何度でも歩き出せる


 
 
 
 
 
あの場所から外に出ると、そこは雪が舞っていない晴れた空が待ち構えていた。いつも雪が降っているはずのこの地方にはとても珍しい光景だった。
雪が降っていない事に対してポツリと聞こえない程度に呟くと、ルカたちは首を傾げているようだった。もう一回言って欲しそうな顔をしていたけれど、俺は何も反応せずにただ空を眺め続けた。
ただただ空を眺め続けていると、遠くの方から雪を踏む足音が聞こえてきた。この足音は明らかにこちらへと向かっていた。俺はその人物が誰だかすぐさま理解してリリーを杖の状態で手に持ち、くるりと一回転させた。
 
 
「第三神、幻神」
 
 
唇から発せられた言葉がまるで蜃気楼のように揺らめき、それと同時に俺の見える姿を別の姿へと変えてゆく。それはこの地方で天上へと攫われた哀れな少女の姿。リリーの姿だった。
 
 
「リリー…」
 
 
足音の主、リリーの母親は酷く憔悴した表情でこちらへと危なげに歩いて来る。足取りはふらふらとしていて、今にも倒れてしまいそうだったが、その表情には鬼気迫るものがあった。目は完全にどこかイカれているようだった。
どうしてここに来たのか。理由は簡単だ。俺を戻そうとしていたリリーがここに来るとこの母親に伝えていたから。そして自分の娘が心配になったこの女は今ここへとやって来た。すでに手遅れだというのに…。
 
 
「ああ、リリー!失敗したのね?そうでしょう?」
 
 
まるで心の底からそれを望んでいるような、そんな声。例え醜く見えようとも、目の前のこの女にとってそんな事は関係ないのだろう。ただ娘が生きていてくれればいい。それだけが女の望み。でも、それは決して敵う事のない事。何せ娘はずっと昔に亡くなっているのだから。
 
 
「成功した…」
 
 
まるで死刑を宣告するかのように、俺はゆっくりとその言葉を吐き出し、かかっていた幻神を解いてやった。その瞬間、女の顔は鬼のように醜く歪んだ。
 
 
「もうあんたの願いは叶わない。だってリリーはもう死んでるんだからな…」
 
 
ずっと前、天上が無くなったの時に、な。
 
 
「………あんたの……あんたのせいよ…!あんたのせいで、リリーが死んだのよ!!あんたがいなければぁ!!」
 
 
急速な天術の集まり。それは目の前にいる女から感じるもの。そしてその天術の標的は俺一人。こいつは俺を殺してリリーを取り戻そうとでも言うのだろうか?もう亡くなったはずの娘を?無理に決まっている。残酷だが、死んだものはもう戻るはずがない。
天術が俺に放たれる前に、俺はその場から飛び退き、リリーを引き抜く。
 
 
「スパイラルフレア!」
 
 
女から放たれた炎はまるで彼女の感情をそのまま表しているかのように燃え盛っていた。全ての憎しみを込めたような攻撃を、俺は避けていく。その炎はたくさんの雪を溶かしていく。何発も放たれる天術。そんなに何回も撃てるはずはない。体が限界を訴えるはずだ。
 
 
「ちっ!」
 
 
あの母親は何も分かっちゃいない。自分の娘がどんな思いで俺の事を助けたのか、どんな思いでここにやってきて、自分の母親に会ったのか。
片手で持っていたリリーを両手で力強く持ち、覚悟を決める。
 
 
「第一神」
 
 
全てを切り裂く優しき風がリリーを包む。それと同時に緑色の淡い光も同じように包み込む。全てが温かなものに包まれたリリー。しかしその攻撃は全く温かくない無慈悲なほど最強のもの。
 
 
「翠神!」
 
 
俺の方に飛んでくるスパイラルフレアの前に飛び込んでいき、そのまま翠神の力で二つに引き裂いた。天術はそのまま力を失い、空中で霧散した。雪が溶けで露わになった地面に着地して、俺は吼える。
 
 
「何であんたは何も見ようとしないんだ!どうしてリリーがこんな事をしたのか理解しないんだ!」
 
 
どちらも苦しい。むしろこの行為は苦しみしか生み出さない。分かっているはずだ。この母親も。それでも目の前のこいつは攻撃を止めず、リリーを返すように俺に要求する。俺が死ねばリリーが還って来るなんて幻想を抱いたりして。
 
 
「違う!リリーがこんな事になって許されるはずがない!あの子は生きるべきなの!まだまだ、生きるべきなの!」
 
 
顔を歪めて激しく叫ぶその母親は、確かに泣いていた。先程と違って醜くない表情をして、ただ娘を想う必死な母親の表情をして、叫んでいた。どうしようもないと知りながら、その怒りの矛先を見失ってしまったと言わんばかりに。
 
 
「分かっているんだろ!?こんな事しても意味は無い!リリーが還ってくるわけでもない!リリーがどうして俺を助けたのか、分かってるんだろ!?」
 
 
「それでも、それでも!!私はあなたが許せない!母親よりもあなたを取ってしまったリリーを、理解したくない!私はあの子の無事だけを祈っていたのに!!」
 
 
その想いを、分からないわけではない。確かにこの母親は誰よりも娘の安全を願って色々な場所を旅していたのだ。そして娘を探して何年も彷徨い、ここに戻っては泣いていたんだろう。でも、それは間違っている。間違っているんだ。
 
 
――もう、止めて下さい…――
 
 
まるで空気が震えるような感覚がした後に、リリーの声が頭の中に響く。その声は悲しみをたくさん孕んでいて、今にも泣きそうだった。いや、泣いているんだ。この場で一番悲しいのは、母親や俺じゃなくて、リリーなんだ。自分の事を想ってくれている母親を裏切るような形になり、そして俺と母親を争わせてしまった事。リリーはそれが一番悲しいんだ。
 
 
――私は…こんな事を望んでいない…。母様は、そんな事をしない優しい人だった…――
 
 
「何故…?あなたは苦しくないの?悲しくないの?憎くないの?名前を奪われ、戦争に使われ、あの頃の笑顔も奪われて…。漸く戻ってきたと思ったら、あなたはまた追いやられて…。あなたは幸せになれなかったじゃない!!こんな、こんな姿になって…!!」
 
 
――そんなの、私だけじゃない。みんな苦しいの、悲しいの。彼だって同じ。彼だって私と同じように戦争に使われて、命を狙われて、親にすら裏切られた――
 
 
リリーが言った言葉に、あの頃が蘇った。確かあの頃はリカルドから離れてすぐだった気がする。リカルドによって少しずつ感情を取り戻した俺は、思い出してしまったんだ。怒りや憎しみ。それらの憎悪は確実に俺を蝕み、やがて俺はそれを抑えきれなくなっていた。抑制されない感情は外へと溢れ出し、俺はあいつらの元へとやって来た。あいつらは実に滑稽だった。俺を見た瞬間、青褪めて、謝罪の言葉をひたすら吐き出していた。でもそれは上っ面なもので、感情など篭っていなかった。感情を失っていた俺だから、奴らの気持ちは良く分かった。こいつらは何の後悔もしてないし、俺に対して何の思いもないのだと。こいつらにとっての俺は、ただの化け物に過ぎなかったのだと。それが空しくもあり、憎らしかった。だから俺は、このリリーで奴らを殺した。殺した後に気付いたんだ。俺の中にはどうしても埋まらない空白が存在するのだと。俺はそれを埋めるために旅をした。旅をすれば、その空白を埋められるような気がしたから。
実際俺は今、その空白を埋めることが出来た。人間が必ず一回は受け取るはずだった愛情という奴を。
 
 
――私は不幸ではなかった。私には天上に行っても、この姿になって地上にいても、私を思ってくれる人たちが存在した。私には仲間がいる。どうしようもなく愛おしい大切な仲間が。だから、私は不幸なんかではない――
 
 
「私は…私のした事は……」
 
 
リリーの温かな想いの篭った言葉は、母親の、今まで頑張ってきた全てを否定するものだった。娘が不幸だからと思ったからこそ、この母親はここまで一心にやって来た。でも、娘は幸福に満ちていた。それこそ母親が最初に望んでいたように。彼女は幸福に包まれ、仲間にも恵まれた。母親は、やるべき事を見失ってしまったんだ。
 
 
「あんたは間違っている」
 
 
だから、俺はそれすらも否定しよう。母親が必死にやった事は無駄ではない。確かにリリーはそれを望まなかったが、それは到底否定できるものではない。深い親の愛があったからこそ、ここまで娘を護ろうとした。だから、俺はそれを否定せずに受け入れ、次に進めるように願おう。
 
 
「あんたはリリーの面影を求めた。自分が愛していた娘を、ひたすらに。でも、それはあんたの自己満足に過ぎなかった」
 
 
そっと鞘に収めたリリーを差し出し、その震えている手に乗せた。その手は白く、今にも折れてしまいそうなほど弱々しかったが、渡したリリーを強く、握り締め、自分の胸に抱きこんだ。
 
 
「リリーの意志を、尊重すべきだ。あんたの娘はあんたが望んだ通り、幸せになった。それを素直に受け入れな。リリーの本質は、何も変わっちゃいない」
 
 
刀となってしまった娘を抱き締めながら、母親はただ震えていた。
 
 
「母様は間違っていたの…?」
 
 
――そうね…。母様は、きっと止めてしまったの…。歩く事を、歩き続ける事を…。でも、今ならまだ歩き出せる。何度も、何度でも…――
 
 
震えていた母親の瞳から雫が落ちていく。悲しみや苦しみや、憎悪なんか一切ない綺麗な涙。ただ娘を思って、その母親は泣き続けていた。肩を震わせ、嗚咽しながらも。
そんな二人をただ見守っていた俺は、ゆっくりと目を細めた。
 
 
「羨ましいのか…?」
 
 
いつの間にか隣に立っていたスパーダが、気遣うような声を出して俺に問いかける。
羨む。
その言葉は今までの俺だったらきっと嫌っていた言葉だろう。羨む事は嫉妬する事だ。俺は誰かに嫉妬なんかするはずがないと、思っていただろう。でも、今は違う。俺は、あの光景が羨ましいんだ。親に思われて、涙を流して、そんな奴に、嫉妬している。醜くても、これは俺の感情なんだ。
 
 
「そうだな…。これは、羨ましいのかもな…」
 
 
肩を震わせ、嗚咽をしながら泣き続ける母親。それと同じく母を慰めながら涙するリリー。そんな二人は確かに親と子の絆と愛があった。俺が求めても手に入れられなかった親からの無償の愛。
 
 
「……俺には、親のようなものはあげられねェけどさ…」
 
 
どこか歯切れ悪そうにそう切り出したスパーダ。こいつが言いたい先の言葉なんて予想ついている。分かっているさ。俺が求めているのは愛だ。今まで貰えなかった様々な愛を俺は欲している。でも、例え親からの無償の愛を受け取れなくとも、俺には手に入れた大切な愛がある。
 
 
「分かってる。分かってるよ、それくらい」
 
 
お前が俺に大切なものをくれるって事くらい、分かってるんだよ。
言葉に出さないでそう答えた後、俺はそっとスパーダにキスをした。
 
 
 
 
 



「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -