雪は降り止んだ


 
 
 
 
 
頭上に広がるは暗い灰色の雲。常に雪の降るこの地域にとっては当たり前の天気。そんな灰色の空の真ん中に立って俯いているのはスパーダ。その姿はさっき怒った時より冷静になったらしく、肩を落としていた。
 
 
「少しは冷静になれた…?」
 
 
肩を落として俯いたままのスパーダは私と目線を合わせようとせず、ただ眼下に広がる雪の絨毯を見つめていた。伏せられた瞳が見えないから彼が何を考え、何も思っているのか分からない。
 
 
「前に、俺にとってのラスティは何だって聞いたよな?なら、アレスにとってのあいつって、何なんだ?」
 
 
シンと周りに沈黙が落ちる。私にとってのラスティ…。
私は何時だってそれを考えていた。私にとっての彼。彼にとって私は何者なのだろうか?私は彼にとっては刀にしか過ぎない。でも彼は私の名を呼び、私の意志を聞いてくれる。なら私にとっての彼は何者なのか。それはきっと初めから変わらないのだろう。初めて彼に会ったあの時から。
 
 
「私は彼の事を一番に考えているつもり。彼がしたい事をさせてあげたいし、彼が望んでいる事を叶えてあげたい。彼を、絶対に裏切らないと誓ったの」
 
 
もう彼を不幸にしたくないと思った。彼を幸せにしてあげたいと思った。彼が何を望み、彼が何を叶えたいのか分からない。けれど私は彼が幸せになるためなら助力を惜しまないと誓った。私のような不幸を、彼には体験して欲しくないから。
 
 
「そ、そうか…」
 
 
純情なスパーダは私の言葉だけで顔を赤くして視線を逸らしていた。
いつまで経っても慣れない男ね…。そしてそんなスパーダに対して明らかに好意を抱いているくせに変な所で弱くなっている彼も、馬鹿だ…。さっさとくっつくつけばいいものを…。
 
 
「母様の説得は出来ないから、私たちだけであの場所に行くことになったから」


「あの場所?」


「時間、空間、全てを凌駕する場所」
 
 
「わけわかんねェ…?」
 
 
私の言葉を理解できずに頭を抱えるスパーダ。
そういえばスパーダって馬鹿だったのよね…。うっかりしてたわ。可哀想に、頭が弱くて…。
 
 
「うるせー!!」
 
 
「お、ついにエスパーを身に付けた?」
 
 
「声に出てるっつーの!!」
 
 
「ナイスツッコミー」
 
 
棒読みに加え力の無い拍手を送ってみると、スパーダはツッコミ疲れなのかがくりと肩を落としていた。そんな様子をクスクスと笑っていると、こちらに近づいてくる複数の気配。
 
 
「スパーダ君はラスティ君がいなくてもツッコミ役なのね」
 
 
ゆったりとこちらに近づいてくるアンジュはスパーダの姿を見てクスクスと笑う。その後ろのルカたちも微かに笑っている。そんなルカたちを恨めしそうに見るスパーダの顔はまだ微かに赤かった。
 
 
「んで?今から行くのか?」
 
 
「いや、ここまでに体力をかなり消費しているから、休みを取ることになった」


「でも、宿なんてないだろ?」
 
 
漸く顔の熱が引いてきたスパーダがきちんと背中を伸ばしてそう言うと、私はその隣に立って彼の横顔を見上げた。
 
 
「村長さんに頼んでおいた。別に構わないってさ」
 
 
見ていた視線を外してするりと横を通り抜け、村長の家がある方へと歩き出す。彼らはちゃんと私の後について来ているみたいだから振り返らずにただ歩き続けた。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
みんなを村長の家に案内した後に、私は散歩と称して自分だけしか知らない秘密の場所へと足を運んだ。そこは相変わらず真白な雪に囲まれているけれど、綺麗な場所だった。子供の時に良くやってきて遊んでいた記憶がある。母様と一緒に雪遊びをしたり…。
そんな事を考えながら灰色に染まっている空を眺めて彼の事を思う。
 
 
「ラスティ…、帰ってきて…。あなたはこちらの人なのよ…?スパーダやみんなが待っているわ…」
 
 
そっと目を伏せて瞼の奥に見えるものに心を痛める。
境界線。
私と彼を隔てる忌々しい扉。その先には彼が待っている。私に体を乗っ取られてしまった彼がいる。何度も何度も呼びかけているけれど、境界線は決して開いてくれない。私が彼と一緒にいた時は簡単に開いてくれたのに…。
そう思っていたら、そこに変化が訪れた。
 
 
「開いた…!?」
 
 
その境界線は闇の中でそっと開いた。
白と黒。光と闇。
まるでそんな関係を表したような扉はゆっくりと開かれた。
 
 
「ラスティ!!」
 
 
ずっとずっと開かなかった扉が開いた事に興奮して勢い良く立ち上がるも、それはすぐに止まる。瞼の裏で彼の名前を呼んだ私はすぐさま動きを止めた。目を見開いて、その姿を見ることしか出来なかった。
茨の鎖。
その扉の奥にいた彼は闇を具現化したような茨の鎖に捕らわれていた。腕を、足を、首を、腰を、体全体をその鎖に捕らわれていた。みんなの愛している、その彼が…。
 
 
「ラスティ…」
 
 
私はハッとして境界線へと一歩近づく。声だって無様にも震えている。でも、私は一歩踏み出し、彼へと近づく。その瞬間、閉じられていた彼の瞳がゆっくりと開かれ、藍色が姿を現した。しかしその目に生気は無く、虚ろなものだった。
 
 
――リリー…?――
 
 
微かに聞こえた声に私は少しばかり喜んだ。彼の声を久しぶりに聞く事が出来たのだ。
そうよ!私よ、ラスティ!!
 
 
――……リリー…、俺はこの世界にいちゃいけないんだ…。俺は人形…。どうせ人間にはなれない…――
 
 
その虚ろの目をゆっくりと細めて自嘲気味に嗤う彼。その目は明らかにおかしくて、彼が正気ではない事がすぐに分かった。
彼は何かを勘違いしている。だからそんな事を言ってしまうのだ。彼は誰よりも必要とされているのに…。
あなたはいなきゃならない人物よ!みんながあなたを待っているわ!
 
 
――お前の母親だってお前を待っていただろう…――
 
 
何故気付いてくれないの?私はすでに死んでいる。この世界に存在しているはずはない…。私は過去の人であり、あなたは今を生きる人…。なのに…!
どうして分かってくれないの?スパーダがあなたを待っているというのに…!
 
 
――奴が言うんだ…。俺はこの世界にいちゃいけない存在だと…――
 
 
ラスティの藍色の瞳の奥に、人影が見えた。濁った瞳の奥。その奥には確かに彼がいた。
あれは!あの姿は…!
 
 
――だから、俺は帰れない…――
 
 
幼い頃のラスティ。感情を無くし、人を殺す事に戸惑いを抱かず、ただ命ずるままに戦場を荒らしまわった血塗れの少年。その少年があの茨を操っている。ラスティを返さないように、闇の中に引きずり込もうとしている…。
聞いて、ラスティ!!私たちは必ずあなたを取り戻す!どんなにあなたがこの世界を拒もうとも、逃げられない事を教えてあげる!あなたはもう現実から目を背ける事は出来ない!事実を隠し通すことも出来ない!闇の中に隠れるなんて、単なる臆病者だと罵ってやるんだから!だから、私たちがいる事を忘れないで!!
喉が裂けるほど大きな声を出して彼に声をかけると、彼はゆっくりと藍色の瞳を閉じた。それと同時に、境界線から弾き出される感覚がして、気がつけば私は雪の中に立ち竦んでいた。
雪は、降り止んでいた。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
「準備はいい?」
 
 
次の日の朝、私たちは村長の家からすぐにこの場所に来ていた。特別な力に満ち溢れるこの不思議な力の場に。ぴりぴりとした空気が満ち溢れているせいか、みんなの顔は少しばかり固い感じがした。私はそんな彼らの顔を見渡しながら、そっと背負っているリリーを手に掴んだ。
 
 
「では、術を発動するわ…」
 
 
目の前には大きな陣があった。その陣こそこの場に満ち溢れる力の元。この陣こそ彼を救うために必要なもの。
私はリリーを杖のままで持ち、そっと目を閉じた。瞼の裏に相変わらずあの忌々しい境界線が見える。
 
 
「我、干渉を望む者也。万物に抗えし聖なる門よ、我が望む者と繋がり給え」
 
 
いつものようにリリーをくるりと一回転させてぱしりと手の中に収めると、陣が温かな風を纏わせて光り始めた。私はゆっくりと目を開けて光と風に包まれたそれを見下ろした。
 
 
「さあ、準備は整った」
 
 
手に持っていたリリーを背負いなおし、みんなの顔を見ると、その顔には緊張が窺えた。これから何をするのかまだ彼らは知らないから。でも、教えたとしても分からないでしょうけど…。
 
 
「この陣を踏んだ瞬間、私たちは彼の記憶の中に入る」
 
 
「記憶…?」
 
 
「ただし、彼が起こした出来事を変えてしまってはダメ」
 
 
「じゃあ何しに行くのよ?」
 
 
「彼に教えてあげるの。人を愛することを、愛されることを」
 
 
ふわりとみんなに笑いかけてから陣の方へと向く。温かな風とは反対に少しばかり気が滅入る。彼の記憶に飛ぶという事は、彼の昔を全員が知ってしまうという事。信頼も何もかも捨てていた頃の冷酷なラスティを…。
でも、それでも…。
 
 
「彼の意志を変えないと…」
 
 
陣に一歩踏み出すと、光が私の周りを包んでいく。意識が引っ張られるような感覚と共に、視界は真白になり、意識も白に呑み込まれて行った。
 
 
 
 
 


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