深紅の真実


 
 
 
 
 
最早動けないのか、シアンは目の前で膝を突いた。その顔は悔しそうに、けれど悲しそうに歪められていた。シアンの傍に控えている二匹の犬もシアンを気遣うように弱々しく鳴いていた。
 
 
「なんで邪魔をするんだよぅ…。僕には…楽園が必要なのにっ!こんな、こんな世界で転生者が生きていく場所なんてないんだから!」
 
 
…確かにシアンの言う通りかも知れない。こんな腐りきった世界で、俺たちが安心して暮らしていける場所なんて、存在しないだろう。だからこそ、異能者と呼ばれた者たちはアルカの本拠地を目指す。虐げられ、戦争の道具として使われる事を拒み、自由を手に入れるために。シアンもその一人。自由を追い求め、安心して暮らしていける世界を欲している。
 
 
「そんなんどうでもエエやん…。こっちおいで。アンジュに抱っこしてもらい?胸大きいで?」
 
 
途中までのセリフは凄く良かったのだが、エルの余計な言葉で大きな溜息をついた。この事を言わなければ物凄く感動的な展開かも知れないのに…。とにかくみんな懸命にシアンを説得しようとしていた。マティウスは敵だ。騙されるな。そう言って同じ境遇でありながら敵対する少年に向かって。
そんな光景を見ながら俺はどこか冷めた気持ちで黙っていた。どうしてこいつらはこんなにも必死なのだろうか…。どうして俺は、この光景を見て、どこか憎いと思ってしまうのだろうか…。
 
 
「言ったはずだ。騙されないってね!」
 
 
痛みに顔を歪めながらも決してその心を変えないシアンは、俺たちに背中を向けるとそのまま去って行ってしまった。けれどその背中はどこか困惑を表していた。あの少年も迷っている。ルカたちが嘘を言っていないと内心思っているのだろうか。
 
 
「…ホンマ、アホや。ホンマに…」
 
 
拳を握り締め、その場に立ち竦んだままのエルの背中は寂しそうだった。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
町に帰る途中で、俺はどうしてもスパーダに聞きたい事があった。
 
 
「なあ、スパーダ。お前、記憶の場で何を見た?」
 
 
あの時、記憶の場で見たスパーダの顔は血の気が失せ、真っ青だった。とてもじゃないが普通の記憶を見たようには思えなかった。その事を思い出しながらそう尋ねてみると、スパーダは一瞬目を見開いた後に静かに俺から目線を逸らした。
 
 
「い、いや、何でもないんだ…」
 
 
あまりに不自然などもり方。俺と視線を合わせようとしない所もおかしい。不審?怪しい?とにかくそういう感じだ。
 
 
「隠し事をするなっつたのはお前だろうが…」
 
 
未だに隠し事をしている俺が言えた事じゃないけど、それでもこいつに隠し事をされるのは嫌だったから、自分の髪をぐしゃぐしゃ掻き混ぜながらそう言うと、スパーダは言いにくいのか地面へと視線を落としていた。
 
 
「ちょっと怖かっただけだ」
 
 
「怖かった?」
 
 
普段からいじめっ子気質なこいつが怖いと感じたもの?そんなものがあるとは思わなかった俺が結構意外だと思いながらも続きを話すまで黙っている事にした。
 
 
「…自分が殺される映像っつうか…」
 
 
………はい…?何それ?ちょっとどころの話じゃないと思うんですけど?マジで?
 
 
「え、お前マジでダイジョウブ?自分死ぬ夢って縁起悪いらしいぞ?」
 
 
思わずスパーダに詰め寄るくらい俺はその事に驚いていた。確かに自分が殺されるのを見るっつうのは恐ろしいな。誰だって怖がって当然だ。俺としては縁起が悪くて心配だ。
 
 
「いや、夢じゃねえし…」


「いや、どっちにしろ縁起悪そうじゃん」
 
 
クスクスと軽く笑いながら軽口を交わす事が出来た。さっきまで喋れなかったとは思えないほど自然な流れに、俺の口元も緩む。
やっぱり俺は、スパーダと一緒にいる方が調子が出る。むしろこいつと話をしていないと調子が出ないくらいだ。
 
 
「そういうお前はどんな記憶見たんだよ?みんなと同じか?やっぱ」
 
 
笑われた事に対して不満なのか、俺の事を睨みながらそう言ってくるスパーダに、さっきまで笑えていた気持ちが一気に沈んでいった気がする。いや、実際沈んでいってる。けれど俺はそれを上手く隠すように、誤魔化すように口にした。
 
 
「俺は…、海を見たかな…」
 
 
「海…?」
 
 
何か聞く事を戸惑っているスパーダは、それでも好奇心に勝てなかったのか首を微かにかしげながら俺の事を見た。俺はそんなスパーダの視線を受け止めながらも、ゆっくりと口を開いた。お前が想像しているような優しいものなんかじゃないって、知るだろうけど。
 
 
「紅い海だ。真っ赤で、周りには冷たいものが散らばっている海」
 
 
まるで嘲笑うように目を眇めながらスパーダを見下ろすと、こいつは目を見開いて固まっていた。俺の視線に驚いているのか、それとも俺が言った言葉の意味をきちんと理解して恐怖しているのか。あるいはその両方か…。
 
 
「お前は……殺したのか…?その周りにいた奴らを…」
 
 
スパーダの言葉に、俺はただ目を見開く事しか出来なかった。目の前にいるこいつが何を言いたいのか少しばかり理解できなかったのだ。スパーダが発したその言葉は、俺が誰かを大量に殺している事を知っているような口ぶりだった。
おかしい。俺が誰かを殺している所なんて、お義父さんですら知らない。子供の時しか知らないはずだ。実際お義父さんは俺がもう人を殺していないと思っている。なのに、何故…?
 
 
「お前は何を知っている…?」
 
 
微かに声が震えてしまうのは仕方の無いことだ。俺の事を一番知っているであろうお義父さんですら知らない事を、こいつが知っているなんておかしい。おかしすぎる。
 
 
「……俺は、見ちまった…。お前が……」
 
 
スパーダはその先の言葉に詰まったのか、何も言わなかった。しかし俺にはその先の言葉が分かっていた。俺が人を殺す所を見た、だと…?一体いつ…?そこまで考え付いて、ハッとした。先程スパーダは言っていたじゃないか。殺される瞬間の映像を見たと。まさか…!
 
 
「まさか!お前は俺の見たものと同じものを…!」
 
 
一体どういう経緯でそのような事になってしまったのか分からないが、スパーダが黙ったまま俯いているという事はそういう事だ。つまりこいつは俺と同じ記憶を見てしまった。その昔、軍から逃げ回り、そいつらを殺してまで生き抜こうとしていた俺の姿を。
 
 
「ラスティ…悪ぃ…」
 
 
肩を微かに震わせながらそう言うスパーダ。俯いていたその表情は分からないが、声色からは感情が窺えた。罪悪感と共に微かな恐怖、それから…。
 
 
「…不可抗力って事にしとくからさ、忘れろ。その記憶を」
 
 
未だに立ち竦んだままのスパーダを置いて歩き出すと、背後からは悲しそうな気配がした。俺はその気配に気付いていながらも、今は何も言わずに黙って歩いていた。
あーあ、なぁんで俺はスパーダに甘いんだろうか…。
 
 
「仲直りでもしたの?口元がにやけてるわよ?」
 
 
俺が早歩きでで進んでいると、いつの間にか隣にはアンジュが立っていて、その口元を抑えながらクスクスと笑っていた。俺はそんなアンジュの顔を一瞬だけ見た後にすぐに視線を外した。アンジュの言葉に顔に熱が集まったせいだ。
 
 
「別に…」
 
 
ちょっとムスッとして答えると、アンジュは更に楽しそうに笑っていた。俺はそれを恨めしいと思いながらも、それ以上は何も言わなかった。
 
 
「空気は柔らかくなってけど、それでも隠している事は教えてくれないのね」
 
 
「……当たり前だ。俺は隠し通すつもりだからな…」
 
 
唐突にそう言ったアンジュの言葉に、さっきまで熱の溜まっていた頬は一気に冷め、テンションががたりと落ちる。聖女様のせいで俺の甘酸っぱい青春が一瞬にして終わっちまったよ…。返せコノヤロー。
 
 
「あらあらごめんなさい」
 
 
謝っているけれど、全く悪びれる様子のないアンジュに溜息が零れる。本当にこの人は最近性格が極まってきている気がする。この先もっと悪化したらどうなるんだか…。
 
 
「ホント聖女様って嫌味だよな〜」
 
 
「褒め言葉として受け取っておくわね」
 
 
にこにことした表情で俺の嫌味を受け止めた聖女様。本当にこの人には嫌味が通じないと痛感した俺だった。むしろこの人に勝てる人がいるのかすら謎だと思った。
 
 
「ところで急につっけんどんな態度が消えたけどどういう風の吹き回し?」
 
 
クスクスと笑うのを止めて少しばかり真剣な表情で俺の事を見てくるアンジュに、俺は視線を合わせないようにしながら口をへの字に曲げた。
 
 
「べっつにぃ〜?スパーダと話せたら考えが軽くなっただけだ」
 
 
俺としては大した意味を含んだわけじゃないその言葉に、アンジュは一瞬だけ微かに目を見開いて、それからまたクスリと笑った。訝しげにその表情を見ると、アンジュは俺と視線を合わせてこう言った。
 
 
「それってノロケね」
 
 
あまりにも突拍子のない言葉に、俺は何も言い返せなかった。むしろ固まったという方が正しい。そんな俺を見ながらアンジュはクスクスと笑い、二人とも純情ね、なんて言い残して俺の前からいなくなった。その場に残された俺は何も言えないまま固まっている事しか出来なかった。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
ジャングルを抜け、町まで戻ってきた俺たちは桟橋の所に集まっていた。次の船は王都レグヌムしかないと言われた。俺たちは船の事を全てリカルドに任せていたので、特に文句を言う事無くそれに従って船に乗り込んだ。けれどその瞬間、俺は言い知れぬ不安に襲われた。背筋を這うような、気持ち悪い感覚だ。
 
 
「ラスティ?」
 
 
どこか俺の態度を不審に思ったのかスパーダが声をかけてきた。俺はその事にハッとして頭を振った。きっと何かの思い違いだ。そうあって欲しい。
 
 
「いや、何でもない」
 
 
本当にそうであって欲しい。何事もなく過ぎればいい。心の底からそう思いながら海を眺める事にした。
 
 
 
 
 



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