愛を知った輝き


 
 
 
 
 
足音が聞こえてくるのと同時に、意識が徐々に上昇していくのを感じて、ゆっくりと目を開く。どうやら俺はあの陣の近くに倒れていた。床に伏せていた体を腕で無理矢理起こして周りを見ると、ルカたちも倒れていた。とりあえず気を失っているだけみたいだ。
 
 
「見て…」
 
 
まだ体を完全に起こしきっていない俺の近くで、さっき聞こえていた足音が止まる。下に向いていた視界の端にはアレスの靴が映っていた。どうやら俺の隣に立っているらしい。まだ鈍くて動かしにくい体を必死に動かしてアレスを見上げると、その指はある一点を指していた。
 
 
「な…に…?」
 
 
指を指した先には不思議な扉が存在していた。まるで対極を強く表現するかのように、その扉は半分が白、半分が黒になっていた。アレスはその扉を見ながら喉の奥から出そうになる何かに耐えたような声で言葉を紡ぐ。
 
 
「境界線」
 
 
その声は漸く見る事の出来たその扉に歓喜しているようだった。この扉がここにあるって事は、ラスティはこの先にいるって事になる…。
時間がかかった。ここまで来るのに、凄く時間がかかった気がした。実際はそんなに長くないだろうけど、俺にしたら凄く長く感じられた。
 
 
「こっちに来て」
 
 
アレスは倒れているルカたちと、起き上がろうとしている俺に一瞥すると、扉の方へと近づいていった。俺も必死に体を起こしてその隣に立った。アレスはそれを確認した後にゆっくりと扉に手を伸ばした。
その瞬間、まるで迎え入れるかのように扉が独りでに開き、その先にあった光景に俺は息を呑んだ。
 
 
「ラスティ…」
 
 
その扉の先には思っていた通りラスティがいた。けど、その体を絡め取るように茨が体中に巻きついていた。その棘が皮膚を刺していて、痛々しそうだが、血は出ていないようだった。ラスティの綺麗な藍色の瞳は重たい瞼の向こうに隠れていて、今はその存在を潜めていた。
 
 
「…スパーダ。彼にもう一度、言ってあげて欲しいの。あなたの想いを。その強さを」
 
 
アレスは悲しそうにその顔を歪めながらも、俺の背中を優しく押して扉の前に立たせた。俺と目の前のこいつを仕切るのはたった一枚の扉。でもその境はとても大きくて、簡単には越えられない。俺たちが踏み入れちゃいけない世界だから。
だから、俺は声を届ける。お前が自分でこっちの世界へ来るように、精一杯。
 
 
「俺はお前が好きだ!この気持ちに偽りなんかねぇ!俺は、お前を裏切らないと誓ったんだ!」
 
 
届け、届け!あいつの、目の前で闇に閉ざされているあいつの心に届け!強く強くそう願うと、茨に絡め取られていたラスティの体が微かに動き、その瞼がゆっくりと開かれた。開かれた藍色の瞳はまだ闇が蠢いていたが、その奥には確かに光が見え隠れしていた。そんな様子を見たアレスが俺の隣に立って境界線の奥、ゆっくりと扉へと伸ばされたラスティの腕を掴み取った。
 
 
「もうあなたは一人じゃない」
 
 
強い意志のこもった声と、その手で確かに伸ばされたあいつからの救援要請を受け取ることが出来た。それは初めてあいつから伸ばされた救いを求める手だった。
一方のラスティは呆然とした様子でアレスの本名を言う。
 
 
「漸く、あなたに触れる事が出来た。孤独に埋もれていたあなたに、漸く触る事が出来たわ。幼い頃からずっと願っていた。この手であなたに触れたいと。ねぇ、ラスティ…。帰ってきて。あなたがいるべきなのはこちらでしょう…」
 
 
闇が蠢く間に潜む微かな光が宿る瞳を大きく見開いたラスティは、アレスに強く腕を引かれて茨の間から脱出する。その足が動き、扉の前までやって来ると、あいつはそこでぴたりと止まった。
 
 
「どうして…?」
 
 
「俺は…俺はリリーやあいつらが思うほど優しくなんかなくて、最低な人間だ。人を殺さないと生きていけない俺は……、こっちの世界が似合うんだ…」
 
 
全てを諦めきったような、けれど諦めきれないような声でラスティは言う。自嘲気味に吐き出される言葉とは裏腹に、その瞳は確かに希望を望んでいるように見えた。こっちに来たいと、思っていた。アレスはそんなラスティの表情を見て、諭すように、柔らかな声をかけた。
 
 
「私はあなたに言ったはず。闇の中に隠れるのは単なる臆病者だって。そして真実を隠し通せるなんて有り得ないと。だから、あなたはこちらに戻るしかないの。あなたは逃げる事など出来ない。向き合って、理解しあって、それでそれは絆に変わる。会うのを恐れないで。もう、我慢しなくていいの」
 
 
その姿はまるで母親。理解できない事を諭すように優しくて温かな言葉。その言葉は確かにラスティの心に光を届けた。母親に似た優しさを無償で受け取ったあいつの顔は、呆然としていて、でもそれでいて嬉しそうな子供のようだった。
 
 
「どうして、どうして俺なんか…」
 
 
「あなたは自分の価値を見誤っているだけ。あなたは誰よりも必要とされているの。私に、そして彼らに。だから、悩む事なんて無いの。どうしても分からないというのなら、彼が証明してくれるわ。だから…」
 
 
呆然としたまま呟くように言ったラスティの言葉に、相変わらずアレスは優しく答えていく。そしてそれと同時にラスティの腕を強く引っ張り、境界線を越えさせようとしていた。俺も気がつけばこいつの腕を、アレスと一緒に引っ張っていた。目を大きく見開いたこいつが境界線を越えた瞬間、扉が強い輝きを放った。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
――ありがとう――
 
 
アレス?
 
 
――あなたたちがいたからこそ、彼をこちらの世界に戻す事が出来た。そして、彼に足りないものを与える事が出来た――
 
 
あいつに足りなかったもの…。人間一回くらいはタダで受け取れる愛って奴だよな…。でも、俺は俺がやりたい事をしただけだ。
 
 
――でも、結果的に彼は救われた。ありがとう。感謝してる――
 
 
…これでもう、あいつは現実から逃げられないな…。
 
 
――そうね…。でもそれが正しい姿よ…。誰もが皆現実から逃げる事は出来ないの。スパーダ、あなたも同じ。そして私も…――
 
 
アレス?
 
 
――私はもうこの世界に存在していない。だから私は刀であるリリーに還る――
 
 
還るって…。それって死ぬのか…?今度はお前があの境界線を越えるのか…?
 
 
――いいえ、違うわ。リリーが存在し続けている限り、私は生き続ける。それだけ――
 
 
それも、呪いって奴か…?肉体がないのに生き続けるなんて…。
 
 
――私がリリーに宿っているのは、天上崩壊の際に、私の意志をこの刀に移したから。来世こそ、この力のせいで苦しまないようにと…――
 
 
…アレスは何でも出来たんだな…。刀に意志を移すなんてよ…。
 
 
――いえ、これは私の力ではないわ。元々リリーは鍛冶神バルカンによって生み出されたイレギュラーな刀。この刀は廃棄されるはずのものだった――
 
 
え!?リリーはバルカンに作られたのか!?けど、何で廃棄すんだよ…?バルカンにとって自分で打った物は息子って…。
 
 
――そうね、バルカンはリリーの廃棄を嫌がっていたみたい。そこをアレスが救った。不思議な事に、このリリーは使い手を選ぶ刀だった。使い手と認められないものはこの刀を掴む事すら出来ない…。でも、私と、私の生まれ変わりであるラスティはこの刀を持つ事が出来る…――
 
 
使い手を選ぶ刀…。そしてそれに選ばれたアレスとラスティ…。
 
 
――そしてもう一つ。リリーは特殊な能力を持っていた。これも廃棄の理由の一つ。リリーはデュランダルやゲイボルグと違って、意志を持たない刀だった。だからこそ、この刀は意志を繋ぐ事が出来る――
 
 
意志を…繋ぐ…?
 
 
――そう。本来持つべき意志を捨て去った刀には、意志を、簡単に言えば魂を込める空間が空いている。だから私はその空いた空間に自分の魂を込めた。私の意志をこの中に、閉じ込める事で私はリリー自身になり、その力を使う事が出来る――
 
 
だからラスティは名前を呼ぶのか…。ただの刀じゃなくて意志の宿る刀だから…。
 
 
――彼は優しいから、私が寂しくないように気を使ってくれたのよ…。さあ、もう時間が迫っている。私はラスティに残っていた私の意志を全てリリーに移すわ。そうすれば彼の中には彼の意志しかない。これで漸くラスティがラスティとして生きられる…――
 
 
アレス…。いや、リリー。
 
 
――何?――
 
 
お前も、俺たちの大切な仲間だぜ!影で俺たちの事を支えてくれる、大切な仲間だ!
 
 
――……ありがとう、スパーダ。あなたは…、いえ、あなたたちは本当に素晴らしい人たちよ。私まで、胸が温かくなるわ…。本当に、ありがとう…――
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
「さてと…」
 
 
俺が勢い良く抱きついたせいで一緒に倒れこんでしまっていたラスティが俺の事を抱き締めたまま立ち上がった。背中に回された腕が異常に熱い気がするけど、俺も恥ずかしさで体中が暑い。
 
 
「随分の間留守にしてたからなぁ…。ここってどこら辺だ?」
 
 
「北の戦場を抜けた辺りよ。ここから一番近いのはテノスかな?」
 
 
ラスティの質問にすぐさま答えたアンジュの顔は緩んでいて、俺たちの事を微笑ましそうに見ていた。他の奴らも何かニヤついている気がする。特にエル。
 
 
「うげ…、もう北国かい…。やーだなぁ…雪って好きじゃねぇし…」
 
 
顔を歪めてがっくりと肩を落としたラスティの雰囲気は本当にどんよりしていて、相当雪が嫌いらしい…。てかその瞬間に腕の力が抜けていたからするりとそこから逃げ出した。するとラスティは寂しそうな悲しそうな顔をしていたが、今は気にしないでおこう…。
 
 
「てか俺そんな事知らないんだけど?」
 
 
こいつが雪が嫌いな事を知らなかった、てか教えてくれなかったからちょっと睨み上げるようにすると、ラスティが両手を挙げて参ったように眉を下げながら苦笑していた。
 
 
「教える機会がなかったんだよ、拗ねんな…。まあ最初は感覚的に嫌っていたんだけどよ、今じゃしっかり理由を理解してるんだよなぁ…」
 
 
「理由?」
 
 
ルカが単に疑問に思って声に出すと、ラスティは何というか答えづらいのか微妙な顔をしたまま視線をどこかへと逸らしていた。それから自分の背負っている刀に視線に向けてから、ゆっくりと喋り始めた。
 
 
「まあ…簡単に言うと、リリーが連れ攫われた時に見た最後の光景が雪だったから、かな…?多分リリーも無意識の内にそれがトラウマになっちまったみたいだ…」
 
 
どこか歯切れ悪くそう答えたラスティだけど、どうやらリリーは大して気にしていないのかクスクスと笑っているのだった。そんな笑い声を聞いてラスティは自分がぎこちなく答えた事が馬鹿らしくなったのか、大きく溜息をついていた。
俺は、そんないつものように笑うラスティに、ホッとした。漸く、俺たちの元にこいつが帰ってきた。みんなに気を配ってくれて、誰よりも弱くて強いこいつが。
 
 
「よっし、さっさとこんな暗い所から出ようぜ?」
 
 
気分を一気に変えたラスティが笑いながらくるりと踵を返して出口の方へと歩いていく。けれど俺たち誰一人としてその後を追おうとはしなかった。
 
 
「どうしたんだよ?」
 
 
誰もついてこない事に気付いたラスティが首を傾げながらこちらを振り返る。しかし俺たちはそんな光景を見ながらも、出口から入ってくる光に目を奪われていた。
 
 
「いや、何でもねェよ…」
 
 
きっと、俺以外の奴も同じ事を考えたに違いない。
出口から入ってくる光は綺麗にそいつを照らし、その光景はまるで祝福されているみたいで…。
 
 
「ただ、お前には光が似合うなぁ、と考えただけだ」
 
 
出口から入ってくる光はその深紅の髪に反射して、綺麗に光っていた。それがまた光に祝福されているように見えた。
思った事をそのまま述べた俺に、ラスティは虚を突かれた顔をして、目を見開いた後に、嬉しそうに顔を綻ばせた。屈託のない笑顔で笑うラスティはいつもより幼く見えたけど、こいつらしいと思った。
 
 
「それ、口説き文句かよ」
 
 
愛を知ったそいつの顔は、誰よりも輝いて見えた。
 
 
 
 
 



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