静かに響いたソプラノを聴きながら、城はゆっくりと確実に崩れていった。
 
 
 
 
 



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