似ても似つかぬ姿
バタバタとした足音が近づいてきて、その人物が俺たちの目の前に現れた。アーチを潜って現れたのは、金髪の髪にいかにも優男と言った感じの男性。彼が、アルベール…?その後ろにはテノスの兵士が控えていた。
「やあ、君たち。我が国所有の敷地内で何をしていたのですか?」
にこりと笑った顔は確かに悪くはないが、とても嘘臭い。明らかに目は笑っていない。言葉は穏やかだが、やはりその視線は優しくない。気味が悪くらい完璧な嘘笑いだ。
「ああ、えっーと…、道に迷っちゃって…」
「そうなんだよ!雪で道を見失い、暖を求めて辿り着いたんだが…旅人を襲う山んばの根城だったんだ」
ああ、最早お前らの頭が可哀想に思えてきたぞ。俺は何も聞いていない。こいつらもあほな事は言っていない。そう信じたい。明らかに有り得ない事を頑張って貫き通そうとしているなんて、俺は信じない。断じて信じない!!
「はあ?」
「あ、いえいえ、そうなんです。その山んばったら身の丈2メートルの毛むくじゃら大男で…」
「ああ!?お前、ウソ下手だな!それじゃあ、雪男じゃねーか!山んばつったら女だろ?」
「あちゃあ、しまった…」
ああ、もうダメだ…!俺はもうダメだ…!こいつらがアホすぎて俺は言葉に出来ない。声が出ないくらいだ…!こいつらがアホ過ぎて死ぬ…!恥ずかしい!こいつらよりも俺が恥ずかしい…!!
「ははっ!大変面白い。リカルド君、いい友達だね」
言いたい事は様々だ。まずはこいつらのアホさ加減に対して思いっきり爽やかな笑顔を向けられた事。これは俺に精神的ダメージを与えてくれた。こんなアホどもと一緒に旅をしている俺が責められている気がする。まあ気のせいだろうけどな…。もう一つはリカルドが君付けで呼ばれたことだ。一応俺の義父であるリカルドが、自分より明らかに若い青年に君って呼ばれるって…!
「私はテノスの貴族に名を連ねる者。アルベールと申します。よろしくお見知りおき下さい」
優雅に腰を折って礼をするアルベール。それはまるで道化のようであって、苛々した。爽やかな笑顔の割にわざとらしくて…、気に食わないってだ。
「あなたがアルベール?なぜこの場に?」
「その前に、こちらの質問に答えていただきましょう。この地で何をされていたのですか?」
先程までのわざとらしい爽やかな笑顔が一瞬にして消え去り、冷たい視線を向けられる。その視線は明らかにこちらを疑うような目。まあ、ここはテノスの領地である。俺たちは不法侵入って事になるしな…。
「さっき、説明したやん。性別不明の雪男を見物に来たって」
……エル…、それは確信犯なのか?分かっていてわざと言っているのかそれとも本当に言っているのか、俺にはとてもじゃないが判断できないぞ…。
「はははは!まあいいか。さて、リカルド君。ここにアンジュとラスティはいるのかい?」
俺と…アンジュ…?
その事に対してしわを寄せていると、背負っているリリーが微かに反応を示していた。何か、嫌な予感がする…。リリーが反応して、そして俺とアンジュが呼ばれている…。
「私です」
「と、俺だ」
素直に進み出たアンジュを見て、俺もそれに倣うように前に出る。ここは変に隠れるよりも素直に出た方が得策かと思う。素直に出てきた俺たちを見て、アルベールは眼鏡の奥の瞳をゆっくりと細めた。
「…フン、勘違いするな。引き合わせるために連れて来たわけではないぞ」
「ええ、ちゃんと契約破棄の書状と、違約金は届いています。ともかく、結果的にアンジュとラスティに会え、なおかつ違約金も帰って来た。ずいぶん得をさせていただきましたね」
ヤバい…!こいつ物凄い腹黒い!!えげつなさ過ぎる!
「それで、私たちに一体何の御用です?初対面だと思うのですが」
今まで疑問に思っていた事を口に出したアンジュ。その瞬間、そいつの空気が変わった事を俺は見逃さなかった。その視線はまるで獲物を狙う獣のように鋭く、アンジュの事を捉えていた。ぞくりと粟立った。
「つれない事を言うね。オリフィエル…アレス…」
…ヒンメル…!?こいつはヒンメルだな…!?
「あなたは、ヒンメルね?」
アンジュも、気付いたようだが…。こいつは明らかにおかしい…。俺が知っているヒンメルはこんな奴じゃなかった…。もっと温かさがあって、優しくて…。
「そう、僕はヒンメルだ。待ち焦がれたよ。さあ、現世でこそ僕の期待に応えてもらえるね?」
アルベールの目は、冷たい。それは前世で家庭教師であったオリフィエルに向ける目ではない…。何故?ヒンメルはオリフィエルの事を師として好いていたはずだ。なのに、その目はあまりにも冷たい…。
アンジュは、少し黙った後にそれに従い、ゆっくりとアルベールの方へと歩いて行った。
「そ、そんな!」
「セレーナ!…俺はまだ雇われているぞ。戻れ」
「アンジュ姉ちゃん!」
みんながアンジュを引き止めるために声を上げるが、アンジュはその頭を少し下に下げたまま上げようとしなかった。振り返りも、しなかった。アンジュは、その目に気付いているのか…?
「アレス…、君もおいでよ」
どうしたんだろうか…俺は…。その言葉が耳に届いた瞬間、どこか足元が安定しないような気持ちに陥った。どこか、ここじゃない別の場所にいるような変な感覚。おかしい。何故俺は奴の手を取りたいと思ってしまうのだろう…。俺はアレスじゃない。俺はラスティだ…。彼女とは違う。なのに…。
「ヒン…メル…」
気付けば俺は足を一歩踏み出していた。どうしようもないくらい抗えない気持ちが俺の中を渦巻いていた。それはきっと彼女の気持ち。リリーにとっての唯一にして無二の友人であるヒンメル。そんな彼が、生まれ変わってもなお、リリーを探してくれていた…。
「ラスティ君!」
アンジュがアルベールに縋るような視線を向けるが、彼はそれを無視して俺の方だけを見つめていた。いや、正確には俺の前世である少女の姿を。
それでも…、その柔らかな視線は確かに俺に向けられていた。少女が好きだったあの笑顔が。
「アレス。今度は一緒にいよう。守れなかった約束も転生したことで叶った。今度こそ一緒に…」
アルベールが歩き出した俺に手を伸ばす。それを見て、俺も釣られるようにゆっくりと手を伸ばす。前世の頃、彼女が助けようとして躍起になった彼。ずっと助けようと焦がれていた神…。
「ラスティ!!」
歩いていた体が急に止まる。ハッとして今までふわふわと覚束ない感じだった意識がクリアになる。伸ばしていない方の手をスパーダに取られたのだと気付いたのは、それから一歩遅れての事だった。
「あ……」
何故だ?何故俺は俺の事を引き止めているスパーダを真っ先に選べないんだ?こないだ俺は自分の恋に気付いてスパーダと両思いになったはずなのに…。どうして俺は、この手を振り払おうとしているんだ…?どうしてまた、俺の思考を遮るようにおかしい感覚が俺の中を支配するんだ…?頭の奥に光がチラつく…。
「行くな!」
「アレス…」
どうすれば?俺は一体どうすればいいのだろうか…?何故俺は迷っている?前なら迷う事などなかったのに…。俺は俺の道を進んできたのに、どうして俺はこんなに揺らいでいるんだ…?何故?相手が彼女が好きだったヒンメルだから?それともリリーが反応しているから?彼女がヒンメルを焦がれているから…?
――ヒンメル…!!――
体中が熱くなる。段々わけが分からなくなって、俺は完璧に混乱していた。それと同時に眼が熱くなってくる。
…分からない。分からないのなら、俺はもう意志を放棄するしかない。だから俺は、彼女の幸せを願うしかない。彼女がヒンメルを求めているのなら、俺は彼女の意志に従おう。彼女のため…。そう、それでいいじゃないか…。
そう決断した瞬間、俺はスパーダに掴まれていた手を振り払った。そしてこちらに手を伸ばしていたアルベールの手を取った。彼女が焦がれていた天空神の手を。
「ラスティ…!?」
スパーダの綺麗な灰色の目が見開かれる。それは、お前の手を振り払った俺に対する驚きなんだろうな…。
「ラスティ…くん…」
スパーダと同じようにアンジュも目を見開いていた。
しかし、それは全ての驚愕の視線を無視した。俺はもう正常な意志を保っていない。思考が麻痺しているせいだ…。脳の奥をチラつく光が、俺の正常を奪っているから…。
「アレス。やっぱり君はその色が似合うよ」
アルベールが嬉しそうに微笑んで、変な事を呟いた。俺はその言葉の意味を、理解できなかった。
遺跡から連れて来られたのはテノスの奥にある工場だった。ここはアルベールが所持しているらしい。奥の方へと進んで行くアルベールに、俺とアンジュは黙ってついて行くだけだった。
「僕はずっと待っていた。オリフィエルが君を逃がした時からずっと…。長い時間だったよ」
俺に背を向け、階段を淡々と上っていくアルベール。その背中はどこか寂しそうだったで、何故か胸が痛くなった。
「何故?」
「何が?」
「何故生まれ変わっても約束を守ろうとする…?」
「愚問だよ。僕がアレスを気に入っているからだ。だから君は新しくなった世界で生きるんだ」
カツカツと階段を進んでいた靴音が止まったので、微かに首を上げる。アルベールの声は弾んでいて、微かに前世を髣髴させた。
「新しい…世界…?」
階段を上りきった先には広い空間が存在していて、さらにその奥には見た事のない大きなものが存在していた。そして、その手前に立つアルベールは両手を広げ、俺の方を向いてにこりと笑った。
「そう、搾取と差別がなくなった素晴らしい世界だよ。そのために創世力が必要なんだ」
広げていた両手をそのまま天に上げ、宙にある何かを掴もうとするような動作をする。
その姿は無邪気だった頃のヒンメルと似ているようだったけど、その望みは似ていなかった。そう、彼はこんな事を望まなかった。
――ヒンメル…――
不意に聞こえてきたリリーの声は、とても悲しいものだった。その声は…あまりにも悲しくて、苦しくて…、俺の頭にこびりついて離れなかった…。