真実の愛


 
 
 
 
 
暗い、暗い…。
扉と茨に閉ざされた光も希望も何もかも無い世界。そこにはたった一人、俺だけが存在している。体を動かす事は出来ない。動きを制限する茨が俺を取り巻いているから。
先程までいたリリーも扉に弾き出されていなくなってしまった。リリーが必死に叫んでいた。喉が割れてしまうのではないかと思ってしまうくらい大きな声で。必ず取り戻す。全てを隠し切れない事を教えてやる、と。
けれど今ここには誰もいない。一人きりの、世界。
闇しか存在しない世界なのに、俺の体に纏わり付く茨や、扉の存在だけはまるで発光体のように見ることが出来た。でもここは暗闇。何も無い、空しい場所。長い間ここにいたのなら、気が狂ってしまう程の雰囲気を出していた。それはまるで背筋を何かが這い回っているような、そんな感じだった。
 
 
「………」
 
 
目の前には扉。茨に包まれた白と黒の扉。あちらとこちらを繋ぐ唯一の扉にして、希望。リリーやスパーダたちがいる、温かな世界…。こんな闇ばかりの世界と違う、光に溢れた…。
 
 
『お前はそっちにいけない』
 
 
扉の反対側に、それは存在していた。俺の事をいつまでも冷たい目で監視し続け、俺がその扉に触れないように警戒している。それは俺自身。人を信頼する事すら出来なかった人形だった頃の俺。
 
 
『お前は罪深き者だ。人を殺して、のうのうと生きている。だからお前はこの世界から出る事なんて許されない』
 
 
確かに少年の声で、幼いはずのそれはとても重苦しいものだった。まだ世界の一部しか知らないようなガキだったのに、その声は俺の中でとても重たく、苦しいものへと変わっていく。
そう、俺は罪人…。ここから出る事を赦されない者…。
 
 
『そう。お前は罪人だ。罪人には、この扉は開けられない…』
 
 
何故ならその扉は罪無き者しか触れる事が出来ないから。俺はたくさんの過ちを犯した。そんな俺に、その扉を触れる資格などありはしない。分かっている。それでも俺の背後にいる俺は、何度も言い聞かせるようにそれを言ってくる。まるで、俺がまだ諦めてないみたいに聞こえる…。おかしい。俺はすでに諦めたはずだ。幸せも希望も、己の肉体さえ、彼女に渡したはずだ。実際彼女は不本意とはいえそれを受け取った。彼女には幸せになる権利があるはずだ。それをわざわざ放棄する事なんて、して欲しくない。だから、俺は…。
 
 
『お前は俺と、終わらない闇へと行くんだ…』
 
 
茨で絡め取られた脚が、床から伸びる闇に取られ、引きずり込むように呑まれていく。まるで底なし沼のような感覚に襲われていながらも、俺は抵抗する気など無かった。ここには誰も来れない。助けだって来るはずが無いのだ。
 
 
「俺はお前が好きだ!」
 
 
それはまるで青天の霹靂だった。闇しかない世界に響き渡ったのは、俺の事を好きだといってくれたスパーダの声だった。その声は真剣で、それでいて決意を込めた言葉だった。
 
 
「この気持ちに偽りなんかねぇ!俺は、お前を裏切らないと誓ったんだ!」
 
 
強く放たれる言葉。
裏切らない。
それは何よりも俺が求めていた言葉。切れることの無い信頼を願った俺の想い。何よりも人を信じる事が出来なくて苦しんでいた俺が、欲しかったもの…。なぁ、お前は俺の事を信じてくれるのか…?受け入れてくれるのか…?
闇に引きずり込まれそうになりながらも、俺はどうしても諦めきれなくなって茨が絡みついた腕を必死に扉へと伸ばす。
 
 
『お前は罪人だ。明るい所に行って、温かさに包まれる事すら罪。一緒にいる仲間も不幸にしてしまう。諦めろ。諦めろ。お前には必要ない』
 
 
脚を掴んでいた闇がさらに力を込めて俺を闇へと引き込もうとしている。
俺はそれに抗うように手を伸ばす。扉へと。俺は、諦めたくないんだ…。俺の事を馬鹿みたいに信頼してくれて、馬鹿な俺の事を好きだって言ってくれるあいつの所に、行きたいんだ。もう一度だけ。もしももう一度チャンスがあるのならば、あいつに気持ちを伝える機会を…!
 
 
「もうあなたは一人じゃない」
 
 
腕を取られた。それは温かい人の手で、安心できるものだった。目を見開いて見た先にいたのはリリーと、開かれた白と黒の扉。その境界線は、開かれていた。リリーは境界線から手を伸ばして俺の腕を掴んでいた。
 
 
「リリー…」
 
 
開かれた扉の先には希望と光があった。俺が先程望んでいた、もう一度あいつに想いを伝える事が出来る世界が。扉から溢れ出す光は、俺を絡め取っていた闇や茨をあっさりと取り払ってしまう。
 
 
「漸く、あなたに触れる事が出来た。孤独に埋もれていたあなたに、漸く触る事が出来たわ。幼い頃からずっと願っていた。この手であなたに触れたいと。ねぇ、ラスティ…。帰ってきて。あなたがいるべきなのはこちらでしょう…」
 
 
リリーが掴んでいた手を思いっ切り引っ張り、扉の前へと連れて来る。掴んでいる手がその扉を越えさせようと力を込めるが、俺の足はそれ以上動く事が出来なかった。
その先には、進めない気がした。
 
 
「どうして…?」
 
 
「俺は…俺はリリーやあいつらが思うほど優しくなんかなくて、最低な人間だ。人を殺さないと生きていけない俺は……、こっちの世界が似合うんだ…」
 
 
おかしいな…。俺はチャンスを望んだはずなのに、いざチャンスが目の前に飛び込んできたら、自分が犯してしまった事が怖くて、踏み出せずに怖気づいている。情けない。なんて情けないんだろうか…。俺は、スパーダに会うのが心底怖いらしい。例えあいつが俺の事を裏切らないと誓ってくれたとしても、会うのが怖いんだ。
 
 
「私はあなたに言ったはず。闇の中に隠れるのは単なる臆病者だって。そして真実を隠し通せるなんて有り得ないと。だから、あなたはこちらに戻るしかないの。あなたは逃げる事など出来ない。向き合って、理解しあって、それでそれは絆に変わる。会うのを恐れないで。もう、我慢しなくていいの」
 
 
その顔はまるで母親のように温かくて、思わず顔を歪めてしまうほど焦がれたものだった。幼い時から欲しかった、愛の一つだった。親からの、無償の愛…。
 
 
「どうして、どうして俺なんか…」
 
 
「あなたは自分の価値を見誤っているだけ。あなたは誰よりも必要とされているの。私に、そして彼らに。だから、悩む事なんて無いの。どうしても分からないというのなら、彼が証明してくれるわ。だから…」
 
 
リリーは柔らかい笑みを浮かべたと同時に、腕を勢い良く引っ張り、俺の体が扉の境界線を越えた。その事に気付いた瞬間にはもう、視界は白い光に包まれていた。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
ぐるりと一回転するような感覚がして、瞼を強く閉じていると、周りから歓声のような声が上がった。そしてそれに少し遅れるように俺の体に何かが抱きついてきた。
 
 
「ラスティ!!」
 
 
スパーダの声が聞こえてきて、恐る恐る目を開くと、視界の全てをエメラルドが占めていた。それは俺の事を好きだと言ってくれたスパーダの色だった。とりあえず周りの状況を知ろうと視線をずらすと、そこには倒れ込むように座っている俺たちを温かく見下ろすルカたちの姿があった。
 
 
「なに、これ……」
 
 
今一つ状況が理解出来なかった俺がそう喋ると、少しばかり掠れたようになっていた。喉の奥から声を出す感じも、久しぶりに感じられた。
 
 
「戻って来れたんだね!」
 
 
ルカは心底嬉しそうに笑いながらイリアたちと顔を見合わせていた。イリアたちも俺がこちらに戻ってきた事を喜んでいた。
 
 
「手間かけさせやがって!」
 
 
俺の服を強く握り締めながらそう叫ぶスパーダの声は微かに涙混じりだった。心配をかけた事を申し訳なく思ってその頭をゆっくりと撫でると、さらに服を強く掴まれた。離さないとでも言いたげな感じで。
 
 
――あなたは戻って来れた。彼らがそれを望み、あなたが現実に向き合おうとしたから――
 
 
リリーの声がいつものように頭に響き、俺はその声に笑いかけようとした。が、その前にルカたちが驚いたような声を上げた。
 
 
「アレス!?一体どこにいるの!?」
 
 
ルカたちも同じのようだ…。
 
 
「どういう事だ、リリー?」
 
 
――私は意志を繋ぐ刀。だから私があなたたちと繋がりたいと願ったのなら、この声をラスティ以外に届ける事が出来る…――
 
 
もう隠す事など無い。だからリリーは自分の力でルカたちにそう告げた。クスクスと柔らかく微笑みリリーの声は弾んでいて、とても楽しそうだった。
 
 
「ああもう、泣き止め、スパーダ…」
 
 
未だに俺の服を掴んで離さないスパーダの頭をくしゃくしゃと掻き混ぜながらそう言うと、スパーダは服を掴んでいた手を離して腕を俺の背中へと回す。その行動に躊躇いが無くて、少しばかり動揺した。
 
 
「心配したんだからな…」
 
 
まるで猫のように擦り寄ってくるスパーダを愛おしく思いながら、その言葉を受け止める。胸の奥がとても暖かくなって、ああ、これが愛なんだと嬉しくなった。
 
 
「おかえり…」
 
 
あまりにも柔らかくて、甘い響きを含んだその声に、思わず目を見開いた。ゆっくりとその言葉を脳内に浸透させてから、乾いた口を動かして必死に答えた。
 
 
「ただいま…」
 
 
ああ、こんな事初めてだ。当たり前の挨拶を当たり前に返す事なんて、今まで無かった。誰かから帰還を祝福された事なんてないし、自分もその言葉に返事をすることなんて無かった。でも、今初めてそれをした。
胸に染み透る温かさに、俺は心のままに動いた。そっと、甘い響きを孕んだ言葉を吐き出したその唇を自分のと重ねていた。
 
 
「…ん……」
 
 
何となくスパーダも俺からのキスを抵抗する事無く受け入れてくれて、その行動にまた胸が温かくなる。触れるだけのキスをしてすぐに唇を離すと、俺たちは赤くなっていた。それから何とも言えない恥ずかしさに笑みが零れていた。
 
 
「見せ付けてくれよんなぁ…」
 
 
しみじみとしたエルの声を聞いた瞬間、俺たちは今この場にルカたちがいた事を思い出した。い、いや、別に忘れていたわけじゃなくてな!ただこう、スパーダしか視界に入らなかったというか…!
周りに気付いて慌て始める俺たちを見て、アンジュは楽しそうにクスクスと笑う。
 
 
「随分と時間がかかっちゃったみたいね。全く二人とも両思いの癖にじれったくて嫌になっちゃう」
 
 
楽しそうに笑うアンジュの声に悪意はないけど、少しばかり苛立ちを覚えてしまうのは仕方ない事だと思う。じれったいとか簡単に言ってくれやがって…。
 
 
――あなたは足りないものを手に入れた。幼い時から探し続けていた、大切なものを。たくさんの愛を、あなたは手に入れた――
 
 
俺に今まで足りなかったもの。それは愛だ。親愛、友愛。無償で受け取れるはずのそれを俺は受け取ることが出来なかった。けれどそれを俺は今ここで素直に受け取ることが出来た。そして、誰かを愛するという心も。
 
 
「お前たちのお陰だな」
 
 
どうしようもないくらい簡単に人を信頼して、騙されてもその人を信じ続けちまうようなお人好したちだけど、その温かさが俺の壁を壊してくれた。人と心の距離を置く事で自分を保とうとしていた愚かな俺を、こいつらは信頼という言葉で救ってくれた。こいつらのお陰で、俺はもう一度、人を信用してみようと思えたんだ。人間は闇ばかりじゃない。確かに光だって存在しているんだって。
 
 
「ふふふ……」
 
 
幸福だ。今この場には幸福が満ち溢れている。俺に足りない全てを満たす幸福がここにはあった。そしてこれからも、それは決して壊れる事はないだろう。例え何が待ち構えていようとも、俺はこいつらの期待に応えて見せよう。
腕の中にいる温もりが嬉しくて、ぎゅっと腕に力を込めて抱き締めた。
 
 
「大好きだよ、スパーダ。愛してる」
 
 
本当の気持ちを、心から愛しい人に告げた。これは絶対に偽れない想い。
俺は、漸く人間になる事が出来た。
 
 
 
 
 



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