頭痛と警鐘


 
 
 
 
 
王朝からの帰り道だった。来た道を戻っていく途中で彼女に会ったのは。
 
 
「チトセ…」
 
 
ルカが何とも言えない声で彼女の名前を呼ぶと、イリアがそのチトセと呼ばれた少女の方へと駆けて行った。
 
 
「このネッチョリ女、ノコノコ現れやがったな!」
 
 
チトセを指差してそう吐き捨てたイリア。その顔はまさに極悪というのに相応しかった。俺は影でそれを見ながら顔を引きつらせていた。
 
 
「イリア、口調」


「現れやがりなさいましたわね。何の用よっ!」
 
 
どうやら何か因縁のようなものがあるらしいが、チトセは全くイリアを視界に入れようとはしなかった。ルカの事だけを一心に見つめるチトセの目は、何かを強く願っているような目をしていた。
 
 
「アスラ様。マティウス様はあなたを必要とされています。お願いです。私とおいで下さい。共に幸せになりましょう」
 
 
またマティウス…。一体マティウスと呼ばれる人物は何者なのだろうか…。ルカの話に寄れば魔王という事になっているが…。
ルカはチトセの言葉に良い感触を示さなかった。
 
 
「君は知らないフリをしているのかい?魔王が創世力を使ったから、天上が滅んだ。そして地上は今滅びに向かっている。つまり、マティウスが前世で力を使ったからこうなったんだ」
 
 
ルカがそう言うと、チトセは緩く首を振った。その顔は苦々しい表情を浮かべていた。
 
 
「君の愛する故郷が沈んで行くのも、今の戦争の原因も、天上が滅ばなければなかった事かもしれない。…マティウスの、魔王のせいなんだ。全部、全部あいつのっ!」
 
 
感情が高ぶりすぎているルカがそう叫ぶと、チトセは大きく首を振って胸の前で手を組んで強く力を込めていた。それから大きな声で叫んだ。
 
 
「違う!違うわ、アスラ様。まだ全て思い出されていないのね。それは勘違いなのです。私は知っています。それは…、天上が滅んだのは、全て」
 
 
一旦止まったチトセの言葉にみんなが釘付けになった瞬間、チトセは口元に微かな笑みを浮かべていた。そして組んでいた手をゆったりと手を解くと、イリアの方に人差し指を向けた。
 
 
「イナンナのせいなのです」
 
 
何かが頭の端を過ぎった。それと同時に鋭い痛みが走り、思わずその痛みに頭を抱える。一体この痛みは何なんだ…?
俺が頭の痛みに襲われていると、チトセが俺の方へと視線を向けていた。
 
 
「アレスは全てを見ていた。そして彼女は絶望したの。裏切られたのよ、やっぱりラティオを信じるべきではなかったと…。そうでしょ、ラスティ君?」
 
 
その言葉の意味を、俺は正しく理解する事が出来なかった。正しく理解できる状況に無かった。全ての視線が俺に向けられ、さらに頭の痛みが強くなるのと同時に思考が真白になる。一体こいつは何を言っているんだ…?俺の何を知っている?何故俺がアレスの転生者だと知っているんだ…?様々な思いが出てきたが、何も言う事が出来なかった。
 
 
「思い出せていないの…?あなたは一番間近で見ていたはずよ。その女、イナンナがアスラ様を裏切る場面を…」
 
 
チトセはさらにそう言う。その目は懇願しているようにも見えるし、何かを狙っているような目でもあった。俺はただ何も言えずに唇を固く引き締めることしか出来なかった。
俺には何も分からなかった。記憶がまだ足りないから。それが真実なのか嘘なのか、全く判断出来なかった。
 
 
「…そんな」
 
 
イリアの呆然とした声が耳に届いてきて、俺は困惑したまま彼女に視線を向ける。彼女はただ何が起こったのか分からない表情で立ち竦んでいた。
 
 
「そんなワケねーだろ!おい、イリア、何か言ってやれよ!」
 
 
スパーダの焦ったような声が聞えてくるが、イリアは何も言わずに肩を落としただけだった。彼女もまたそれが嘘なのか本当なのか分からないのだろう。
 
 
「お、おい…、言わせておくのかよっ!ラスティ!何か言えよっ!」
 
 
苛立たしげな声が聞えてくるが、俺は何も言う事が出来ない。彼女と同じ。俺はそれが本当なのか嘘なのか分からない。もしかしたら本当かも知れないし、嘘かも知れない。けれど、何となくだ。俺は何となくチトセの言葉に嘘はないと思ってしまった。何故かは分からない。もしかしたら、あの記憶のせいかも知れない。アレスはは確かにイナンナの事を疑っていた。
 
 
「この女は天上を滅ぼし、そして私の美しいアシハラを滅ぼそうとしている。のみならず、アスラ様とアレスまで…。でも、生まれ変わった私は違う!以前の私じゃないわ…。アスラ様を、アスラ様を渡すものか!」
 
 
チトセはそう叫ぶと、腰につけられていた短刀を抜いて、イリアの方へと向ける。それを見たルカはハッとして構える。
 
 
「待て!何をする気だ!?」
 
 
ルカがチトセの動きを見て背中に背負っている大剣の柄を握る。それを見たチトセは悲しそうに顔を歪めた。
 
 
「何故庇うの?この女を信じては駄目。最後の最後に裏切られた苦しみをまた味わうつもり?アスラ様、もう騙されないで!目を覚まして!」
 
 
悲痛な叫び。それはとても重たい彼女の思いだった。その声に、何故か胸が痛んだ。何故か先程から彼女の言動に胸が締め付けられるような感覚が起こる。もしかしたら、俺の前世であるアレスと彼女の前世は何かかかわりがあるのかも知れない。
 
 
「僕は決めたんだ。僕を連れ出してくれたイリアを、僕を必要としてくれたイリアを守って。…守るなんておこがましいけど、でも僕を信頼してくれた証を立てる!厳しく暖かく見守ってくれた両親、気安く仲間扱いしてくれていた友達。彼らと築いていた信頼の絆を僕はうっかり見過ごしていたんだ。イリアはそんな僕の目を覚まさせてくれた。僕は…、イリアを信じる!絶対に!」
 
 
……そうか、ルカはもう逃げる事を止めたというのか…。もしもイナンナが本当に裏切っていたとしても、受け止めるというのか…。ルカは、強くなったんだな…。
 
 
「わからずや!!」
 
 
チトセが覚悟を決めて短刀を強く握り締める。俺は踏み出そうとしたチトセを見て、リリーと静かに引き抜いた。それからいつも天術を発動させるようにくるりと手元で回す。渦巻く風をイメージして、天術を発動させる…。
 
 
「悠久の時を廻る優しき風よ、我が前に集いで裂刃となせ!サイクロン!」
 
 
全てを巻き込み引き裂く、優しき無常なる風。その風の渦はチトセを包み込み、その体を傷つけた。風が止んだ時には、チトセは膝を突き、俯いた状態だった。
 
 
「お前の負けだよ…」
 
 
リリーを背負ってから俯いて膝を突いているチトセを見下ろした。その小さな体は微かに震えていた。しかしそれは恐怖や悲しみなどでは無かった。
 
 
「フ、フフ、フフフフフ…」
 
 
口から漏れてくる笑いは嘲笑。その場にいる全員を嘲笑うような冷たい笑いだった。そんなチトセの笑いを聞いて、全員が武器を構えなおす。するとチトセは俯いたまま暗い声で笑う。
 
 
「イナンナは裏切る、あなたはアスラ様を傷つける…」


「一体どういう…事よっ!」


「フフ、フフフフ…」
 
 
チトセは笑いながら立ち上がると、ふらふらしながらも出口の方へと去っていった。その後姿はあまりにも印象的過ぎて忘れる事など出来ないだろう。
俺はそんな姿を見ながら、静かに目を伏せて、出口の方へと歩き出した。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
王朝から出た瞬間、ルカは何かを探すように走り出した。傍から見ればそれはチトセを追いかけるために必死になっているようにも見えた。そんなルカを追いかけたイリアは、ルカの一歩後ろに立つ。
 
 
「チトセを探しているの?」


「い、いやっ…」
 
 
慌てたようにそれを否定したルカ。しかしその言葉にはあまりにも信用性が無かった。ルカの行動は明らかにそう思われても仕方なかったのだ。イリアはそんなルカを見て、唇を閉ざした。
 
 
「な、何だったんだろうね。アスラとイナンナ、創世力についてなんかもめてたみたいだけど…」
 
 
話題を変えようとそう切り出したルカ。けれどイリアはそんなルカの姿を見る事無く視線を外して俯いた。いつもの彼女らしからぬ行動だが、先程の事があったのだ、仕方ないだろうな…。
 
 
「しばらく話し掛けないで…。ゴメン…、すぐに気分切り替えるから。ちょっとだけ待って…」
 
 
イリアは静かにそう言うと、海の方へと歩いて行ってしまった。その後姿はあまりに脆く、寂しそうに見えた。俺はそんなイリアの姿を見た後に、ルカの方に視線を向ける。ルカの方も俯いて、どうしたらいいか分からない表情をしていた。
 
 
「えーっと、これでアシハラに来た目的は果たしたワケだが」
 
 
スパーダが言いづらそうにそう切り出すが、ルカは何の反応も示さなかった。変わりにエルが反応を示していた。
…あの二人はまだまだ若い。考えだって拙いはずだ。自分の感情をどうすればいいのか分からないだろう。俺だって、未だに分からない事がある。あの二人は俺よりも若いんだ。もっと分からなくても当然だろう。
 
 
「ほな、何か食べに行こうやぁ。ってか、どっかに連れてってぇやぁ」
 
 
悪くなっている雰囲気を誤魔化すためなのか、本当にただ何かを食べたいためなのか分からないエルの発言に困ったような顔をしているスパーダ。そんなスパーダはエルをどうしたらいいのか分からずに、回りに助け舟を出している。そしてそれを拾ったのはリカルドだった。どうやら次の船までの時間が少ないらしい。
 
 
「出航時間が近いのだ。急げ」
 
 
リカルドがそう言うと、エルが文句を言いながらも渋々船の方へと歩いて行った。エルの事だからそう言わないと本当にどこかに言ってしまいそうで困る。みんなが船の方に行くのを後ろで見ながら、俺は静かに町の方へと視線をやった。まだルカは帰って来ない。
 
 
「ラスティ?」
 
 
スパーダがついて来ない俺に気付いたのか振り返って名前を呼ぶ。俺はそれを横目で一瞥しただけで、また町の方を見る。ルカを探しに行くか…。何か、嫌な予感もすることだし…。
 
 
「ルカを迎えに行って来るよ」
 
 
「おいっ!」
 
 
後ろの方から聞えるスパーダの声を無視して町の中へと走っていった。相変わらず寂しい街並みを走り抜けていると、前方の方に銀髪の髪を見つけることが出来た。この国は黒髪が多い。俺たちみたいな外から来た人じゃないと銀や赤なんて珍しいだろうな。
 
 
「ルカ」
 
 
どこか黄昏ている様子のルカに声をかけると、ルカは肩を跳ねさせた。その緑の瞳には同様が浮かんでいて、なおかつ頼りなさげに揺れていた。
 
 
「ラスティ…」
 
 
「船が出るってよ」
 
 
淡々とそう言うと、ルカはどこか落ち着かない様子で頷くと、しょぼんとした顔で船着場へと歩いて行ってしまった。俺はその後姿に溜息をつきながら、物陰の方に視線をやる。そこには先程感じた気配が存在していた。いくら少ししか会った事ない人物だからといって、気配に気づかないわけない。
 
 
「気づかれてないとは思ってないだろ?出てきたらどうだ?」
 
 
鋭い視線をそこに向けると、暗がりの中からぬっと一人の人物が出てきた。それは先程王朝であって別れたチトセだった。彼女は無表情のままこちらを見ていた。冷たいような感じもする。
 
 
「さすがアレスの転生者」
 
 
クスクスと笑うチトセ。しかし明らかに笑っていない。その目は少しも笑っておらず、王朝で見たアスラを思い、イナンナを嫌悪した目と同じだった。ルカに断られてもまだその気持ちを諦めないらしい。
 
 
「どうしてお前はルカを、アスラを狙う?」


「酷いわ、狙うだなんて。私はアスラ様に幸せになってもらいたいの。もちろん、あなたにも」
 
 
穏やかな笑顔を貼り付けたチトセはゆったりとした足取りで俺に近づいてくる。俺はあくまで警戒しながらチトセの話を聞いている。
 
 
「何故お前は俺の事を知っているんだ…?俺は王朝で初めてお前と会った。もちろん前世の話を知っているはずが無い。なのに何故お前は俺がアレスの転生者だと知っているんだ?」
 
 
目を細めて鋭い視線を送ると、チトセはその視線を全く恐れずにクスクスと暢気に笑っている。しかし目だけは相変わらずだった。そんなチトセに眉間のしわが深くなる。
 
 
「私はサクヤの転生者。だからあなたの前世であるアレスの気配を分かるの。私にとってアレスはとても大切な人だった。妹と同じくらい、とても大切な人だった」
 
 
チトセが俺の頬に手を伸ばしてきて、両頬がチトセの手に包まれる。まるで恋人のような状態だが、本人たちは全く甘い雰囲気など出していない。むしろ俺は警戒した雰囲気を出したままだった。
 
 
「あなたは望んでいた。平和を…。でも、それをイナンナに壊された。あと少しで、天地融合が叶ったのに…あの女が裏切るから…」
 
 
ギリッと歯軋りの音が聞こえてきて、チトセが憎々しげに顔を歪める。その表情はとてもじゃないが綺麗でも可愛くも無かった。ただの醜い女にしか見えなかった。
 
 
「そして創世力の乱れを感じたあなたは城の奥について絶望した。イナンナは裏切ったのよ、その時、アスラ様を、センサスを、地上を…」
 
 
ぐっと頬を包んでいる手に力が込められて、俺がチトセから視線を外せないようにされる。その状況の意味が分からなくて訝しんでいると、チトセはクスリと笑った。
 
 
「一緒に来て、アレス…。共に、地上を救うの。あなたが好きな地上を、ね?」
 
 
何か良く分からない感情が溢れ出してきて、それと同時にまたしても頭痛が襲ってくる、それがチトセの言葉に対してなのか、この状況に対してなのかは理解できなかったが、ただどうすればいいのか分からなかった。振り払えばいいだけなのに、俺じゃない何かがそれを出来ないでいる。
 
 
――駄目っ!!――
 
 
ハッとしてチトセの手を振り払う。リリーの声が聞こえてきた瞬間、曖昧だった意識が急にはっきりとしてきてその手を振り払うことが出来た。一瞬、自分が何をしているのかすら分からないような感覚に襲われた。まるで夢を見ているような気分だった。
 
 
「どうして…?どうして分かってくれないの…?」
 
 
悲しそうに歪められる顔。歳相応の少女の表情だった。俺はそんな表情を見ながらどこか胸が痛んだような気がした。やはり、この少女がひたすら妹のように可愛がっていたアレスのためにこうして悲しんでいるからなのだろうか…。けれど俺は前世の少女とは違う。俺は俺。あの少女の生まれ変わりだとしても、あの少女本人ではないのだ。
 
 
「悪いが、俺はそちらに行かない」
 
 
きっぱりとそう言って踵を返す。早くこの場を去りたかった。そうでないと俺の中の何かが蠢いて仕方ないんだ。この気持ちが一体何なのか分からないけれど、出てきてはいけない気がした。押さえ込まないと大変な事になる。本能が警鐘を鳴らしているんだ。
 
 
――ごめんなさい――
 
 
突然聞こえてきたリリーの言葉の意味を、俺は理解する事が出来なかった。
 
 
 
 
 



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