偽りの無い想い


 
 
 
 
 
ふわりとした穏やかな風が、不意に吹き止んだ。今まで温かく感じられていたものが消え失せた瞬間、何だか妙な不安を感じた。
 
 
「ここは…」
 
 
それ程大きく無い声でアレスに向かってそう言うと、アレスはそっと俺の目の前に手を出して喋るな、と合図した。その動きに口を紡ぐと、その視線を追ってみる。
その先には何の変哲も無い扉が存在しているだけだった。どうすればいいのか分からずに困惑していると、アレスがゆっくりとした動作で俺たちを振り返った。
 
 
「良い?ここは彼の過去の空間。彼が体験したであろう記憶をそのままこの空間に反映させたもの」
 
 
極限まで小さくした声でそう言ったアレスの言葉の意味を、俺は良く理解出来なかった。首を傾げたまま混乱していると、その様子を見たアンジュが少し考えた後に小さな声で言った。
 
 
「つまりここはラスティ君の記憶の中って事かな…?」
 
 
アンジュが自分なりに易しい言葉でそう説明した後に、アレスを窺い見ると、微かに頷いていた。そんなやり取りを見ながらも、やっぱり俺には少しばかり分からなかった。記憶の中にどうしているのか、とかそういう事が分からねェ…。
 
 
「ここは彼の記憶の中。だから彼が昔起こしてしまった出来事を私たちが変えてはいけない。私たちが干渉できるのはあくまで彼そのもの」
 
 
真剣に、そして重苦しくその言葉を吐き出した瞬間、その時が訪れた。
先程アレスが見つめていた扉が吹き飛び、それと同時に王都兵と思われる人間が飛び込んできた。それは単に蹴破ってきたなんかじゃなくて、まるで吹き飛ばされたような形だった。そして破壊された扉を踏む音が聞こえた。
 
 
「おいおい、どうした?俺を捕まえに来たんじゃないのか?」
 
 
そいつの格好は今まで見たどんなものよりも恐ろしくて、それと同時に胸が苦しくなるものだった。紅い髪をより深紅に染め、藍色の目はどこまでも冷たさを孕んでいた。しかしその瞳の奥ではどこか悲しそうに、寂しそうに目を眇めていた。
そんな奴に見下ろされている王都兵は口から夥しい量の血を吐いて、床に這いつくばっている。ラスティはリリーの峰で肩を叩きながら、口元だけに笑みを浮かべていた。冷笑に見える、嘲笑。明らかに自分自身を嘲笑う笑いだった。
 
 
「まだ彼は私たちを認識出来ていない。まだ何も喋らないで」
 
 
牽制するように腕を伸ばして、聞こえるか聞こえないかギリギリの音量でそう言ったアレス。そんなアレスの様子に他の仲間は息を呑む事しか出来なかった。きっとそれはあんなラスティを初めて見たからだろう。俺は一回だけ見たことがある。ガルポスのジャングルで…。
 
 
「どうした?もう終わりか?」
 
 
カツカツとわざとらしい靴音を響かせながら床に這いつくばっている王都兵に近づき、その胸倉を掴み上げた。王都兵は苦しそうな呻き声を上げるも、抵抗らしい抵抗はしていない。あれだけの怪我をしていれば当然かも知れねぇけど…。
後ろで誰かがそれを止めさせようと足を動かそうとしていたが、アレスがそれを止めた。
 
 
「何があっても手を出してはダメ。これはすでに終わった出来事。私たちが干渉していい事ではない」
 
 
アレスの声はあくまでも淡々としていたが、その声色は少しばかり固かった。これから起こるであろう事を理解しているアレスは、俺たちにそれを見せる事を戸惑っているのかも知れないな…。
そんな俺たちを他所にラスティは王都兵の胸倉を掴み上げたまま重苦しい溜息をついた。
 
 
「……。ホント、めんどくさ…」
 
 
ぼそりと、けれどしっかりと聞こえる声でそう言ったラスティは緩慢な動作で背負っていたリリーから刀身を抜く。その曇りの無い刀身には血塗れの王都兵の姿が映る。斬る気だった。奴の目には戸惑いも何も無かった。
 
 
「悪いけど、捕まる気はないから」
 
 
そこから先は見ていられなくて、思わず顔を背けてしまった。肉を切り裂く音と血が飛び散る生々しい音。そしてどさりと重たそうなものが落下するような音で、全ての作業が終わったことを知った。そっと背けていた視線を元に戻すと、床には息絶えた王都兵の死体が転がっていて、それをラスティがどこか冷めたような目で見ていた。傍から見ればそれは無表情だったかも知れないけど、その目だけは悲しそうに揺らめいていた。
誰も動けずに沈黙が落ちていたその場で、アレスは急に動き、あいつの腕をその手で強く掴んでいた。
 
 
「ラスティ」
 
 
無表情のままあいつの腕を掴むアレスの目は、ラスティと同じように悲しそうに揺らいでいた。そんなアレスとは反対に、ラスティはいきなり現れた俺たちに目を見開いた。
 
 
「誰だっ!?追っ手か!?」
 
 
動かなければ認識できないはずだった俺たちの存在は、アレスが動く事によってその力が失われた。つまり俺たちは今ラスティの視界の中に突然現れたようなものだろうな…。ラスティはアレスが掴んでいる手を無理矢理解くと、掴んでいたままの血濡れのリリーを構える。それを見たアレスもまた冷静にリリーを構える。血に濡れていない、美しい刀身を。
 
 
「お前っ!それは!」
 
 
ラスティはアレスの手元にあるリリーを見て大きく目を見開く。同じ武器を持っている事なんて有り得ないだろうな。それこそリリーはこの世に一つしかない唯一の剣だ。驚いたままのラスティを見ながら、アレスはゆっくりと口を開いた。
 
 
「あなたは何故理解出来ないの?」


「はぁ?ワケわかんねぇ…」


「愛を理解しようすれば出来る。いえ、あなたは出来てるはず。それを何故素直に認めないの?」
 
 
アレスが構えていたリリーの切っ先を静かに下げると、ラスティは困惑した気配を見せた。その切っ先は下げられてはいないものの、殺意は感じられなかった。そしてラスティは不思議な事を口走るアレスの事をただ訝るように見つめていた。
 
 
「お前たちは俺の何を知っている?」
 
 
アレスに鋭い視線を向けていたラスティはそのまま後ろに立っている俺たちにも鋭い視線を向けてくる。それは殺意ではないけれど確かに警戒が含まれていた。
 
 
「私はあなたの事をずっと見てきた。親から愛をもらえず、友もいなかったあなたを。そして、親を殺し、軍に連れ戻そうとする王都兵たちを全て殺してきたあなたを。そして誰よりも愛に飢えているあなたを、私は誰よりも側から見てた」
 
 
アレスはその無表情の仮面を外して辛そうな顔をしながらこいつの過去を語っていく。小さい時からの苦しみ、痛み、悲しみを全て、俺たちに語るようにラスティに語った。そして生き延びるために、自由のために人を殺した事を。
 
 
「…お前は何だ…?何故俺の事を知っている?軍に雇われたのか…?あいつが俺の情報をお前に与えたのか?忌々しい、あのオズバルドが…!俺を殺しに来たのか!」
 
 
ラスティの口から出た名前には覚えがあった。俺がルカたちと最初に会った時に俺たちの事を利用しようとした野郎の名前だ。確かあいつは軍の人間だったはず…。だからラスティはあいつの名前を言っているのか…?一体オズバルドは何を…。
 
 
「違う。あなたは分かっているはず。そうやってどんなに虚勢を張ろうとも、所詮それは偽りの仮面。すぐに剥がれてしまうようなものだと。あなたは見ようとしない。あなたの周りは出来だけじゃない。ちゃんとあなたを見てくれる人がいる事を」
 
 
その言葉には、アレスがどれだけこいつを想っているのかが計り知れた。アレスにとってこいつは自分の来世であると共に、幸せになってほしい人物なのだ。だから必死にこいつを助けようとしている。この、どうしようも無いくらい暗い目をして、世の中に絶望しているようなこいつを。
 
 
「…俺を見てくれる人、だと…?おかしな事を言う奴がいるもんだな…。誰が俺の事を見てくれるって言うんだ?俺はいつだってこうして人を殺して、その屍の上に立っているような奴だ。俺の両親だって、この化け物みたいな力を恐れて俺の事を軍に売りやがった!俺には何も必要ない!両親だって友だって、俺を理解できる人も、愛さえも、俺にとっては無用の長物だ」
 
 
嘲り。
そこには長い間人として見てもらえなかったあいつの悲しみが詰まっていた。この世の中には自分を自分として見てくれるものなど端から存在しないのだと最初から諦めきっているような声。その顔は、今まで見た顔とは違っていた。そう、その顔は確かに誰かの存在を求めているような顔だった。
 
 
「俺を必要とするのは軍だけだ。俺の力を戦争に使いたくてうずうずしている屑共が、俺の事を必要としているのさ」
 
 
「そんな事無い!!」
 
 
ラスティの言葉全てを否定するようにルカが叫ぶ。その顔は明らかに怒りに染まっていて、こんなにも必死なルカを見たのは初めてかも知れない。
 
 
「僕たちは君を必要としているのに!」


「そーよ!あたしたちだってあんたの事を仲間だと思ってんだから!」


「私たちにはあなたが必要なの!いつもみんなの心配をしてくれたり、落ち込んでたら励ましてくれたり…」


「そんなお前だったからこそ、俺はお前と共に旅をした」


「兄ちゃんは間違っとる!自分は必要とされてんのや!」
 
 
ルカを筆頭に次々と紡ぎだされる言葉。その言葉に偽りなんか全く含まれていない。当たり前だ。俺たちは本当にこいつの事を大切な仲間だと思ってるんだからな。
けどラスティは大きく首を左右に振る。全てを振り払うように、まるでルカたちの言葉が誘惑する甘言だと言う様に、必死にそれらの言葉を否定するラスティ。
 
 
「騙されない!そんな言葉なんかに惑わされたたりしねぇ!俺を必要とする奴はいつだってこの力を欲しがってる!」
 
 
眉間にしわを寄せながら俺たちを鋭く睨み付けたラスティは再びその手にあるリリーを構えようとしている。鞘へ込められている力は徐々に強くなっている。アレスはそんなラスティの様子を苦々しい顔で見つめている。この状況はあまり良くないみたいだ。ラスティはいつまで経ってもそれを信じようとしない。全てを否定して、切り捨てようとしていた。
どうしようもなくもどかしい気持ちになった。ルカたちがどんなに叫ぼうともあいつの心に届く前にあいつ自身がそれを否定しちまう。どうすればあいつが信じられるのか…。どうすれば、俺はあいつを助ける事が出来るのだろうか?そう考えた瞬間、すでにその言葉は口から漏れていた。
 
 
「俺はお前が好きだ!」
 
 
それは本来なら言うはずのない言葉だった。俺がこいつを好きな事を、周りには黙っているつもりだった。でも、この言葉はどうしても出てきたかったらしい。無意識に俺の口から零れ落ちる。
 
 
「は……?」
 
 
呆然としたようにそう落とされた言葉。周りの反応はそれぞれ様々だった。とりあえずアンジュとリカルドは感づいていたらしく、大きい反応は示さなかったものの、ルカやイリアはそれこそ呆然と、けど顔を赤くしていた。エルは何故か感心したように目を細めていたし、アレスは良くやった、という顔をしていた。とにかく様々な反応に囲まれながらも、俺は確かにこいつに気持ちを伝えた。偽りの無い、想いを。
 
 
「お前…何、言って…」
 
 
「この気持ちに偽りなんかねぇ!俺は、お前を裏切らないと誓ったんだ!」
 
 
相変わらず呆然としたままのラスティに早足で近づいて、その血塗れの服の胸倉を勢い良く引っ張った。俺はそのまま、服が汚れる事なんて気にせずに、ラスティにキスをした。前と同じように触れるだけのものだけど、あの時とは違う。あの時よりも俺は、こいつの事を好きになっている。
 
 
「―――!?」
 
 
目の前にいるラスティの目が大きく見開かれて、その藍色の瞳が俺の姿を映し出す。俺はそれを見ながらそっと唇を離して、ラスティの反応を待っていた。沈黙の中から聞こえてきたのは、一つの笑いだった。
 
 
「それでいいのよ、純情少年」
 
 
その笑いは見たこと無いほど柔らかくて、まるで子供を見守る母親のように感じられた。さり気無く貶されたような気がしたけど、とりあえず無視しておく。
 
 
「それでいいのよってどういう…」
 
 
疑問に思った事を聞こうとした瞬間、急に体に力が入らなくなって床に膝を突く。首を動く限り捻ってみると、ルカたちも同じように膝を突いていた。わけが分からずにいると、上からアレスの柔らかい笑いが落ちてくる。
 
 
「私たちは目的を達成した。だからこの空間はもう要らないの。だから崩れていく。記憶を彼へと渡して、崩壊する。後は、境界線。あれから彼を引きずり出して、証明しなさい。あなたの気持ちを。偽りの無い本当の愛を…」
 
 
段々瞼も重たくなってきて、床に倒れこむ。上からは相変わらず柔らかい笑いか降ってきていて、まるで夢のようにも感じられた。どんな表情をしているのか気になって最後の力を振り絞るように視線を上げると、そこには泣きそうな顔をしたラスティが立ち竦んでいた。やがて重たくなっていく意識の中で、俺は笑うように言ってやった。
迎えに行くから待ってろ。
 
 
 
 
 



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